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料理道具専門店 フライパン倶楽部 Since1998 Faith&Responsibility Company

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2014夏ホームページリニューアル記念対談
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わが故郷の食文化にも造詣の深い フランス料理店「ボレロ吾妻家」を運営するアヅマエンタープライズ会長の伊藤篤哉(とくや)さんと フライパン倶楽部代表の高津由久が対談をいたしました。 伊藤さんは、家業の割烹(料理)旅館を引き継ぎますが、変動する時代に事業転換を試みて、 さまざまなことに挑戦して参りました。 今日は、2期目の豊橋市議会議員として、街作りにも取り組まれています。 また、二人のお嬢様を男手一つで育てあげて来た方でもあります。 そんな伊藤さんだからこそ、幸せへのヒントが一杯詰まった対談となりました。

明治時代に食育の価値を伝えた村井弦斎を紹介する


 フランス料理店「ボレロ吾妻家」

高津:
地域の食の伝統を見直し、地域特有の食文化を守る「スローフード運動」が イタリアから日本にもやってきました。 伊藤さんは、いち早く日本支部の会員となり、 2006年には「豊橋スローフードフェスティバル」にご尽力されます。 その時に、わが故郷出身の村井弦斎(げんさい)を核とした企画をご提案されました。 それは、故郷の人たちの多くが、村井弦斎を知るきっかけとなったと思います。 村井弦斎を簡単にご紹介下さい。

伊藤:
明治時代のベストセラー作家・翻訳家・料理研究家です。 代表作の「食道楽」は明治36年ほぼ1年に渡って報知新聞に連載され、翌年単行本として出版されます。 春の巻・夏の巻・秋の巻・冬の巻と立て続けに4冊出版され、最終的な総売上部数は50万部。 同時代の夏目漱石が著した「我輩は猫である」を遥かに凌ぐ驚異的な販売部数と言われます。 この本は小説ですが、筋書きらしい筋書きは無く、主人公であるお登和(とわ)嬢を中心に、 和洋中様々な食べ物の話、家庭生活の理想、衛生の思想が語られます。 全巻を通して登場する料理が600種余り。 まさに料理が主役で、読みながらその知識を得ることが出来る実用本でもあったのです。

高津:
男女の恋物語というレベルではなく、家庭の理想を語る小説が、当時は受け入れられたのですね。 「食道楽」では、すでに食育という言葉が使われていました。 「先ず智育よりも体育よりも一番大切な食育の事を研究しないのは迂闊(うかつ)の至りだ、 (中略) 体育の根源も食物にあるし、智育の根源も食物にある、 して見ると体育よりも智育よりも食育が大切ではないか・・・」 人間としての完成あるいは成熟、言葉を変えれば自立を突き詰めて行くと、そのもとは食物、 すなわち食育にあると言うことでしょうか。そのあたりの本質を見抜いていた人物とも思えます。 お恥ずかしいことですが、同郷人でありながら、私は村井弦斎の存在を最近まで知りませんでした。 伊藤さんは、いつごろから知っていたのですか。

伊藤:
40年以上前に話は遡ります。 明治100年の頃、NHKラジオは明治をテーマとした朗読を放送していました。 「天は自ら助くる者を助く」という序文で始まるスマイルズの「西国立志編」とともに、 私のお気に入りとなった番組が村井弦斎の「食道楽」です。 物語の筋書きよりも気になったのはハイカラなメニューの数々とその解説、そして食育論です。 その頃、明治村へ行楽に行きますが、そこで村井弦斎は豊橋出身であると知ります。 料理屋の息子でしたから、いつかは村井弦斎と食道楽を活かして何かしてみたいと思いました。

高津:
明治100年と言えば、昭和43年。私の生まれた年でもあります。 伊藤さんは、10歳ほど年上だと思いますが、それでも、まだ小学生ですね。 その当時から、そのようなラジオ番組に興味を持たれたのは、早熟な少年であったと驚きとともに、 生まれ育った環境が大きな影響を及ぼしているように思いました。 それを活かして何かをしてみたいとは、「豊橋スローフードフェスティバル」でも実現されましたね。 そのことに加えて、明治100年のラジオ番組の内容は、伊藤さんのスピリットそのもののようにも感じます。 料理屋の息子と言われていましたが、いわば独立自営のお店ですよね。

伊藤:
1945年6月の豊橋大空襲で全焼し、祖父は割烹(料理)旅館を立ち上げます。 料理は三河の幸を活かした会席料理です。真鯛の兜(かぶと)煮や船盛りのお刺身が懐かしいです。 京都の料亭から板長さんが来ていました。 佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘などの政治家や高松宮といった宮家、 三船敏郎や浅丘ルリ子、山口百恵といった芸能人、野球選手やプロレスラーが来ました。 仮面をかぶっていないデストロイヤーの膝に乗る幼少時代の写真が残っています。

高津:
やはり、わが故郷の海の幸を生かして料理を振る舞っていたのですね。 昭和を代表する面々が訪れていて、デストロイヤーが仮面を外していたとは驚きです。 数年前に、高校の同窓会で、デーモン閣下氏を招きましたが、 その素顔は舞台裏でも見ることができませんでした。 そればかりか、素顔が見られないように厳重に警戒をされていました。 それと比べると、初対面の人であっても、人と人の間に何らの障壁がない、 陽気な時代の空気まで感じることができます。

糸の町で生まれ育った独立精神を受け継いでいる


 ボレロ吾妻家の筋向いにある姉妹店のBROWNS

伊藤:
戦前は、豊橋一番の「おもちゃ」と「たばこ」を商う伊藤屋というお店でした。 おもちゃといっても「囲碁盤」「将棋盤」「花札」「トランプ」「麻雀」といった 収入印紙の付いたものが子どものおもちゃ以上に良く売れたそうです。 私の祖父は、もともとは豊橋の絹繭取引所に来た近江商人です。 また、祖母は製糸工場の社長夫人の妹でした。

高津:
わが故郷は、蚕都(さんと)糸の町であったと言われます。 明治に近代国家が誕生したけれど、産業がない。 そこで、世界遺産で話題となっている富岡製糸場が建設されます。 まずは、国を挙げて製糸で産業を興します。 先ほどのラジオ番組に通じますが、スマイルズや福沢諭吉の啓蒙書が広く読まれた時代です。 その時、わが故郷では、女性民間人の小渕志(し)ちなどが表れて、技術改良を重ねて国内の製糸業を先導します。 やがて、生糸は、西欧列強に伍する輸出産品に成長します。外貨を稼ぐ旗頭です。 その後、日露戦争に勝利できたのも、これらの産業振興に負えるところもあったでしょう。 わが故郷では、玉糸製造同業組合が作られて、互いに助け合いながら生産を伸ばして行きます。 独立心に溢れた土地柄だと想像できます。 伊藤さんも、そのような先祖からの遺伝子、また故郷の風土から、この独立精神を受け継いでいたのでしょう。

伊藤:
私の代でも、時代の変化とともに、いろいろと挑戦して参りました。 大学を卒業して10年ほど、東京のホテルニューオータニで働きました。 その後、豊橋に帰り割烹旅館では役に立たない自分を感じ、東京豊橋を往復する中で 休業中であったパブを改装した「アンソニア カフェ」をオープン。 割烹旅館を廃業し駐車場事業へ転換、そして、弟と力を合わせ新事業に挑みます。 ロングカウンターバーとビリヤードのBROWNSです。

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