料理道具専門店 フライパン倶楽部

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わが街・豊橋わが故郷・東三河

豊橋市役所 環境部環境政策課 若子尚弘さん


 何もない南三陸で覚悟が定まる

中学校時代の同級生の一人は、豊橋市役所に勤める行政マン若子尚弘(わかこなおひろ)君です。 建て替え前の当店は3階建てのビルでしたが、その3階部分ではお料理教室を開いていました。 当時としては、お料理教室の先駆けであり、未だご年配者の方から 「お宅の料理教室に通っていたんだよ。」と声を掛けていただくことがあります。 私が生まれた頃には、そのお料理教室は、地元の中日新聞が運営する中日文化センターと 統合するに至ります。

それ以来、その場所は、空き状態となっていました。 ただ、お料理教室の面影は残されており、「味の素」の名前が入る黒板があったり、 食器棚には数多くの料理道具が置かれていました。 そんな時、私が卓球に興味を持つと、祖父が卓球台を購入してくれて、その場所が卓球場となったのです。 私が中学生のころは、卓球部に所属していた若子君と卓球をしたのが懐かしい思い出です。

その彼が、被災地の南三陸町に1年間派遣されていたことを地方新聞で知り、 早速彼のもとに駆けつけて、被災地で考えたことを伺いました。 歳月は流れて彼も私も、四十代の半ばとなり、今や中学生の子供をもつ父親に。 今度は私の息子が、卓球部に所属する卓球少年です。 彼にも二人のお子さんがいるのですが、今回は単身赴任での出張となりました。 そんな彼がまず語ってくれたことは、「中学生たちの愛郷心に心打たれた」


赴任先近くで開催されたマラソン大会で

最後まで避難を呼び掛けて流された防災対策庁舎は、 その鉄筋の骨組みだけが残る南三陸のシンボリックな建物となってしまいました。 その周囲は見渡す限り基礎部分のみ。それは赴任した昨年4月も、そして今日も変わらないそうです。 そんな何もない、生活感の全くない街を前にしても、子供たちは南三陸に住み続けたいと思っていた。 彼にとってそれが驚きでした。 そこに彼は、子供たちの覚悟を感じたそうです。

ここ豊橋でも、今月の毎週末は、大正時代から続いている夜店が近くの豊橋公園で開催されています。 子供たちが、友達と一緒に浴衣姿で楽しげに歩いている姿は、この街の風物詩でもあります。 ところが、南三陸では、日常子供たちを見かけることがほとんどない。 しばし「子供たちはどこにいるのか?」 そんなある夏の夜に、仮設商店街の一角で納涼祭が行われました。 そこには、子供たちが集まって来て、この街に子供たちがいることを再確認できたそうです。 打ち上げ花火が上がる中で、舞台の司会進行は中学生の女の子の二人組。 そんな子供たちを見た時に、安堵とともに、子供たちが街に果たす役割の大きさを実感したのだと。

話を伺った私も、子供たちのありふれた光景は、大人たちの明日への力となっているのだと 今更ながら気づかされました。 そして、子供たちの多くが、この街で多くの人の力になりたいと言っている。 そんな子供たちの生き様に、大人たちこそ、その覚悟を持って生きる時だと考えたそうです。 彼の16号にわたるレポート『南三陸だより』の最後には、 「それがこの国に生きる者の使命だ」まさしく、その通りだと思いました。

平成25年水無月