創造者の眼差し
評論家の西部邁さんが、デモクラシーは民衆政治であり、民主主義と訳すのは誤訳だとしばしば言われていました。 それは、民主の主は主権であり、主権とはsovereignty。 それは崇高性であり、人間には全く及ばない。 しかし、崇高な方がおられて、崇高なものとして人間を扱っている眼差しがあります。 そこに、主権の淵源を見ることができるように思うのです。 あくまで、人間そのものを見つめれば、西部さんの言われる通りなのだと思います。 しかし、人間は信じるという聖域が与えられている。 信じてはじめて、その崇高なものに至れるのだと、これまた信じたいのです。 思想家のジョン・ロックは、人間は生まれながらに権利をもつと表現しました。 その時、その権利を付与した存在が前提とされています。それが、欧米で言う創造者です。 その創造者を欠いた権利として理解されれば、その権利は人間の都合に過ぎず、絶望はさらに深くなります。 江藤淳先生も西部邁さんも、その思想の背後にある創造者の眼差しに気づいてくれていたら、また違っていたかもしれません。
2018/02/02





