小泉家のユーモア
読売新聞の「戦後70年を前に伝える」というシリーズで、 母校の塾長であった小泉信三先生の次女・妙(たえ)さんが語っていました。 妙さんはお兄様を戦地で亡くされます。 その訃報が家に届いた夜に、お父様は語ったそうです。 「これからは、家族みんなで楽しく暮らそう。」 不運は重なり、先生は、東京大空襲の折、自宅で火ダルマに。 その時、大樽を持ち上げて水を掛けたのが19歳の妙さんでした。 一命は取り留めたものの、植皮の手術をしても、まぶたを閉じることもできず、 顔立ちは変わり、左手も足も不自由となります。 それでも、家ではユーモアが途絶えたことがなかったと。 その後の先生の活躍は尋常ではなく、息子さんの戦死を贖罪と受け止めていたそうです。 「君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを 何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替って妻を択べと言われたら、 幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、 吾々二人は必ず君を択ぶ。」
2014/08/21





