リンゴの木を植える
北朝鮮の核実験などの報道に、世の終わりを想起します。 ただ、人間は誰しも終わりのある存在ですので、 より真摯に向き合うべきは、自分の終わりの方にも思えます。 世の終わりに直面することはないかもしれませんが、 自分の終わりの方は確実に訪れます。 その意味でも、世の終わりに心騒がすよりも、自分の終わりを直視すべきなのでしょう。 信仰者たちも黙示録を開いて、終末について議論をします。 ただ、歴史的に見ても、その議論だけでは不毛のように感じます。 私の聖書解釈では、「明日のための心配は無用です。 労苦はその日その日に十分あります。」という主の言葉より、 明日よりも、まず今日を精一杯生きることに目を留めたいのです。 終末への態度を教えるテサロニケ人への手紙には「静かに仕事をしなさい。」 信仰者マルティン・ルターの言葉が心に響きます。 「たとえ明日世界が終わろうとも、私は今日リンゴの木を植える。」 明日は分かりませんが、今日できる自分の務めを淡々と果たすのみです。
2013/02/22





