信仰と自由意思
あのオウム真理教の暴挙をなぜ許してしまったのか。 いわゆる幹部たちとは、同世代であり、同じ時代を生きて来ました。 しかも、違う信仰ではありますが、宗教という括りでは、同じところに所属していました。 当時バブル時代の全盛で、私なりに、その時代に疑問を持ち、 その世界に対峙する点では同じだったのかもしれません。 しかし、違うと感じたところは、自由意思のあるなしです。 あの団体では、帰依する対象に従うことを絶対として、 自分で考えて自分で判断する自分の意志がなくなってしまったようです。 本来、帰依される対象は、それを神と呼ぶ場合もありますが、 帰依する人の自由意志を尊重することが前提にあるはずです。 私の宗教では、それを愛と表現できます。 それは、夫婦関係でも同じで、互いの人格を認めることが土台にあるのです。 そして、自分の意志をもつことが、自由と表現できます。 自由とは、「自分に由(よ)る」と書き、それが責任に通じます。 この時代も同じように、自由を履き違えていないでしょうか。
2012/06/09





