束縛体験と自由
蓮池薫さんが著書「半島へ、ふたたび」で拉致から解放されて初めて自由意思で韓国旅行をしたと表現されていました。それは、束縛の体験があるからこそ、自由意思という言葉を使われていたのでしょう。 この時代この国では、この自由の恩恵に浴しながらも、その切実さに乏しく、それが何であるのかを深く考えようとしない。自由とは、自分に由ることであり、その本質である自分が希薄化してしまう。 欧米で自由の権利を求めて血を流した人たちも、王権などによる束縛を体験していました。その人たちにとって自由は切実なもの。ただ、それを継承する人たちには、その切実さは伴いにくい。そこに罠が潜みます。 平成の日本経済は、この罠にはまってしまったのかもしれません。そんな自由の罠に意識的になって、歴史や先人から学んでいく。すると「なせばなる」の地平が開けて来る。この言葉の主語が立ち現われます。
2019/05/10





