3章 フライパンの歴史
人類の誕生とともに、まず生まれたものは、道具でした。 「どうしたら、健康的で、おいしく食べられるか」その本性に従って人間は、自然と考えたのだと思います。 そこで発明されたのが、石器や土器といった食べるための道具でした。 パスカルの「人間は考える葦である。」デカルトの「われ考えるゆえに、われあり。」その考察は、きっとお料理から始まったのでしょう。 そして、それをさらに深めて、人間は人間らしくなり、文明文化が生まれて参ります。
やがて歴史は流れて、日本では弥生時代となり、稲作が始まりました。 お米はそのままでは食べることができません。そこで、道具とともに大きな発見となったのが、火を利用することでした。 熱を通すことで殺菌作用もある。すなわち、道具と火によって、健康的で美味しく食べることを発見したのです。 しかも、お米は貯蔵ができます。もはや狩猟生活する必要はなく、定住できるようになります。 余暇が生まれることで考察は深まり、文明文化は発達することになります。
お米に熱を通していた当時の土器は、蒸し器のようなものでありましたが、やがて鉄などの熱伝導性に優れた金属が発明されます。 それは、武器にもなりましたが、そこで肉や魚などを短時間に火を通すことができる。 また、大航海時代に至り、肉を保存できる香辛料がヨーロッパでは必要とされて、世界経済を動かす貿易産品となります。 そこには、きっとフライパンの原型があったのだと思います。手軽に熱を通すことができる道具として進化して参ります。

私が生まれた1960年代には、デュポン社(当時)のフッ素樹脂であるテフロンがコーティングされたフライパンが発売されました。 当店でも「フジマルのフライパン」として落語家の林屋三平師匠が宣伝塔となり、汚れが落としやすいフライパンとして大ヒットいたしました。 このようにフライパンは、料理と同じく考察することによって出来上がったものであることが分かります。 そのため、フライパンは、料理の本質を教えてくれるのです。「まず、自分の頭で考えなさい。」




