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FRの書評

2019年1月22日

料理とは自分で考えること

大学時代の同窓生の経済評論家が、合理的な家事経営まで研究されていて、 今回「勝間式食事ハック」(勝間和代著 宝島社)を興味深く読ませて頂きました。 まずは、食事を整えることの価値を、著者らしい表現で語っていました。 「食事を整えるという事は、食事の生産性を上げるだけではなく、人生の生産性を上げることにつながります。」 タイトルが、「食事ハック」とあるのですが、ハックとは「確かな技術に支えられた気の利いた手段で、より簡単に、 より効率よく、より快適に、仕事の質や生産性を高めるようなテクニック」合理的な方法とでも言えるでしょうか。 その内容は、理論と実践に分けて、論理的に語られていました。 そして、実践では、最新のテクノロジーと呼ばれる調理家電品を使うことの提案でした。 調理家電品でない鍋やフライパンを販売する私の立場から、今回は少々批判的に読ませて頂きました。


勝間式食事ハック(勝間和代著・宝島社)

まずは、「加工食品に侵略されている私たちの食卓」というフレーズで、現状分析から説きおこします。 そして、「工業製品になった食事を食べ続けた私たちは、生活習慣病という形で今そのツケを払っており、 社会保障費が増大しています。これは経済学用語では『外部不経済』という問題でして、 公害を発生させながら製造業を続けた企業等が成り立たなくなったように、 私たちも自分の健康を害してまで続けるような加工食品生活がもはや成り立たなくなっているのです。」 ここで、私としては、加工食品そのものに問題があるのではなく、加工食品に頼り過ぎる生活、 その生きる態度に問題があると考えます。 加工食品も賢く見極めて使うべきでしょう。 加工食品とは、基本的には他人が作ったものに依存することでもあります。 それに依存してしまい、自分で考えなくなること、自分で責任を持たなくなることに、問題の本質があるように感じます。

その点では、著者のように、自分で考えて理論を整理して、それを自分なりの方法で実践しているところには、 今の人たちが見習うべき点があると思いました。 ただ気をつけたいのは、この本を読んで、単に著者の理論と実践を受け売りにしてしまえば、 それこそ加工食品に依存することと同じだと思いました。 その点を見極めて読み進める必要もあり、その点でも少し批判的に読んだ方が相応しいとも思われました。 そこで、「料理の決め手は加熱である」として加熱の理論を紹介してくれている点は共感できるのですが、 鍋やフライパンを使わずに調理家電品のみで調理するスタイルは、個人的には違和感を覚えました。 それは、私が鍋やフライパンを販売する立場でもあるからかもしれません。 その点を加味して、私の文章も批判的に読まれて下さい。

私の視点からすると、調理家電品はじめ最新のテクノロジーなるものも、加工食品と同列の工業製品であり、 同じようにそれに依存することで、加工食品と同じ結果を招くことになりかねない。 ですから、それらも賢く使う必要があります。そこで、料理することとは何か。 それは、単に食事を作るだけではなく、人間の思考と感性(五感)を駆使して、人間性を磨くことでもあった。 著者も、違った趣旨かもしれませんが、右のようにも語っています。 「毎日自分が食べるものを自分で作ると、社会に対して向き合う気力が出てきます。 環境問題や動物保護の問題、途上国と先進国の格差の問題、社会規範や企業の規制の問題など 自分の食を起点に社会に対する見方が全く変わってくるのです。」 自分で作るというよりも、自分で考えるという表現の方が適切かもしれませんが、 お料理することで、社会的な視野が広がって、より人間らしくなって行ける。

実は、鍋やフライパンの料理とは、思考の門であり、その火加減や水加減を主体的に考える行為ともいえます。 そして、食材の状態は常に変化する。周りの室温や湿度も変化する。 作り手の体調も精神状態も変化する。 そのような中で、最適解を常に考えながら調理するので、実は料理とは大変なもの。 しかし、美味しさや笑顔という報いとともに、気力だけではなく、生きがいまで生まれて参ります。 それを機械にすべて任せてしまうことは、人間の成長や成熟を妨げてしまうように感じるのです。 例えば、電子炊飯器は大変便利ですが、本来はお鍋でご飯を炊くことを通じて、お料理のイロハを学べるところが、 その機会を失っているかもしれません。 工業化が進む中では、人間の思考と感性を働かす場が失われないように気を付けていく必要があります。 それらを通じて最終的に決断する意思も育まれます。その意思こそ、人間が人間たる本質の部分だと思います。

文明の始まりに遡ると、石器とともに、人間が作り出した道具が土器と呼ばれる鍋でした。 素材などは変わって来たものの、その基本的なフォルムなどは、有史以来変わりません。 鍋やフライパンは、人間の思考と感性を育んでくれた道具とも言えるでしょう。 その道具とともに人間は人間らしくなって行った。 そして、2011年に原発事故が教えてくれたように、電気のみに依存してはならない。 たとえ電気がなくても生きて行ける道具が必要とされています。 さらに大きな災害が、明日押し寄せるかもしれません。 常にその備えが必要だあり、鍋とフライパンは、ほんの少しの知識があれば、たとえ電気がなくても使えるのです。 そして、シンプルな作りですので、故障することはありません。 基本的に丸洗いができて、隅々まで洗浄できて衛生的です。 そして、何よりも人間の思考と感性を働かせる余地を残してくれている。 人間の意思を尊重してくれる道具だと思います。

加えて、調理家電品であっても、それを使いこなすには、試行錯誤を繰り返す必要があると思います。 食材の状態、食材の量、食材の切り口、他の食材との組み合わせはじめ、お料理には複合的な条件が生じるのですが、 それを調理家電品に合わせること、使い慣れるとも言えますが、それが必要となります。 著者が調理家電品を使いこなすまでには、まずは理論を学ぶことからはじまって、 実験の繰り返しを行い、そこに至るまでには少なからず時間を費やしていると想像できます。 その時、調理家電品と聞いて、何も学ばず、何も考えず、スイッチ一つで何でも美味しくなると 短絡的に理解してはいけないでしょう。 本来のお料理とは、学びと試行錯誤があって美味しさは生まれます。 道具を使いこなすためには、知識と経験が必要です。 また、道具を売る側も、何か幻想を抱かせるのではなく、その点での啓蒙をしていくべきでしょう。

冒頭で「人生の生産性を上げる」と著者が語っていた、その生産性を上げるとは何か。 私なりに、それは愛することだと思います。食事を整えることは、それと直結しています。 お料理作りを通じて、思考、感性、そして意思が育まれます。 これらが調和することで、愛すると呼ばれる高嶺に到達します。 また、それそのもの、それが育まれる場が、心という聖域。 そして、その心と密接につながっているものが、手という器官だと思います。 ですから、手作りという言葉には、何か抗えないものを感じます。 きっと私たちが、おじいちゃん、おばあちゃん、そして両親たちに育てられた手を感じているからでしょう。 その手とともに働くのが道具であり、大切なのは手であり、心だと思います。 この時代、方法論に先走ってしまい、心を見失いやすいのだと思います。 毎日のお料理作りは、真心を込めながら、人間性を高めていることにも気づいて参りたいです。