料理道具専門店 フライパン倶楽部

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商人日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何かを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。

フェイスブックTV番組「しあわせのお料理道具」が 最終回を迎えました。 動画を通じて商品を紹介する番組でしたが、その放送局であるぷれまTVさんを ご紹介下さったのがレンタルスペースFarmersの木村和明さんでした。 また、木村さんをご紹介下ったのが、豊橋市役所の文化・スポーツ部の伊藤紀治部長でした。 そんな時、NHK「日曜美術館」で写真家のソール・ライターの特集が組まれていて、 ライターの展示会に訪れていた人が何気なくライターの生き方を語っていました。 「人間がすごくローカルに生きれば生きるほど、より普遍的になる。」 フライパン倶楽部の今後の方向性を感じた言葉でもあり、この「ロカールに生きる」ことを ぷれまTVさんが後押ししてくれる可能性を感じました。 そこには、歴史に裏付けられた個性でありアイデンティティ、そのものらしさが表出して参ります。 そんな自由は誰もが求めているものでしょう。 そして、それは求めていくこと、新しい出会いを重ねていくことで近づいていくものでしょう。 新年に向かって、自分が自分になれる新たな挑戦をして参りたいです。 2020年12月28日



わが故郷を舞台としたNHK朝ドラ「エール」が幕を閉じました。 エールとは、送られる人だけではなく、送る人も元気にすると感じました。 それは、音楽でも同じで、聞く人だけではなく、歌う人および作った人も元気にする。 両者ともに元気になる。その意味では、買う人だけではなく、売る人も元気にする。 そこで見えてくるのが、互いの豊かな関係性であり、それが人間にとっての普遍的な価値でしょう。 エールの主人公は、楽曲作りに何か足りないものを感じていましたが、 その足りないものが見つかったと最終週で語っていました。 「いつ会っても出会ったころのように騒げる仲間がいる。 これ以上の幸せってあるのかな。何よりも尊いのは、人と人とのつながりだと思う。」 このように音楽が人と人を結ぶものなら、商人が提供する道具もまた然りでしょう。 まずは、そこを見つめて仕事に取り組んで参りたいです。 このドラマによって、視聴者はもちろん、制作に携わった皆さんも元気になったのではないでしょうか。 このドラマを生み出した古関裕而夫妻をはじめ先人たちに敬意を表したいです。 2020年12月3日



豊橋生まれでノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんがご逝去されました。 わが故郷では、科学技術の振興に大きく貢献した「もう一人のまさとし」さんを忘れてはなりません。 吉田(豊橋)藩の藩主であった大河内松平家に婿養子となった大河内正敏さんです。 大河内さんは、理化学研究所で主任研究員制度を導入して、 すべての主任研究員を同じ立場に置いて、研究テーマ・予算・人事などの権限を付与します。 そこで育った同じくノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんは、「科学者の自由な楽園」と表現して語っていました。 「研究にとって何より必須な条件は、なんといっても人間である。 そして、その人間の良心を信頼して全く自主的に自由にやらせてみることだ。」 大河内さんは、その楽園で生まれた研究を事業化して稼ぐことで、科学者を育てたのです。 その精神を継承したのが小柴さんであり、生前熱く語っていました。 「人に言い付けられたからやると言うことは一切なかった。私はそれが一番大事なことだと感じている。 皆さんに言いたい。『これをやりたい』と自分で意思決定するのが一番いい。」 2020年11月21日



会社とは何なのか。最近それは、人を作る場だと感じます。 その人とは、社長である自分はもちろん、社員一人一人の成長の場である。 このコロナ禍の今までとは違った状況は、人が成長する絶好の機会でもあります。 逆境の時こそ人は成長するとも感じます。 それを「命に感謝して、命を育む」と表現されているのが、イノチオホールディングスの石黒功社長です。 「愛情をもって社員とかかわり、社員の成長のために全力を尽くす」 この言葉を自社のホームページに掲げています。 そんな石黒社長が、奥様とご来店下さり、社員の結婚御祝のお品を探しておられました。 「自分の手で人生を切り拓いていく願い込めて、その象徴である包丁を贈られたらいかがでしょうか。」 そんな私の提案に賛同頂き、包丁を購入頂きました。 それは、自分にとっては、大きな自信となりました。 自社の社員だけではなく、他社の若手社長を育てる視点もお持ちなのだとも感じました。 そうなると、石黒社長に恥ずかしくない仕事をしなければと襟を正されるのです。 今一度、受けた愛情に感謝して、社員の命を育んで参りたいです。 2020年11月14日



芦田愛菜さん主演の映画「星の子」を夫婦で観て参りました。 親の信じる宗教あるいは世界観のもとで育ち、そこから自立していく物語でした。 いつしか親は自分の信仰を子供に押し付けてしまうことがあります。 しかし、信じることは個人の領域であり、家族という繋がりを越えたもの。 その点で、信じる世界は孤独です。 ただ、それゆえに、人真似ではない自分の意思が立ち現れます。 そして、愛情を受けて独り立つこと、そこに本来の信仰があります。 その点で、信仰は自立と結び付いています。 愛菜さん演じる中学生ちひろの環境は、両親の信じる新興宗教が、世間的には異質な要素があり、 社会の中ではさまざまな葛藤が生じます。 その葛藤を通じて、傷つきながらも、自分の信じるものを模索して行きます。 そこで陥る孤独と不安。それを乗り越えてこそ、見えてくる光がある。 かたや、今日の子供たちが育つ環境は、事前にその葛藤を取り除いてしまい、自立を妨げていることがあります。 特異で固有なそれぞれの境遇は、時に人生の障害と見えます。 しかし、真摯に向き合えば、自分を見つける宝物となります。 2020年11月5日



掛川森林果樹公園に出掛けましたが、そこに二宮尊徳の銅像があり、「積小為大(せきしょういだい)」 という言葉が刻まれていました。小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。 それは、信用を積むことでしょう。 今日政府は、コロナ禍の中で、さまざまな施策を迅速に打っていることは敬意を表します。 ただ、国債発行あるいは、紙幣を増刷することには、慎重になるべきでしょう。 紙幣である日本銀行券は、金貨のような価値はなく紙きれに過ぎませんが、そこには信用があります。 その信用こそ、先人たちの労働の対価として形成されてきた。 それが二宮尊徳の教えでもあり、その労働には、勤勉を美徳とするモラルがありました。 しかし、金融政策のもとで紙幣を増刷することは、そのモラルを壊しかねません。 子供たちに借金を残さないことではなく、汗水働いて稼ぐことの尊さを継承することが本質のように思います。 小売業とは、小さく売り続ける業と書きますが、その労働こそ、紙幣の価値を生んでいると考えます。 そんな小さな仕事を地道に行って日本銀行券の信用を守っていきたいです。 2020年11月2日



豊橋市の市長選が近づいています。ちょうど、この時期に豊橋市行財政改革懇談会の委員となり、 市の財政のことを学んでいました。市の貯金である準備金が少なくなっているものの、 かたや老朽化した建物や道路等を維持していく必要が差し迫っている。 すると、お隣の岡崎市で一足早く市長選があり、 一律5万円を市民全員に給付する政策を掲げた新人候補が当選しました。 現職で落選した候補者の敗戦の弁は「財政を知らない人の政策だ。」 国家財政を見ると、借金である国債残高は897兆円(税収14年分相当)と年々歳々膨らんでいます。 不足したら国債を発行すれば良いと考える傾向が強まっている様相です。 しかし、これは将来世代へのツケに過ぎません。 その点で、自分たちの納める税金が何に使われているのかを市民が正しく知ること。 そして、市長は財政の実状を市民に分かりやすく語ること。 すると、危惧していたかのように、豊橋市の候補者まで同じ政策を突然掲げました。 幸いすぐに取り下げましたが、財政を知らなければ、正しい選択ができないかもしれません。 市長を選ぶ前に、市の台所事情を知るべし。 2020年10月30日



故郷豊橋の長尾巻牧師から感化を受けた賀川豊彦のことを調べていた時に、 「妻恋歌」という詩を知りました。 賀川は神戸の貧民窟に単身で入って行きます。 その後、しばらくして妻ハルが賀川と結婚して、この貧民窟に入って生活します。 賀川の覚悟はもちろんですが、結婚39年目の妻に贈った右の詩を通じて、 その妻の覚悟に心を強く打たれました。 「わが妻恋し いと恋し 三十九年の泥道を ともにふみきし妻恋し 工場街の裏道に 貧民窟の街頭に 共に祈りし妻恋し 憲兵隊の裏門に 未決監の窓口に 泣きもしないで たたずみし わが妻恋し いと恋し 千万金を手にしつつ 襦袢(じゅばん)の袖口つくろいて 人に施す妻恋し 財布の底をはたきつつ 書物数えて売りに行く 無口な強き妻恋し あられに霜に雷鳴に 傘もささずに走り行く 強きわが妻いと恋し 緑の髪は白くなり 肌には深き皺よせて 若きかんばせ(顔つき)失せゆけど 霊のわが妻いと恋し めしい(盲人)の夫の手を引きて みめぐみ数える 妻恋し 一九五〇 ・ 一二 ・ 六 これだけが私のあなたへのクリスマスプレゼントです。」 この詩を通じて、夫婦のあり方を教えて頂きました。 2020年10月20日



本日から豊橋まつりの開催でしたが、コロナ禍の中で、今年は中止となりました。 そもそも豊橋まつりとは何か。 昭和21年に豊橋市が中心となり市民祭を開催。昭和26年には、豊橋商工会議所に協力を依頼。 商工協賛会を結成するものの商売色が濃くなってしまう。 全市民参加の盛大なものを目指して、伝統ある祇園祭に合流して開催するものの失敗に終わる。 そこで、豊橋商工会議所では「豊橋まつりの糸口を見つける会」を結成して、 総代会、婦人会、青年団、経済界、報道関係者を巻き込みます。 まつりとは何か。本質的な議論を深めます。 その時、戦後間もない占領下にあり、公の場で戦没者を追悼できませんでした。 そして、わが故郷は軍都であったため、多くの戦没者とその遺族がいました。 そこで、東三河招魂祭を開催して、その協賛行事として、再生市民祭である第一回の豊橋まつりを挙行します。 商人こそ、先人たちの生き様に思いを致して、感謝および恩返しを主導していくべきでしょう。 ただ、今日では、万人が追悼を自由にできること。 そして、原点に立ち返り、まつりの目的をみんなで考え直す時です。 2020年10月17日



わが故郷出身の村井弦斎の小説「食道楽」では、幸福を右のように提示していました。 「八畳敷の座敷を我が居室と定めてその中に悠々自適するの覚悟があればその人は 自ら幸福を感じ得られますが八畳では狭い十畳にしたい、十畳では狭い十二畳にしたいと 何処までも欲望を進めていったら千畳敷の座敷へ入っても満足の心は起こりません。 幸福とは何であるといえば自ら満足するという事です。 満足は何であるかといえば覚悟の範囲を充たすという事です。 良人(おっと)は妻に満足し、妻は良人に満足するのが幸福です。」 人間の欲とは、「ここまで」と範囲を定めた覚悟がなければ、どこまで行っても満たされない。 かたや、覚悟の土台にある人間の意思とは、そこに信じることも働けば、その通りとなる。 覚悟とは、自分の分あるいは人間の分を知ることであり、それを素直に受け入れる意思でもあります。 本来自分が受けるには相応しくないのに、一方的に頂いたことへの感謝が溢れてくる。 その覚悟にこそ、自らを律する本来の自由が潜みます。 その覚悟や自由は、台所および食卓で育まれます。 2020年10月8日



福沢諭吉の言葉に「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり。」 夫婦の関係、結婚を重んじていましたが、そのベースには女性への温かな眼差しがありました。 それは決して女性だけではなく、人間全般に及んでいましたが、 この時代も、そのような眼差しを忘れていないかを反省してみたいです。 そこには、人格を尊重する態度があります。 人格を尊重するとは、相手の自由意思を尊重することであり、 それを愛すると表現できるかもしれません。 夫婦は、対等な人間関係であり、支配被支配の関係ではありません。 同じく福沢の言葉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」に通じます。 これを右のようにも言い換えることができるでしょう。 「天は女性の上に男性を造らず男性の下に女性を造らず」 まだまだ日本の社会の中にも、ここに至れない慣習や思い違いなどがつきまといます。 しかし、互いの自由意思で出発した結婚。夫婦こそ互いに自由なり。互いの自由を尊重します。 それは人間関係の鑑でもあるのでしょう。 そこにある温かな眼差しこそ、商売の要諦でもあり、それを求めて参りたいです。 2020年9月29日



清川正二さんのことを調べていて、中部ガスグループの神野信郎さんが生前しばしば語っていた 近代オリンピック創始者クーベルタンの言葉と再会いたしました。 「The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle.」 ここでは、オリンピック競技が人生と同列に置かれています。 人生で最も大切なことは、大勝利(triumph)ではなくて、苦闘(struggle)である。 struggleには、もがく、あがくといった苦しみが伴います。 また、良く戦う(have fought well)とも言い換えています。 すると、同じ街で、街づくりにも励んでいる黒野有一郎さんが何気なく語っていた 「何かをするというよりも、まずは健康でいることだよ。」を思い出しました。 それは、健康であれば、必然とアイデアは生まれる。行動が生まれる。結果として良く戦える。 そこには、自分を信じる自信も潜んでいると思います。 そこで、本質的には、良く食べることに至ります。 ここには、なぜ働くかという、当社なりの答えも立ち現れます。 2020年9月18日



わが故郷・豊橋出身の五輪金メダリストに清川正二(まさじ)さんがおられます。 1932年のロサンゼルス大会の背泳100mの競技で、その時は、金銀銅の3つのメダルを日本が獲得しました。 そんな清川さんは、その後、総合商社で活躍して最後は社長となります。 かたや、競技にも二足の草鞋で参加して、後進の古橋廣之進さんなどを 日本代表のヘッドコーチとして育てます。 さらに、IOCの理事となり日本人初の副会長に選出されます。 折しも、名古屋への五輪誘致の時には、「IOC委員は高潔な人々。過剰な接待はかえって反感を買う。」 ところが、過剰な接待をしたソウルに名古屋は負けてしまいます。 それだけではなく、五輪の商業主義はますます肥大化。 以前はアマチュアにしか選手資格がなったものの、 いつしかプロ選手の参加が当たり前。 近代オリンピックの創始者であるクーベルタンの理念(オリンピズム)とは何であったのか。 その原点に返ることを主張していたのが清川さんだったと思います。 コロナ禍で延期となった東京五輪は、ここで立ち止まり深く考えるように促されているようです。 2020年9月14日



昨今のコロナ禍でしばしば、「自分の命を守りましょう。そして、大切な人の命を守りましょう。」 そんな時、大切な人とは、家族や親族などのことを意味しているのだと思います。 しかし、本来人は、どの人も大切であり、そこに敢えて「大切な」を付けるのは、 その前提が崩れている現実があるのかもしれません。 また、「大切な人」と括ってしまうと、「大切でない人」が存在することにもなり、 この言葉が相対性を秘めている言葉と言えるでしょう。 日本の外人という言葉、ユダヤ教の異邦人、教会などの未信者・・・ 何かそれらに連なる差別的な響きがつきまといます。 それが、大切であるか否かを決めるのは、その言葉を使っている当人となり、 その価値判断を人間が下してしまうことに違和感を感じるのかもしれません。 本来人は、誰に言われなくても、厳然と大切なんだとも言えます。 では、なぜ人は大切なのか。それは、宗教的なこと、哲学的なことに至るかもしれません。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 その思索を深めることがコロナ禍で求められています。 2020年9月7日



ステンレス製鍋のハンドルの修理にご来店下さったお客様がいました。 しかし、そのアメリカ製のメーカーは、当社では扱い実績がありません。 そこで、インターネットで検索してみると、すでに国内では販売されていませんでしたが、 国内で部品を販売されている方を見つけました。 その販売サイトでは、「私はこのハンドルの販売で利益を上げている訳ではありません。 ただ、あまりにも沢山のお客様からの問い合わせがあり、困っていらっしゃる方も多いので、 何とかしたいなあと思っているのです。せっかくいいお鍋を長い間使って頂いているので、 お鍋に命がある限り使って頂きたいのです。」ここに商人の心を感じました。 すると、今度は以前当店で扱っていたものの廃止商品になった同じくステンレス製鍋の修理の ご相談を頂きました。販売元には、残念ながら修理を断られてしまいました。 しかし、そのお鍋の下請け製造会社を知っていましたので、お願いしてみました。 すると、再研磨までして、本日ピカピカで戻って参りました。 使い込んで来た道具とは、お金では変えられない価値があるのでしょう。 2020年8月29日



わが故郷、田原市赤羽根町の出身である東京ヤクルトスワローズの小川泰弘投手が ノーヒットノーランを達成しました。 8回に野手の失策がありピンチを招きます。その時に、その野手が小川投手に駆け寄って詫びます。 すると、小川投手は、顔色一つ変えずに、彼の胸に軽くグラブでポンと叩いた様子が印象的でした。 30歳となり精神的にも大きく成長した姿を見たようでした。 彼は、田原の公立校である成章高校時代には、21世紀枠で甲子園のマウンドを踏んでいます。 しかし、決してエリートコースではありませんでした。 同じくわが故郷の公立校である蒲郡高校の出身の同世代が、 福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大(こうだい)投手です。 今は日本のエース級の存在ともなっています。 二人とも、野武士のように駆け上がったことが共通しています。 大樹に寄り掛かるのではなく、自分で考えて、自分の手で道を切り拓いてきた。 私が好きなのは、彼らのひたむきな眼差しです。 あまり人を褒めない福沢諭吉が「痩せ我慢の説」で激賞していた三河武士たちも、 きっと同じ眼差しを持っていたのでしょう。 2020年8月20日



NHKラジオ「子ども科学電話相談」で小学1年生の女の子が「時間はどうして動くのか」と質問をしていました。 天文学者の本間希樹(まれき)先生は、時間をかけて丁寧に回答していましたが、悪戦苦闘している姿が伺えました。 「一番早い光の速さが有限であるから」そのやりとりに、不思議と目頭が熱くなったのですが、 子供が「なぜだろう?」と考える姿に心を打たれたのか、真摯に答えている大人の姿に心を打たれたのか。 そのどちらともであったかのもしれません。 先日、親子でホットケーキを焼く食育講座のアシスタントを務めました。 ホットケーキを裏返して、綺麗な焼き色が見えた瞬間に、大きな歓声があがりました。 そして、そのホットケーキを5〜6枚ほど積み上げて食べている時の満足そうな笑顔。 ある子供は、休憩中に突然、教える私たちの似顔絵をホワイトボードに描きだしました。 ある子供は、「新しいフライパンを買って」と、私の立場を思いやるかのように母親を促していました。 コロナ禍の特別な夏休み。あのホットケーキは、生涯忘れない豊かな想い出となったようです。 2020年8月8日



慶應義塾大学の細谷雄一教授が読売新聞で「風の谷のナウシカ」の世界が現実になったと語っていました。 「王蟲(オーム)は、新型コロナウイルスのメタファー(隠喩)のようだ。両者は自然を守るために、 これ以上人間が環境破壊を続け、汚染をまき散らすのを阻止しようとしているのか。 人間が活動を縮小することによって、自然は再び息を吹き返し、力強く再生していく。」 顧みると、空気が汚染された中国。豪華なクルーズ船。風俗文化が爛熟したニューヨーク。そして、東京・・・ 感染の広がるところは、何かを示唆しているようです。 すると、王蟲という巨大な蟲(むし)は、破壊者ではなく、人類を覚醒させる存在に思えて参ります。 本当に大切なものは何か。家族や地域という足元のつながりを今一度見つめ直すこと。 自分を育ててくれた故郷の山、海、川。あるいは大空であり踏みしめる大地。 「そう考えると新型コロナウイルスも、自然界と人間界のバランスを回復する役割を担っている。」 何のために生きるのか。何のために売るのか。新型コロナウイルスは、私たちに問いかけます。 2020年7月22日



自由民主党の自由とは何か。地元選出で党所属の国会議員に尋ねたことがありました。 「経済的な自由ですかね。考えさせて下さい。」 日本で生活している者は、この自由に無頓着となっているかもしれません。 国際政治の現場を知る国会議員であれば、それが次第に見えてくるのだと思いますが、 現役の国会議員には、この自由への洞察を深めて頂きたい。 私が学生時代だったころに天安門事件がありました。 同じ年頃の学生が国のために命を張っている。 バブル景気に踊らされていている仲間たちとは、雲泥の差を感じました。 しかし、わが国の歴史をたどると、聖徳太子の時代より、この自由を標榜してきたのだと思います。 この時期、香港では、国家安全維持法が施行されました。 台湾の人たちも、同じような危機に曝されています。 結局自由とは、自分のことだけではなく、他者の自由を尊重するものであり、他者への思いやりが存在します。 今こそ、与党自由民主党ならびに日本の国会議員たちにも声をあげて頂きたい。 この時、声をあげなければ、自由を標榜する政党および国家とは言えません。 2020年7月9日



NHK連続テレビ小説「エール」の主題歌で登場するのが、わが故郷の表浜海岸です。 故郷の小学生は5年生になると、この海岸近くの野外教育センターで研修をするのが慣習です。 その宿泊棟から、仲間たちと地平線を眺めていたのが懐かしい思い出です。 妨げるものが何もなく、太平洋を眺望できるのですが、その向こうに点在する島々では、激戦が繰り広げられました。 ほんの75年前にあった戦争は、太平洋戦争とも呼ばれました。 海行かばとガダルカナル島、サイパン島、硫黄島、ペリリュー島、テニアン島、ブーゲンビル島、アッツ島・・・ その海岸の西端には、全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑があり、 そこには金属板に太平洋の地図が彫られて、これらの島々の名前と戦死者の数が克明に刻まれています。 この表浜海岸は、日本の真ん中に位置して、島々がある太平洋を一望できる地として 慰霊碑建立の地に選定されたようです。 その事実を知った上で、この太平洋を眺めると、また違った景色が見えて参ります。 その波の音、その風の音にじっと耳を傾けると、この時代を生きる私たちへのエールが聞こえてくるのです。 2020年6月26日



めぐみさんとの再会を果たせずに横田滋さんがお亡くなりになりました。 この問題は、拉致被害者だけの問題ではなく、国家主権に関わる問題だと息子の拓也さんが語っていました。 まだ拉致の事実が発覚しない夕闇迫る校舎で、われら学生たちに語っていた江藤淳先生を思い出しました。 日本は独立国家であるのか。当時の私には、先生の切実さが分かりませんでした。 そして、保守を名乗る政治家たちの行動は変わって参りました。 総理も「拉致問題については、日本が主導的に解決をしなければ、 残念ながら他の国がやってくれるということはありません。」 そして、今日では、自分が北朝鮮のトップと交渉して解決すると公言しています。 かたや、国民のあり方は如何。生命に関わる重大事を合衆国をはじめ他人任せにしていないか。 それが習い性となっていないか。その延長線上に今日の拉致問題があるのではないか。 コロナ禍からの明日への道標は、誰かに依存することをやめて、自らの足で立ち上がることでしょう。 めぐみさんの叫び、江藤先生の叫びが、われら世代の胸に深く響きます。 2020年6月11日



わが故郷の東部には、愛知県と静岡県との県境に位置する弓張山地があり、 そこには豊橋自然歩道が整備されています。 ここ最近は、この歩道を散策するのがお決まりのコースとなりました。 この季節、新緑萌える美しい山並みの中を小鳥たちが鳴きながら飛び交って行きます。 その鳴き声に不思議と癒されますが、それは、天からのエールのようにも響きます。 ちょうど、NHK連続テレビ小説「エール」が放映されていますが、 商人こそ明るい声を出して、エールを送る存在であるのかもしれません。 商店では、いつも「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」が響いていますが、 この当たり前の声に、訪れる人たちは、見えないところで、勇気や力を頂いてきたように思います。 商品はもちろんですが、そこに添える商人の声にこそ大きな力が秘められている。 商店街で育った私は、まさにそのような声で育って参りました。 そして、このような時機だからこそ、商人は、なおのこと心を込めて声を掛けていく時でしょう。 この季節、小鳥たちにならって声を響かせて参りたいです。 2020年6月2日



渡辺崋山の言葉「眼前の繰り廻しに百年の計を忘するなかれ」が心に響く時節です。 この1か月「原発メルトダウンへの道」(新潮社)を読んでいました。 先の戦争の原因をわが国の石油等の資源不足と見立てて、戦後それを解消する原子力発電を国策として推進します。 しかし、福島原発事故が勃発。 さらに、使用済み核燃料を処理して発電させる高速増殖炉もんじゅは実用できないまま廃炉。 その結果、使用済み核燃料をリサイクルするための六ケ所処理工場は審査が先日合格となるものの、 そもそも処理したものを本格的に使えるところがありません。 加えて、リサイクルできなければ、この先ずっと監視が必要な使用済み核燃料は溜まる一方で、保管できるところがなくなる。 原発の軌跡をたどると、政治家や経済人は、まずはやってみようと果敢に行動していました。 かたや、科学者の存在は、それにブレーキをかけることにありました。 その時、お互いの立場を尊重して、偏らずに公平に冷静に議論できるかが問われます。 これは、今日のコロナ禍からの出口戦略にも通じます。 2020年5月16日



高校時代の恩師である別所興一先生は折々、地方新聞に論考を寄稿されています。 その紙上で、私たち教え子は叱咤激励を頂きます。 今回は「司馬遼太郎が次世代に期待した人間像」と題して、ご自分ではなく司馬さんの 言葉を引用しながら、新型コロナウイルス禍からの新しい出発を促していました。 やはり、先生と呼ばれる人たちは、人間的な成功ではなく、 人間としての成長をのぞんでいるのだと心穏やかにされます。 「先に私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。 いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、 自己は確立されていくのである。」その司馬さんの言葉に、商人とは、人の痛みの分かる人だと見えて参ります。 ですから、苦労があるほど、いたわりが醸成されて、商人らしくなっていく。 そして、いたわるための訓練とは何か。それは、今日のような状況から逃げずに、 きちんと受け止めて前を向くこと。「さあ、おまえたちの時代だぞ!」と先生の声が聞こえてくるようです。 2020年4月28日



私の両親は、喜寿と傘寿を迎えて、今日も現役で働いてくれています。 明日の街とは、このように高齢者が元気で働くあるいは暮らしていることでしょう。 この時期に、「アルプスの少女ハイジ」の原作を読み返していましたが、ご高齢の登場人物たちに涙が溢れて参りました。 その存在だけで心を揺さぶられるのは、目の見えないペーターのおばあさんです。 このおばあさんが、個人的に私のおおばあさんと重なります。 ある日曜日に家の階段でおおばあさんと擦れ違い、その直後に、おおばあさんは、 階段から落下して、それが致命傷となりました。 病院に入院すると、私の名前「よっちゃん。よっちゃん。」と呼んでくれて亡くなりました。 あの時、手を貸していればとの後悔とともに、注いで頂いた愛情をこの年となって感じています。 そして、ハイジのおじいさん、クララのおばあさんも、どこかでお世話になった高齢者のみなさんと重なります。 これらご高齢の登場人物たちこそ、物語のキーマンでした。 同じく街のキーマンも、人生の酸いも甘いも知る愛情深い高齢者の皆さんでしょう。 2020年4月23日



天皇陛下が稲の種まきをされていました。 作業着で土に向き合うお姿に「Keep Calm and Carry On」(平静を保ち、普段の生活を続けよ)を思いました。 この言葉は、第二次世界大戦で、イギリス政府が国民に向けて発したメッセージ。 このコロナ禍の中で、同じく私たち国民にも求められている態度でもあると思います。 それを陛下が率先垂範されているようにも思い、そのお姿に不思議と心が落ち着いて参ります。 国難とともにある天皇。天皇制は、われら日本国民に与えられている特権だと感じます。 その天皇の立ち居振る舞いは、緊急事態の時に急にできるものではなく、平時の、あるいは普段のあり方の延長のように思います。 やがて、首都直下地震、富士山噴火、東南海沖地震などなど、今回以上のような事態が想定されます。 一国民として、覚悟を定めて備えて参りたいです。 そして、普段の生活を続けるとは、「今何ができるのか。今何をすべきなのか。」自らに問いかけて、 静かであっても、深く強く人生に向き合っていくことでしょう。 この時、じっと土に向き合う陛下にならいたいです。 2020年4月16日



新型コロナウイルス感染を防ぐための緊急事態宣言が発令されましたが、 休業要請に対して、誰が休業補償するかが議論されています。 本来、企業経営者は、今回のような緊急時を想定して貯えをしておくべきでしょう。 大企業の多くは、今まで内部留保をしていた訳で、今回のような事態にこそ対応できます。 踏ん張りたいのは、われわれのような中小企業ですが、あくまでわれらも独立した会社です。 役所とは違った、政府から独立した存在であり、政府のおかかえ会社ではありません。 もちろん、自由を標榜するわが国政府は、強制ではなく要請で対応しています。 会社の私権を制限しないことは、会社の独立を尊重していることでもあり、会社には責任があるととらえたい。 いつしか、日本の企業経営者は、この独立心を失っていないだろうか。 あくまで、私たちは、国を支える存在であり、国に支えてもらう存在ではない。 それができないのであれば猛省して、企業経営をゼロからやり直すべきでしょう。 それでも、痩せガエルのように気概だけは失いたくない。商人の独立が問われています。 2020年4月11日



NHK朝ドラで、わが故郷出身の古関金子(きんこ)さんと夫で作曲家の 古関裕而(ゆうじ)さん夫妻をモデルにした「エール」が始まりました。 今回の東京オリンピック・パラリンピックでは、震災復興を掲げているゆえか、 被災地・福島市出身の裕而さんの物語が選ばれたようです。 ところが、コロナウイルス禍の真っただ中で1年の延期となりました。 震災から今月で9年目を迎えましたが、原発の問題は未だ残ったままです。 本来の復興とは、この問題を解決していくことでもあるでしょう。 どうして原発事故が生じたのか。どうして原発を建設したのか。 核廃棄物の処理方法は建設当初から今日に至っても確定していません。 経済性を最優先する世の風潮が、いつしか楽しみだけを求めて人の痛みにも鈍くなってしまった。 もし、東京五輪が予定通りに開催されていたら、被災地の皆さんとの溝は深まったかもしれません。 被災地の皆さんの立場を慮るようにと、今回の事態は天からのエールのようにも響きます。 国民一人一人が福島の出来事を自分事として考える機会としたいです。 2020年3月31日



豊橋市民センター主催の「稼ぐまちが地方を変える」セミナーに参加しました。 講師の木下斉(ひとし)さんは、内閣官房地方活性化伝道師の肩書をお持ちでした。 官民一体となったご自身の取り組みをご紹介下さり、公共資産で民間が稼ぐことを推奨していました。 なお、稼ぐとは、私腹を肥やすためではなく、明日への投資を想定しています。 その点では、公共資産が活用されず眠っていることもあるのですが、 安売りされている実態があるかもしれません。 公共の名のもとでは、日本人の意識としては、受益者は無料が当たり前のような感覚があります。 その時、本来稼げるものから、きちんとした対価をもらえていない。 しかも、地方公共団体の財政は厳しいのが現実です。 例えば、最先端施設が市税によって出来たのなら、他の市町村からの視察時には、 視察費を頂くこともありでしょう。 それは民間も同じで、努力した者が報われる仕組みは必要です。 公共資産への視座を正していくこと。あるいは関心をもって正しく知ること。 また、それを請け負う覚悟が民間には問われています。 2020年3月23日



わが町内にある吉田天満宮には、渡辺崋山が描いたとされる天井画がありました。 それが1945年6月19日の豊橋空襲によって消失してしまいます。 ところが、同じ町内に住む図書館司書である岩瀬彰利さんが 大口喜六・初代豊橋市長が出版した「豊橋市及其附近(そのふきん)」に、その写真を見つけます。 約3センチ四方の白黒写真でしたが、その絵の構図が分かりました。 そこで、私の父親たちが地元の日本画家に依頼して、 その写真から想像した模写絵「月に雁(かり)」が先月完成して披露されました。 75年ぶりの復活とのことでしたが、歴史を掘り起こした父親たちの尽力に敬意を表しつつ、 今まさに崋山の精神に帰る時だと感じています。 その崋山は国宝となる絵画を描いたばかりではなく、商人の心得をまとめた商人八訓を残しています。 私の祖父が、崋山と同じ田原市の出身であり、わが社の事務所には当時、 この商人八訓が掲げられていました。 月明かりに照らされた2羽の雁は、同じ目標に向かって寄り添っていく。その時に輝きを放つ。 じっと崋山の声に耳を澄ませたいです。 2020年3月9日



老夫婦が買物にやって来て、私に声を掛けてくれました。 ご主人は「お父さんとそっくりだね。」そして、ご婦人が懐かしげに 「おじいさんが亡くなる時に、大学受験と重なって大変だったと聞いていますよ。」 すでに30年以上前のことを、白髪のご婦人が語ってくれたのでした。 そのご婦人は女医さんであり、私の祖父が最後を迎えた病院で当時勤務されていたそうです。 大学入試のあった寒い季節に、祖父は体調を崩して入院しました。 それでも、私は毎日のように病院に見舞い、祖父と向き合っていました。 そして、天使のような微笑みをもって、祖父はその最後を迎えました。 また、先日叔母が余命いくばくもない時に、何人かで叔母を囲んで語り合ったひとときがありました。 その時も、祖父が亡くなる時に、病床で見舞う私の姿を思い出して語ってくれました。 叔母やそのご婦人の声を通じて「いかに生きるべきか」天からの声のように感じました。 ヨーロッパでペストが大流行した時に「メメント・モリ(死を忘るなかれ)」という言葉が語られたそうです。 その声に素直に従いたいです。 2020年3月2日



「医療とまちづくり」と題して、ねりま健育会病院病院長の酒向(さこう)正春さんのお話を伺いました。 「立派に生きて立派に死ねる街」を提言されていましたが、 現役を退いた方々の視点での街づくりに、はっと気づかされました。 定年後に社会参加して、生き生きと活動できる街。高齢者や後遺症を持った人たちにも優しい街。 そのために、病院のあり方も今までとは違って、より地域と一体になることが期待されます。 ちょうど叔母が近隣の病院でお世話になり、最後を迎えていました。 そこでは、叔母のために、お医者さんや看護師さん、家族や友人との濃密な時間が流れていました。 死に際に立ち会えた家内は、看護師さんたちと一緒に泣くことができたそうです。 叔母の死を通じて、改めて人生で大切なものを教えて頂きました。 病院や街そのものではなく、温かな人たちであり、その人たちと交流できること。 「何に価値を感じているのか」酒向さんは、ともに働く人たちに問いかけるそうです。 街の住人も同じであり、各々がそれを考えていくこと。そこに温かな交流が待っています。 2020年2月22日



末の子が20歳の誕生日を迎えました。いつものようにケーキを食べてお祝いをしていると、 突然、その場からいなくなって、鉢植えの花束を持って戻って来ました。 黄色のミモザが散りばめられた、温かく優しい花々でした。自作のメッセカードには 「お父さん お母さんへ 20年間大切に育ててくれてありがとう」と文字が打ち込まれていました。 私も驚きましたが、特に母親は感激していました。 その花には不思議な魅力があり、息子の想いがじわじわと伝わってくるようでした。 聞いてみると、その花束は、ご近所の花屋さんで、自分の想いを伝えて作ってもらったそうです。 その花屋さんも目に浮かび、息子の想いに寄り添い、それを一生懸命形にしてくれたように感じました。 早速、花屋さんにも御礼かたがた報告させて頂き、花屋さんも喜んで下さいました。 調べてみると、イタリアでは、ミモザの日があり、男性が女性に 日頃の感謝を込めてミモザを贈るのだそうです。 息子は、そんなことも知らずに、自分の意思で贈物をしてくれました。 そんな姿に、大人になったなあと頼もしく思いました。 2020年2月13日



東京ギフト・ショーという展示会でセミナーがあり、東京都墨田区の町工場である 浜野製作所の浜野慶一さんのお話を伺ってきました。 メーカーでありながら、経営理念に「おもてなしの心」を掲げていたのが印象的でした。 果たして、おもてなしの心とは。それは相手を思いやる心とも言えるでしょうか。 それは、商工に関係なく、すべての事業の土台にあるべきもの。 それでも、より問われているのが、商人だとも思いました。 どのように商品が作られたのか。その過程では、いろいろな想いが詰まって参ります。 やがて、物語となる。 しかし、今日は、その想いが伝わらずに販売されていることが当たり前のようです。 それは、お金の動きだけの視点とも言えるでしょうか。 企業経営にとって、お金の動きは大切ですが、それ以上に大切なものがある。 浜野さんは、若くしてご両親をなくす。娘さんをなくす。会社が全焼となる。 さまざまな憂き目をみますが、それが他者への優しい眼差しに変わっていました。 そのような作り手の想いを受け止めて、それを伝えることができる商人となりたいです。 2020年2月7日



子供たちの絵には、不思議な魅力があります。当店のインスタグラムでも、小学6年生の甥の描いた絵がたまに 紹介されますが、力強さ、伸びやかさ、生命力なるものが感じられます。 そんな折、NHKの日曜美術館で、お隣岡崎市出身の画家で教師でもあった山本鼎(かなえ)さんが紹介されていました。手本をそのまま写すことが評価された100年前の時代に、子供の自由な感性を重視する 児童自由画運動を展開。その展覧会が開催された長野県上田市の小学校には、 「自分が直接感じたものが尊い」と山本さんの言葉が刻まれた石碑があります。 いつしか、子供たちの自由な感性に蓋をして、教育という名のもとに 画一化したものを押し付けてしまっていないか。それは、子供だけではなく、大人も同じかもしれません。 近くにある水上ビル商店街の建物には、知的障害を伴う自閉症の花島愛弥さんの絵が 壁面に大きく描かれていますが、同じような力強さを感じます。 そのような作品を評価するのが商人の務めかもしれません。 そして、自由な感性で商売ができてこそ、正しく評価できるのだと思います。 2020年1月28日



当店はマンションの1階にあるのですが、マンションの住人の皆さんと新春餅つき会を開催いたしました。 1階の店舗部分にある3店舗の商人たちで企画運営いたしました。 商人とは、お世話になる街にとどまり続け、街作りに主体的に参画していく立場にあると考えます。 もちろん、住人たちが主体者でもありますが、その住人たちが主体者になる環境を整えていくこと。 それは、世話役でもあり、橋渡し役でもあり、主体者そのものでもあります。 その点では、より主体的になることが問われています。 いざ、開催してみると、沢山の方が集まってくれました。 特に印象的だったのは、就学前の子供たちが、重い杵で餅をつきたがる。 また、餅を触って「気持ちいい!」と歓声をあげる。 そんな時、大人たちの心も自然と開かれて、一体感を感じることができました。 餅こそ、一つ一つの米粒が結び付いて、ワンチームとなった結晶。 ふと、先人たちは、その精神を餅つきから学んでいたのかなと想像いたしました。 今年も餅のごとく、いろんな皆さんと結び付き、美味しさと楽しさを提供して参りたいです。 2020年1月17日



「男はつらいよ お帰り寅さん」を夫婦で観て参りました。 寅さんの魅力は、他者の幸せを考えている一方で、自分をわきまえていること。 そのため、求婚される場面では、いつも尻込む。 定職を持たずに放浪している身では、その女性を幸せにできないと理解しているゆえなのでしょう。 それがタイトルに通じます。 昨年末の紅白歌合戦では、松任谷由美さんの背後にいる松任谷正隆さん、 竹内まりやさんの背後にいる山下達郎さんの存在を感じました。 男性とは、女性を輝かす存在であり、また男性を輝かす存在が女性とも言えるでしょう。 いつも寅さんの恋は実りませんでしたが、渥美清さんの演技は、50年に及んで私たちの心をとらえました。 渥美さんの亡くなった後に、国民栄誉賞が贈られましたが、それは、その背後にいた ご家族に贈られたものだったかもしれません。 奥様は熱心なカトリック信者であったようですが、渥美さんも召される直前に病床で洗礼を受けられた。 実は、本当の寅さんの恋は実っていたので、あの映画は完結した。 「お帰り」とは、天国で響くお二人の声かもしれません。 2020年1月10日



米津玄師さんが「長く愛される普遍的なものを作りたい」とコメントしていました。 果たして、普遍的なものとは何か。どの世代にも、どの時代にも共感を与えるもの。 それは人間が中心であって、その人間の本質は変わらない。 同じ人間たる自分を突き詰めていくこと、自分らしく生きること、 そして、そこには他者への思いやりが付随している。他者のために自分を生かすこと。 それを愛と表現できるかもしれません。それそのものが、あるいは、それを求めていくことが、 生きて行くこととも言えるでしょうか。 普遍的なもの作ることは、音楽だけでなはく、芸術文化一般でも、そして、われら商人の最終的な目標でもあります。 そして、それを追求できる、この時代の日本は幸せなのだとも実感いたします。 米津さんは嵐とのコラボ曲「カイト」を製作した時に考えたそうです。 「今の自分は誰かに生かされてきた。自分の身の回りにいる人間、 いや遠くで自分に影響を与えて下さった沢山の方々、そのすべてにちょっとずつちょっとずつ許されながら、 『おまえはここで生きていてもいいんだ』と。」 それに心底気づけた時、長く愛される普遍的なものは生まれるのでしょう。 2020年1月5日