慶應義塾高校が甲子園優勝を果たしました。応援歌の「若き血」が何度も甲子園で鳴り響いていました。 最後のフレーズに「陸の王者」とあります。果たして、陸の王者とは何か。 数年前にTBSドラマで「陸王」がありました。 陸上の花形競技であるマラソンで優勝する人だけではなく、シューズを作る人を含めた応援者たちを描いていました。 今回の主将の試合後のコメントで 「本当に自分たちが持っている実力プラスアルファの力をこの大きな応援が与えてくれた。 自分たちの力だけじゃなくて、応援してくださった全ての人のおかげで優勝だと思っています。」 王者とはこの応援の力を知っている。福沢諭吉流に言えば、独立自尊であるけど、社中協力して事をなす。 NHKドラマ「エール」で主人公は、妻をはじめ多くの人に支えられて応援歌を書き上げてきた。 その終着点にあったのが「栄光は君に輝く」 コロナ禍の中止および無観客を経て、応援することの価値は高まり、今回の優勝を通じて結実したかのようでした。 そして、若き血は、ブーメランのように歌っている人にエールが帰ってきます。 王者とは、応援者でもありました。 2023年8月24日
台風一過の暑い日に上京して参りました。 深川の木場公園の木陰で弁当を食べていると、何やら背中に動くものが感じられます。 風が虫を運んだものと思い手を回します。しばらくすると、また動くが数回繰り返される。 とうとう立ち上がって、本格的に取り払おうとするものの、後ろを見ることができません。 当惑していた真っ只中に、ジョギングをしていた男性が足を止めます。大きな目をして近づてきてくれました。 「かまきりですよ。とりましょうか。」「お願いします。」私の背中から、かまきりを落としてくれて、「こいつですよ。」 走り去っていかれました。私の心は、ほのぼのと温かくなりました。 このように私には見えないことがあります。しかし、周りにいる方々が助けてくれる。 また、周りで困っている人がいます。今度は私が助け舟を出す。 その公園を後にしてから、取引先の社長宅を訪問しました。 商売の上でも、お互いにかまきりを取り合う関係だなと思いました。相手に助けてもらい、相手を助ける。 そして、助けたら、恩着せがましくなることなく、走り去った人のようになりたいものです。 2023年8月18日
こちらの商人日記は不定期投稿ですが、15年以上続いています。 今日まで続くとは、それを読んで下さり、答えてくれる方の存在ゆえだと気づかされます。 当初は、しばしばし高校時代の同級生が「読んでいるよ。」と声を掛けてくれました。 商売も同じで、答えて買ってくれるお客さんの存在によって続いていきます。 その意味では、こちらの日記も読者との共同作業です。 今回、これまでで始めての記憶ですが、以前の投稿より1か月以上経過しての投稿となりました。 少しお休みを頂いたからこそ「商人日記を楽しみにしています。」との声が、この日記を支えているのだと気づかされました。 関係者の皆さんに感謝申し上げます。 それは、ほんの小さな一言かもしれません。そんな一言には、大きな力があるのだと思います。 私も個人的に大きなことはできませんが、一言だけでも、率直に思ったことを相手に伝えるように努めています。 そんな積み重ねが、この社会では大切なのだと信じて参りたいです。この日記のご感想など引き続きお寄せ下さい。 きっとそれを力にして、もっとよい文章が生まれてくる予感です。 2023年8月8日
ノーベル賞受賞者を囲むフォーラムで江崎玲於奈さんが中高生に語っていました。 「わが人生、何をなすべきか。私はどんなタレントを持ち、何を得意とするか。何が自分の天職か。 何を自分の使命とするか。まずは、それを考えてほしい。」 五十路を越えた私にも、この言葉は響きます。それは、若い中高生への言葉だけではないのかもしれません。 かえって、中高生では、まだまだ自分のタレントを見極めるのは難しいでしょう。 これは生涯にわたるものであり、天職とはいつまでも天にあって、そこには至れないもの。 常に求め続けるもの。その意味では、求めるだけで人生は終わってしまうかもしれません。 また、自分だけを考えるのではなく、周囲の人たちのことも考える必要が出てきます。 そんなことに気づけるのも年の功かもしれません。加えて、思いもよらない事態が人生には生じてくるものです。 江崎さんのような功績のあった方とは違ったあり方があるのでしょう。個人的には、名もなき人のあり方に魅かれます。 人生は何をするかよりも、生じる事態を微笑んで受け止めることに価値があるように思います。 2023年6月30日
牧師であった義父が逝去いたしました。晩年は函館国際ホテルで結婚式の司式をすることがご自分の務めでした。 ところが、先月体調を崩しても、今月のご自分の務めを果たそうとされていました。 幸いに、代わりの方がみつかり、無事に式を挙げることができました。 その後、体調が急変したため、すぐに家内と函館に飛びましたが、すでに死を覚悟しておられました。 ご自分の葬儀のテーマは「ふるさと」、そんな状況の中でも、ご自分の最後を淡々と準備されていました。 義父を見舞った夜に、家内と散歩に出ると、行きついたところは、土方歳三最期の地でした。 「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすは屍(かばね)の上に照(てる)かと」 その後、義父は「苦しいので、もうこのあたりで」 私の子供たちも駆けつけて「孫たちは宝だ。天国で祈っている。」しばらくして息を引き取りました。 その葬儀では「ふるさと」をみなで歌いました。われらのふるさとは、天国なり。 たとえ自分の立場が危うくなっても、自分の果たすべき分をわきまえて忠実に事をなす。義父の名前は忠彦でした。 2023年6月20日
読売新聞で猪木武徳さんが地方自治と外交のつながりを語っていました。 福沢諭吉の「地方分権は外国交際の調練」を引用して、 「自立的な外交の力をそなえるには、国民が地域という具体的な場所で地方自治の精神を自ら学ぶことが求められる」 昨日、商店街振興組合を解散して、新たな議論の場をつくることを仲間たちと決断した時で、この論稿に激励を頂きました。 まずは、足元の自分自身、すなわち地域社会が自立してこそ、はじめて国家の外交も自立的になれる。 そして、「地域に関わる事柄は、その地域を一番よく知る住民の意思と責任の下で行うという原則が尊重されなければならない。」 その覚悟を促しつつ「日本の地方自治が活力を得るには、『財政の自立性』が実効的でなければならない。 地方財政を誘導する中央の手綱を弱めるためにも、憲法における地方自治の本旨を改めて検討すべきであろう。」 そこには、国民が国家に依存するのではなく、国民が国家を支える旨がある。 福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」地方の自営業者たちが自分の手で稼ぎ、地域に国家に貢献することが自主外交への道標です。 2023年6月1日
ピアニストのハラミちゃんがパリの街を訪れたNHKのドキュメンタリーを視聴しました。 ハラミちゃんが小学3年生の時に描いた絵は、「みんなが笑顔になれる街」 ピアノを弾いている女の子の周りでさまざまな人が笑顔で見守っている。 パリで出会った女性がお別れに「オ・シャンデリゼ」をハラミちゃんに歌います。 「街を歩く、心軽く、誰かに会えるこの道で、素敵なあなたに、声をかけて、こんにちは、私と行きましょう。」 ハラミちゃんの活動の原点は、この女性と同じく街で演奏するストリートピアノにあったそうです。 ストリートとは何か。それは、劇場とは違って、どんな人も受け入れて、ギャラを求めない。 そこには、パブリックとも表現される対等な関係性がある。 そして、本来の音楽の楽しみとは、お金や名声を越えたところにあるのかもしれません。 このストリートピアノを通じて、本来のハラミちゃんが覚醒したように思いました。 街とは、自分が自分になれる自由を与えてくれるところ。 それは、みんなが笑顔になれるところであり、「いつも何か素敵なことがあなたを待つよ」と歌いたくなりました。 2023年4月29日
豊橋商工会議所の神野会頭が新年度の方針で 「従来のまちづくりの発想は、商業で盛り上がることに主眼が置かれていた。 組織もそれに準じて作られた。これでは今の時代にあわない。新時代にあった組織に一新したい。」 豊橋駅前の商業者たちの組織に所属する者として、商業を再考してみたいと思いました。 そもそも商業とは何か。従来型の商品を売り買いすることで利益を得ることにとどまらず、 新時代にあった商業があるのではないか。 商業で盛り上がる、市民が自分の手で稼ぐことは変わらないことのように思います。 そこで、商業には、他の産業に比べて、人間性がより濃厚だと感じています。 本質的には、人と人を結びつけて利益を得るビジネスとも言えます。 この結びつきに人間性が投影されますが、この部分は今日ますます求められているものです。 さらに、これまで提供してきたものは商品でしたが、今日は目に見えないサービスに代わりつつある。 隣人の最も近いところで、その困りごとを隣人とともに解決するのが商業ではないか。 その視点で、商業を問い直し、自らを変えていく。商業者の一新こそ事の本質です。 2023年4月27日
当店のあるマンションの中央には、ハナミズキの木があります。 こちらの木が、3年ほど経過しても育ちが悪いため、別の木に植え替えることとなりました。 この植え替えに取り組んで下さっているのが、小学校の校長先生であったマンションの住民です。 その方が、この木の生育ぶりを「100に対して55」ほどと言われていました。 そして、この木を捨ててしまうのは惜しいので、街路樹として歩道に植え替えたいとお願いがありました。 その時、歩道を管理する組合の代表として、「100に対して55」の木を植えるのは、皆さんからの理解が得にくいと言ってしまいました。 その方からすると、歩道の植え込み先は、日の当たりが良いところで、もしかしたら再生するかもしれない。 その時、教育者の一面を垣間見たようでした。自分が育てた木には、愛着が伴っているとのこと。 ハナミズキの木と子どもたちが重なりました。 多くの子どもたちを育ててきた先生は、今は見劣りをしても、いつかは必ず花を咲かせる時がくると信じて来たのでしょう。 そんな心こそ、まちづくりには大切なのだと教えて頂いたようでした。 2023年4月18日
駅前商店街の代表理事に就任して1年が経とうとしています。 最近は、どこの街に出掛けても街路樹廻りに目が行きます。すると、雑草の生えたところが散見されます。 しかし、よく手入れされていると、その街の民度の高さなるものを思います。 ところで、お世話は誰がしているのか。それは行政だけの仕事でしょうか。 私たちの商店街であれば、地元の住民たちですが、担い手が少なくなっています。 そして、お世話をしている人たちが高齢化を迎えています。 先日近くの通りの九十を越えた女将さんが、通りを紫陽花通りにしたいと夢を語ってくれました。 ただ、お世話をしている自分の体力は限界だと。 そして、自分に代わる担い手がいないことを深刻な顔で打ち明けてくれました。 家族やご近所にも、このことを相談することができないようでした。 こんな皆さんが全国に沢山いるのだなあと想像しました。 まずは、自分の店の前からです。いつのまにか、そんな当たり前のことが軽視されているようです。 私も含めて若い担い手が、このことに気づいて、美しい街を自分たちの手で作って参りたいです。 2023年4月8日
桜の花が満開を迎えています。 その桜が蕾を大きくしていた頃、私の高校時代にまだ幼稚園児であった牧師の娘さんが急死されました。 当時「生物」の教科書を「いきもの」と読んでくれたのが記憶に残ります。 私たちの結婚式では結婚行進曲ならびに家内の独唱の奏楽を担当してくれました。 控えめな人柄であるものの、ピアノのタッチはとても力強く、そのギャップが魅力でもありました。 ある時、世界一周旅行に旅立つこともありました。 子供たちのお世話をよくしてくれて、「のんのん」の愛称で慕われていました。 晩年は、教会で駄菓子屋を開いて、子供たちに優しい眼差しを注いでいました。 その短き命は、桜とも重なります。そして、桜は、上を向くようにと促してくれます。 ちょうど、豊橋商工会議所が130周年の記念の年となり、今後10年先を見据えて 「FACE UP!〜顔を上げて世界を見よう〜」が打ち出されました。 今日花見をすれば、自然と顔を上げることができます。 先に逝った皆さんは、桜の花でもあるかもしれません。さあ、顔を上げよう! その声の向こうには光が見えて、私たちに注がれていました。 2023年3月31日
合衆国で暮らす高校時代の同級生とは、誕生日にお祝いし合うことが30年近く慣例となっています。 彼は一貫して、言葉を学ぶことを訴えてくれます。 言葉を正確に理解していれば、相手に言葉が突き刺さるのだと助言をしてくれるのです。 今回は、歴史を紐解いて、メイフラワー号でオランダからアメリカ大陸に渡った ピューリタンたちのことを引き合いに出して、いかに彼らがよく言葉を学んでいたかを語ってくれました。 母語だけでなく、ラテン語、ヘブル語、ギリシャ語にも精通していたと。 原語に当たると同時に、まずは日本語だと。 「ホツマツタヱ」という漢字以前にわが国固有の文字があったとする文字を紹介してくれました。 そして、日本伝来の仏教や神道のことを突き詰めるようにと促します。 そんな時に、四十を越えた後輩から、ようやく英検一級に合格したとの知らせが入りました。 学びは学生時代で終わるものではなく、いつまでも続くものと励まされました。 また、年齢が深まってこそ、経験が伴ってこそ、言葉への理解は深まることでしょう。 人生100年時代には、言葉を深めて参りたいです。 2023年3月16日
当店が所属する商店街振興組合は、只今その目的を見直して組織を再構築しています。 また、この組合をはじめ市内にある様々な組合が加盟する中小企業団体連絡協議会という異業種交流の団体があります。 もともとは、昭和27年10月に戦後の経済危機を乗り越えるため市内中小企業者の発展に資することを目的として設立されました。 先月末に臨時総会があり、設立当初の目的を果たして役割を終えたとして発展的に解散となりました。 この解散に至るまでに、昨年来から事務局が全組合員へのヒアリングを実施。役員会での丁寧な議論。 交流の場の代替提案など。豊橋信用金庫理事長・山口進会長はじめ関わる皆さんのご尽力によって解散に至りました。 当組合も、まさに豊橋空襲の爆心であった丸物百貨店があった地区であり、そこから皆で結束するために誕生しました。 そんな先人たちの足跡を思い出す時となり、変えて行く勇気を持つことが問われました。 発展的に解散とのことで、未来を見据えて自分たちの意思で解散できたことに明日への道標を感じました。 当組合もそれを鑑として、明日につなげて参りたいです。 2023年3月3日
先月から少し体調を崩してしまい、1週間ほど静養する時間を持たせて頂きました。 寝込むと、小さなころのことを思い出します。「よっちゃん、何か食べたいものある。」 祖母が聞いてくれて「カステラ」と答えました。祖母は近所のカステラ屋さんに買いに行ってくれました。 実は、そのカステラ屋さんは、同級生のご両親が二人で切り盛りする小さなお店でした。 おじさんはいつも白帽子と白衣姿で、おばさんはとてもおっとりした方で、今でもそのお二人のことが鮮明に思い出せます。 お店は「三景」(さんけい)というお名前でしたが、今日は店を畳まれてしまいました。 今日も体調を崩すと、その三景さんのカステラが恋しくなるのです。 今思えば、当座はそれほど感じていなかったのですが、どれだけその味に助けられたことか。 この年齢になって、貴いお仕事をされていたのだなと痛切に感じています。 そんな祖母やカステラ屋さんの背後にあった愛情を思い出して、また元気になれるのでした。 愛情が込められていれば、思い出だけでも十分なのかもしれません。カステラの思い出が今なお私を支えていました。 2023年2月23日
評論家の福田恆存(つねあり)さんが学生たちに語った講義録を読んでいました。 書籍のタイトルは「人間の生き方、ものの考え方」(文春学藝ライブラリー) 言葉は道具であるから説き起こして、道具とは、単なる物ではなく、人間の心と結びついたものである。 「道具にしろ物にしろ、それはすべて心を離れては存在しない。心そのものである。 あるいは、心と物とが、物質と精神とが出会う場所である。」 私たちが販売している料理道具からも、それを感じることができました。 昨年から「フライパンは愛なんだ」というタイトルのポッドキャスト番組を開始していますが、 そのタイトル名を解説してくれているようでもありました。 道具を通じて、見えない心が立ち現れる。その心とは、他者に対する思いやりや優しさとも表現できます。 そして、その道具を使う人だけではなく、作る人、売る人にもそれぞれに想いがあります。 特に、売る人は、この道具の本来の価値をお伝えする立ち位置にあるのかもしれません。 私の手を通じて買われた皆さんとももに「フライパンは愛なんだ」を体感して参りたいです。 2023年1月31日
あけましておめでとうございます。恒例の豊橋商工会議所の年賀会が開催されました。 神野吾郎会頭が、現実を楽観視できないもののポジティブに考えて立ち向かおうと挨拶。 現実の厳しさを覚悟しようと受け取れました。 そして、会の締めに、和太鼓志多らの皆さんの演技がありました。 さながら、戦国武将の陣太鼓のようでした。 腹の底から響いてくる音響に、浮ついた雑念が取り去られて、一心不乱の心持ちに至ります。 新年への覚悟が座ったようであり、新年へ挑む心構えが整ったようでした。 和太鼓の力を思い知りましたが、どうして今まで気づけなかったのか。 豊橋技術科学大学の寺嶋一彦学長が挨拶で言われていましたが、 その会場にいつにない熱気が漂っていました。私も含めて、現実が厳しいからこそ切実な想いが醸成されていた。 「とにかく前に進もう!進むしかない!」 そんな時に和太鼓のドドンは、いよいよ心に響いてくるのだと思いました。 その場には、豊橋を先導する皆さんが結集していましたが、この皆さんが連携・変革・共創して一つとなっていく。 2023年に向けて、いざ、出陣だ! 2023年1月5日