料理道具専門店 フライパン倶楽部

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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。



クリスマスに、暖かな家があり、美味しいご馳走があり、喜びや笑いがあると、 いつしかクリスマスの心を忘れてしまいます。 今年のクリスマス・イブの夜は、子供の体調が悪くお腹を抱えて痛がっていました。 専門医にも診てもらいましたが、「いたいよ〜」と子供が苦しんでいるのは、親として忍びないものです。 何もできず、ただおろおろとしていました。 その時、「ひとりごをお与えになった」という聖書の言葉を思いました。 父なる方のもとを離れて、子なるイエス様がこの世界に来て下さる。 その時の父なる方の心を、ほんの少しばかり想像できました。 この世界では、マッチ売りの少女のように凍えている人、飢えている人、病んでいる人、牢にいる人はあふれています。 鈍感な私は、そんな事をすっかり忘れていました。 しかし、苦しんでいる子供を前にして、その痛みをほんの少しばかり感じることができました。 人として大切なことに気づかせてもらったようです。 子供には申し訳ないのですが、それは、天からのクリスマスプレゼントでした。 2010年12月25日



小学校で恒例の餅つき会がありました。 「よいしょ、よいしょ」の掛け声の下で、子供たちと汗を流しました。 この会は、地域のボランティアの方々が運営してくれています。 先日、「公私相半ばで楽しめる人」を紹介しましたが、子供たちにも是非そのようになってもらいたい。 ただ、それを言葉で教えても、そのようになれるとは言えません。 特に、公のため、人のために尽くす楽しみとは、自発的なものだからです。 ここが、教えることの難しさでしょうか。 その時、餅をつきながら、思いました。 自分自身が率先して、子供たちのために楽しんでいれば、自然と子供たちに伝わるのでは。 「人のために尽くすって楽しいことなんだ〜」 餅つき会も、子供たちにとって最高の機会だと思えて来ました。 子供ではなく、まずは、大人である自分が問われていたのです。 その意味では、わが校区には、お手本となる方たちがいて、大変恵まれていると思いました。 餅米の一粒一粒も手と手を取り合って、一つのお餅になって行く。やはり、美味しく楽しいのです。 2010年12月18日



世界最小100万分の1グラムの歯車を作る技術をもった会社が、わが故郷にあります。 小さすぎて、まだ実用化されていないそうですが、技術をアピールするには十分だったそうです。 その樹研(じゅけん)工業の創業者である松浦元男さんは、移住した豊橋に惚れ込みます。 それは、松浦さん自身が、豊橋の人たちに育ててもらったゆえでした。 先日、豊橋商工会議所で講演会がありました。 先着順採用、学歴不問、会議は自由参加、残業申告制、定年制なしという会社。 松浦さんは、社員の能力を最大限に引き出しているようです。 いわゆるエリートの人たちは、自分で求めて、自分で考えることをしません。 受験勉強のように、その秘訣を要領よく教えてもらうのみです。 そのような秘訣は、本来自分で探して見つけるもの。 今の時代は、与え過ぎて、指導し過ぎて、人間の力が眠っているようです。 親という漢字のつくりは、木のそばで立って見ている。 松浦さんは、じっと社員を見つめているようです。 そこには、人を信じるハートがあります。 2010年12月11日



日本の児童文学は豊橋から始まった。 生涯学習講演会でわが故郷を愛される堀尾幸平(ほりおこうへい)さんが熱弁をふるっていました。 堀尾さんは、安政生まれの名もなき文学者を追いかけます。 その人の書いたものが一行でもあれば、すぐに駆けつける。 年の離れた奥さんが北海道にいたと知ると海を越えて飛んで行く。 ところが、過去のことは話してくれません。 帰り際に、無念の涙が流れると、ついに口を開いてくれました。 そんな苦労を重ねて、明治二十三年に「少年之玉」を上梓した三輪弘忠(みわひろただ)を発掘します。 同時代の坪内逍遥(つぼうちしょうよう)が「小説神髄」(しんずい)で 勧善懲悪ではなく人間心理のありのままを描写することを主張。 その流れを汲んで、二葉亭四迷(ふたばていしめい)が「浮雲」を発表。 これらは、あくまで大人の小説です。 この時に、子供のための小説を書いた先駆者が豊橋人だったのです。 わが故郷の偉人達は、自分を明かしません。 堀尾さんは、金脈を探しあてたように喜んでいました。 2010年11月30日



町内親睦のバス旅行で、岐阜県恵那市の岩村町へ。 ちょうど、お隣の席は、豊橋技術科学大学の職員をされていた方でした。 「近い将来、技科大からノーベル賞が出そうですね・・・」 道中、大学談議に花を咲かせました。 私にとっては、技科大は、日本のMIT(マサチューセッツ工科大学)と期待しています。 どうやら、そのMITとは、運営資金が格段に違うようなのです。 国からではなく、卒業生などの寄付が主体。 社会で成功した卒業生たちが、母校に厚く還元するのです。 日本では、この寄付の文化は希薄。なぜか? 旅先の岩村町は、古い街並みを残す城下町。 そこは、儒学者の佐藤一斎(いっさい)の出身地でした。 案内役の方によると、小泉元首相が一斎を紹介して知名度を上げたそうです。 国会でも一斎の言葉を取り上げては語っていました。 「自分が楽しむと同時に、公のために尽くすことに喜びを感じる公私相半ばできる人間が望ましい」 公私相半ばできる人間。これぞ大学教育の目標でしょう。 すれば、大学も自然に繁栄します。 2010年11月25日



大学の就職内定率が落ち込んでいます。 母校の大学教授から今時の学生事情を聞いたことがありました。 法律を専門にしていますが、いまや女子の方が多いとのこと。 時に常識に欠ける。時に切れてしまう。 こんな事をどうして此処で教えるのかという場面が目立つのだそうです。 大学も少子化で経営難となれば、学生に迎合して甘くなるのを危惧します。 私の在学時代から、すでに兆候はありました。 多くの学生は、勉強していません。 大教室の講義でも、前に座る人は、変わり者のような雰囲気がありました。 休講があると、へらへらと喜んでいる。 教授もいろいろな理由を付けて、皆勤で授業をされる方は稀です。 本分の学問に対する熱意は非常に乏しい。 だからこそ、就職難は、大学も学生も、そして社会も変わるチャンスのように思います。 大学は本当に必要なのか。 企業に採用してもらえない経験も貴重です。 企業が頼み込んでくるような人になるべく奮起すれば良い。 こんな就職難を果敢に乗り越える人こそ、今日求められています。 2010年11月18日



娘が中学校三年生となりました。 すると、自分の中学校時代を思い出します。 当時、プールで同級生が亡くなったこと、3階からクラスメートが転落したこと・・・ 次から次へとアクシデントが。 水泳部の顧問でもあり、担任の若き先生の苦悩が続きます。 そんな時、教室に吉報が入りました。 「先生に男の子が誕生!」 クラスのみんなで、わっ〜と喜んだことが昨日のことのようです。 真面目な先生は、気恥ずかしそうに照れていましたが、とても嬉しそうでした。 しかし、責任感の強い先生の心労は想像以上だったのでしょう。 昨年の同窓会に駆けつけて下さった時には、心身ともに消耗して、静養の身でありました。 それから1年。先生のことが気になります。 すると、先生が奥様同伴で、わざわざ買物に来て下さいました。 あの時の息子さんが、結婚されたと伺いました。 そして、私の思い入れの深いクックパルゆきひら鍋を引出物に選んでくれました。 お元気そうな先生の姿に、ほっとしました。 私が真面目であれば、それは多分、先生譲りです。 2010年11月15日



山を愛する知人に誘われて、良く晴れた日に、故郷の山に登りました。 標高三百メートルほどですから、登山というよりもハイキングかもしれません。 子供でも気軽に楽しめるとも言えるでしょう。 豊橋の東部、静岡県との県境にある弓張(ゆみはり)山系と呼ばれるところで、 山頂伝いには豊橋自然歩道が整備されています。 わが故郷は、太平洋と三河湾の海だけではなく、山の恩恵も受けているのだと改めて見直しました。 調べてみると、その昔このあたりは、陶器を作る窯の集積地だったそうです。 ガスが普及する前は、薪を調達する藩の直轄領でもあり、生活と非常に密着していました。 しばらく歩くと、雨宿りの岩。 その名の通り、雨宿りができる切り立った岩で、その上に登れました。 南には、太平洋が広がります。東は浜名湖、西は三河湾、その手前には豊橋の街が一望できます。 山の魅力とは、山頂と言う目指すべきゴールがある。 そして、ゴールには、美しい眺望というご褒美がついてくる。 天国を目指す信仰者の生涯と重なりました。 2010年11月11日



裁判員制度で初めての死刑求刑の裁判がありました。 市民六人の裁判員と三人の裁判官の下した判決は無期懲役。 戦前の一時期にも、陪審制度があり、有罪か否かを陪審員が決め、量刑を裁判官が決めていました。 ところが、戦争などを理由に一旦停止となり、昨年六十六年ぶりに復活。 私の大学時代に、戦前の陪審制度を扱ったテレビドラマが放映されました。 タイトルは「帝都の夜明け」。 この放映から、さらに二十年の歳月を要したのです。 この長い月日に、国民の主権者たる自覚の欠乏を垣間見るようです。 権利だけを要求して義務を果たそうとしない。すべてを他人任せにする。 リンカーン大統領が「人民の、人民による、人民のための政治」と演説しました。 その時、真中の「人民による」を忘れてしまうのです。 これを手にするために、どれほどの血が流れたことでしょうか。 われら世代は、感謝するどころか、押し付けられたかのような態度をとっています。 主権を尊び、自らの義務を果たす。これこそ日本の夜明けでしょう。 2010年11月2日



わが故郷は、土地柄ドラゴンズ贔屓です。 この時節、あちらこちらに「燃えろ!ドラゴンズ」の応援歌が流れます。 私の小学生の頃、パームボールを投げる藤沢投手が活躍していました。 先発藤沢、抑え小松というのが当時の必勝パターン。 地元の百貨店で藤沢投手のサイン会があり、恐る恐る握手をしてもらいました。 今でも良き思い出として残っています。 そして、今なお、ドラゴンズの投手陣は光っています。 抑えの岩瀬投手は、豊橋の愛知大学出身で、しばらくわが故郷にいました。 同じく、中継ぎの浅尾投手も、お隣の日本福祉大学出身。 両人とも、甲子園とは無縁でエリート街道を歩まず、ドラゴンズで花開きます。 彼らに感じるのは、雑草魂、反骨精神と言ったら良いでしょうか。 これぞ、ドラゴンズの真骨頂。 大先輩の星野投手は、巨人戦には一際、闘志をむき出しにして投げていました。 そこには、才能ではなく、努力によって道が開ける希望を示しています。 旧約聖書に登場する巨人ゴリアテを倒すのは、無垢な少年ダビデでした。 2010年10月28日



わが商店街のアーケードの一部が崩落。 4人の方が、けがを負ってしまいました。 激しい雨で、内部にあった鳥の巣が吸水してしまい、その重みが原因だったようです。 翌日には一斉点検がはじまり、対策が講じられました。 地方商店街が疲弊して久しいですが、並行してアーケードも疲弊しています。 全国的にも同じような事故が起こりうるでしょう。 是非、豊橋の事故を教訓にしていただきたい。 ちょうど、チリの鉱山落盤事故で地中に閉じ込められた人たちが奇跡的に生還しました。 感動的な結末に、すべてを良しとしがちですが、問題点も潜みます。 この鉱山では、数年前にも二回にわたり犠牲者が出ています。 今回は、ニ度あることは三度ある世界だったようです。 過去にあったことを教訓にして、安全対策が十分に取られていれば、 今回の大惨事は防げたのかもしれません。 大きな事故に至る前には、小さな予兆があるものです。 それを逃してはならない。 本当の英雄とは、その予兆を察知して、陰で黙々と働いている人たちです。 2010年10月18日



イタリア人監督のもとで、サッカー日本代表が好調な滑り出しを見せました。 イタリアという国も、明治維新とほぼ同時期に、共和国として統一されました。 食の文化も通じるものを感じます。 その統一の担い手が、「青年イタリア」を創設したジュゼッペ・マッツィーニです。 彼の代表作である「人間の義務について」が岩波文庫から出版されました。 タイトルに魅かれて、早速読んでみました。 ちょうど福沢諭吉「学問のすすめ」のイタリア版のようにも感じました。 権利の追求、豊かな生活、幸せそのものが、生きる目的ではない。 それらの行く末は、自分のことしか考えられない暴君の末路と同じとなる。 それらは、あくまで手段。 家族のために、国家のために、人類のために、個人は何ができるのか。 犠牲と行動と愛を通じて、権利に値する人間になって、はじめて権利を行使できる。 そのような人間に日々向上していくことが義務であり目的である。 イタリア人監督の指導の究極が見えてくるようです。 「一流の選手を目指すな。まず、一流の人間になれ。」 2010年10月14日



私の父親は、母校の時習館(じしゅうかん)高校が甲子園に行ける日を夢見ています。 十年前に、「時習館野球部百年史」が編集されます。 それに寄稿をした一人が、今は亡き作詞家の阿久悠(あくゆう)さん。 阿久さんの母校、淡路島の洲本(すもと)高校と時習館が甲子園で対戦したのです。 それから、六十年近い歳月が流れて、甲子園は見果てぬ夢に。 甲子園に行った当時の主将も今日待望していました。 「生きている間に、もう一度」 そんな折、横綱白鵬の入門した頃の映像をテレビで見ました。 「これが、白鵬?」と疑うほどの細身の体。 当初、受け入れてくれる部屋もなかったそうです。 それが、十年で大変貌を果たします。 その映像に驚きとともに、希望を抱きました。 すると、吉報が入ります。 東京大学が早稲田大学に金星。 早稲田のエース斉藤投手に投げ勝ったのが、東大一年生の鈴木投手。 鈴木君は、時習館出身だったのです。 しかも、夢は「時習館野球部の監督になることです。」 わが父の悲願は、近く果たされそうです。 2010年10月5日



病気の子供をサポートする専門職の方のお話を伺いました。 大人と子供は対等の関係であり「子供を敬う」と表現されていました。 しかし、この時代、誤解を招きやすい言葉だと感じました。 親が子供を敬うのではなく、子供が親を敬うのがより自然です。 「男女平等」も同じかもしれません。 平等とは、等しいのではなく、違いがあるけど尊重していく意志だと思います。 平等を辞書で調べると「差別がなく等しいこと」とあります。 差別するとは、状態ではなく、価値判断です。 人間の状態はみんな違います。 違うけども、価値があると判断しているのです。 ですから、平等と言う言葉は、人間の意志が伴います。 それは、互いに尊重し合うことであり、それを愛とも表現できるでしょう。 ならば、平等には、互いに愛し合う事が付随します。 そこには、敬うべき人を敬う健全な上下関係も表れます。 しかし、そこに愛がないと、言葉の混乱を招き、不健全な上下関係も表れます。 問題の本質は、対等とか上下とかの関係ではなく、そこに愛があるかないかです。 2010年9月28日



敬老の日を迎えて、祖母と食事に出かけました。 その夜、九十を超えた親戚のおばさんのことが脳裏から離れず眠れません。 おばさんは、長年連れ添ったご主人に先立たれ、数年前には光を失ってしまいました。 今まで見えていたのが、見えなくなってしまう。 想像しただけで、恐ろしくなります。 こんな夜、一人になった時は、辛いだろうなあと心が痛みます。 アルプスの少女ハイジに出てくる、ペーターのおばあさんとも重なります。 ただでさえ、高齢によって体が衰弱しているのに、見ることもできない。 小学生の頃、アニメで登場したおばあさんは、 子供心にも、とても強い印象が残っています。 明け方、何も知らない家内が音楽を流してくれました。 それが、スティーヴィー・ワンダーの「心の愛」。 すると、初めて歌詞が腑に落ちました。 巡る季節の出来事に対して、すべて頭に「ノー」がつきます。 同じく光を失った彼が歌いあげます。 何もなくても、3つの文字が伝われば十分だ。 その世界は絶望ではない。失ってこそ見えるI love youの世界でした。 2010年9月21日



団塊世代の女性がポツリとこぼしていました。 「私たちの世代が、嫁と姑の別居を選択して、今日の寂しい老後を招いてしまった。 自業自得かな〜」 それまでは、家族三世代が同じ家に住むのが当たり前だったようです。 経済的に豊かになった時代状況も、この核家族化に拍車をかけます。 そうなると、老人ホームや病院は花盛り。 今年に入り、高齢者の所在不明問題をはじめ、無縁社会という言葉まで登場します。 そして、敬老の日がやって来ました。 母の日父の日をはじめ、この日に贈物をするのも花盛りです。 しかし、ふとよぎったことがありました。 電通総研の調査では、お年寄りは、贈物より会話を求めている。 もしや、贈物の背後には、何か負い目があるのか? 贈物で、自分の責任を果たそうとしている。 もちろん、傍にいてあげれれば、それは贈物よりも優るものでしょう。 どこかで、この別居循環を絶つ必要があるのかもしれません。 四十を迎えた私たちの世代は、主体的にこの問題に立ち向かい、 新たな決断を迫られているようです。 2010年9月18日



日東電工という会社が、ココ豊橋にあります。 粘着技術を駆使して、ビニールテープに留まらず、紙粘着シート、医療用テープまで。 ここ数年は、液晶テレビ等に使用するフィルムで業績を伸ばしています。 その分野では、世界一のシェアを誇るそうです。 自社の技術を、どのような場面で応用できるのか。 常に工夫し、常に新しい何かを追求している会社です。 最近そこの研究者の方とお話をする機会がありました。 新製品は、自分が生み出すのではなく、顧客の声から生まれて来る。 そのため、研究所には閉じこもらない。いざ、扉の向こうへ! そして、顧客との関係を深め、率直な声を聞き出して、それを形にして行く。 それを当り前のことと言われていました。 その時、小売業者も同じだと思ったのです。 幸いにも、小売店という空間には、顧客の方からわざわざ足を運んでくれます。 しかも、明日の仕事まで教えてくれる。 果たして、小売業者は、その声に耳を澄ませているだろうか。 聖書も教えています。「聞く耳のある者は、聞きなさい。」 2010年9月14日



携帯電話の機種変更をしました。 電話機は益々進化しています。 料金プランや付加サービスは、さらに複雑となり、 申込までにかなりの時間がかかりました。 しかし、花盛りの携帯電話に疑問を感じます。 電車に乗り込むと、向かい側の席に並んだ人たちは、 どの人も携帯電話とにらめっこ。それはそれは、異様な光景でした。 隣の人と話すことはなく、各々自分の世界に閉じこもっている。 さながら携帯電話に支配されているような様相です。 携帯電話依存症を彷彿させます。 果たして、携帯電話によって、人と人とのつながりが円滑に濃密になったのか。 かえって、じっくりと会話をしたり、手紙を書く機会が減っています。 すぐに伝達できる利便性はありますが、 結果として、言葉遣いも軽いものとなりがちです。 手紙のように待つ楽しみもなくなり、我慢もなくなります。 これらは、人間の中味を希薄にしているかもしれません。 携帯電話に支配されることなく、賢く使い分けて行くべきでしょう。 伝える道具ではなく、伝える内容こそ問われています。 2010年9月7日



異国の地で、最愛の人を亡くすことは、どれほど心寂しいことでしょう。 私のお世話になった日本人牧師夫妻は、戦時下の敵国アメリカにいました。 そこで、生まれたばかりの息子さんを亡くします。 時も時でしたので、葬儀をあげることもままなりません。 しかし、助ける人は現れるものです。 小さな棺を作ってくれた名もなき米国人に、ご夫妻は、いたく心を打たれます。 それが、どれほど尊いものであったのか。 同じ日本人として、この善意には世代を越えて恩義を感じてしまいます。 今回は、そのお返しができる機会が巡って参ります。 私たちの街に、出稼ぎに来ている異国のご夫妻。 五十手前の働き盛りのご主人が突然亡くなりました。 残された奥さんの情愛は、葬儀中の悲痛な嗚咽に表れていました。 土葬育ちですので、火葬を受け入れることができるのか。 事前に声をかけます。 「もはや、ご主人は此処にはいません。主のもとですよ。」 無事収骨が終わりました。 彼女は私の手をしっかり握りしめ、優しく微笑んでくれました。 「ありがとう。」 2010年9月2日



父親の古稀(こき)のお祝いに、親類一同で東京ディズニーランドに行きました。 八年ぶりの来園で、変わっているところは、変わっていました。 酷暑の中、比較的待ち時間の少ないショーを中心にまわります。 驚いたのは、衣装も演出も、かなり派手になっていました。 もともと子供ばかりか、大人も楽しめるのがディズニーの理念。 しかし、行き過ぎていないだろうか? やはり、子供の目線にあわせることでしょう。 以前は、女性の肌は、露出させずに踊っていました。 いつの間にか、宝塚歌劇団のような華やかさ。 また、お城の前では、水をふんだんに使って、軽快な音楽で踊ります。 びしょ濡れになって、頭の上で手拍子する光景は、何処かのコンサート会場のようでした。 それらは、エキサイトで刺激的なのでしょう。 閉塞した時代には、このようなスタイルが求められるのかもしれません。 いつしか顧客の求めるがままに進化を遂げているようでした。 ディズニーの魅力は、時代に媚びることなく、子供目線で理念にこだわり続けることです。 2010年8月26日



最近サッカー少年団に息子が入りました。 土日は遠征試合が多く、先日は刈谷市まで同行します。 帰り道で、試合中のコーチの言葉を気にかけている様子。 叱責の意味が不明のまま、ふらりと中華料理店に入ります。二人カウンター席に。 すると、ご年配の店主らしき人が、少し離れた所で、若い従業員を叱りつけていました。 白髪の人は、もう相当なお歳と見受けられます。 しかし、手加減はありません。 鋭い目に厳しい語調と態度。真剣そのものです。 本来は客に見せてはなりませんが、久し振りに本気で叱りつける光景を見ました。 昔は、よく見かけた光景であり、自分も体験させていただきました。 その日も暑い日で、厨房内の熱さは、また格別だったでしょう。 叱り飛ばされながらも、その若者は、黙々と汗を流して働いていました。 「はい、すいません。」 そのひたむきさに、私の目頭は熱くなります。 「お父さん、泣いているの?」あっ、見破られてしまいました。 「期待されているから叱られる。叱られた時は、素直にハイと返事をしよう。」 2010年8月19日



六十五年目の夏を迎えるにあたり、図書館である事実を知りました。 特攻機を設計した海軍の技師。 速度をあげるために機体先端は流線型に。 しかし、着陸のための車輪はありません。 それは、敵機とともに自爆する飛行機だったのです。 搭乗した多くの若き特攻隊員が、帰らぬ人となりました。 終戦を迎えた三木忠直(ただなお)さんは、自責の念に駆られます。 その時、心に響いて来たのが、聖書の言葉でした。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。」 重荷を下ろせる先を見出します。 すなわち、十字架の意味を深く悟ったことでしょう。 そして、顔をあげて立ち上がります。 すると、持てる技術と才能を生かす道が備えられていました。 それが、同じく流線型を採用した新幹線。 戦後復興の偉大な立役者であり、未だ死傷者を出さない安全性を誇ります。 快走する姿は、まさしく、平和のシンボル。 あの戦争は、この夏も問いかけます。いかに生きるべきか。 三木さんは、ご自分の義務と責任を果たされました。 2010年8月16日



戦争を知らない世代が、戦争を知ることができるのか。 写真で、映像で、記録集で、人伝えで知ることはできます。 しかし、その知るレベルは浅いでしょう。 悲しいかな。体験と知識は、格段に違います。 ゆえに、首相も被爆者にわが身を置きますが、 「核抑止力は必要」という言葉がでてしまう。 広島と長崎の被爆者が年々少なくなっています。 被爆者こそ、原爆を知っています。 しかし、人は他者の痛みを自分の痛みとできないものです。 それを原罪とも呼んで良いのでしょうか。 その時、人にできることは何であるのか。 少なくとも、謙虚に被爆者の声に耳を傾けることでしょう。 まず、知ろうと努める。誰もできることです。 ところが、無関心で通すこともでき、何も責められません。 原爆以上の魔物は、この無関心かもしれません。 世界で唯一の被爆国であることは、私たちの背負う十字架のようです。 わが国にしかできないことがあります。 わが国がしなければならないことがあります。 この日、鳴り響く鐘の音とともに、それが聞こえてくるようです。 2010年8月9日



自宅の前に見える山で、小学生が行方不明に。 なんとか助かってほしい。 そんな気持ちが伝わったのか、24時間後に元気な姿で発見されました。 その日は、地域の納涼祭で、地域の方々と「よかった。よかった。」 安堵し合いました。そんな時、28年前のある事件が、口々に沸いて出てきました。 それは、幼稚園児が一瞬の隙に行方不明になった事件。 池の水をすべて流すなど、懸命な捜索も及ばず、未だに行方が分かりません。 当時は拉致されたのではと様々な憶測も飛び交ったそうです。 この事件は、今日も地域の人たちの心に重くのしかかっているのです。 江戸時代末期に、船で遭難した音吉は、生涯行方不明者であり、故郷に戻ることはありませんでした。 しかし、英語を習得した彼は、聖書翻訳をはじめ、日本の開国、漂流民の帰還に貢献。 見えない所で、濃厚な足跡を残していたのです。 そして、月日が流れて2005年。故郷の美浜町に遺灰が帰ります。 ああ全能の主よ!不明者に、その家族に、その地域に絶大なる祝福を! 2010年8月2日



花火大会があちらこちらで開かれています。 わが故郷では、近くの豊川から打ち上げられます。 そこは、私の散歩コースになっていますが、 当日の約一か月前から、川沿いに桟敷席を設置しています。 折も折で、灼熱の太陽を浴びて、汗をかきかき職人さんたちが工事をしていました。 そして、花火はものの数時間で終わり。 今度は、撤去作業が、これも猛暑の中で、数日間続いていました。 大勢の人が花火を楽しみますが、これらは準備や後片付けという労苦の賜物でもあります。 これは、お料理でも同じでしょう。 食材を育てる人、加工する人、運ぶ人、売る人、調理する人、片付ける人・・・ その周辺では、電気やガスに水道を供給する人、下水やゴミを処理する人・・・ あまりにも多くの労苦があって、食べることができます。 その感謝を忘れてはなりません。 なぜなら、そこには、愛されている事実があるからです。 「君は愛されるため生まれた」という讃美歌があります。 少なくとも日に三度は、食べることを通じてこの事実が分かります。 2010年7月27日



ぶらぶら散歩をしていたら、小学生10人ぐらいの集団が自転車を走らせていました。 これから迎える夏休みに胸を高鳴らせている様子でした。 しかし、一人が信号無視をして、向こうにある飲料の自動販売機へ。 すると、全員それに従って、信号無視。 見通しが良いことも幸いしましたが、もしも、スピードを出した車が来れば、大きな事故に至っていたでしょう。 集団心理と言えば良いのでしょうか。大勢いると何か大きな気持ちになってしまう。 そんな時は、自分で考えて判断をしなくなってしまう。 もし、最初の一人がリーダー格で、自分だけ信号無視をしなかったら、仲間外れになってしまう。 そんな気持ちも働いていたかもしれません。 人間の弱さを垣間見る光景でした。 「君たち、周りに流されるな。こういう時が一番危険だぞ。自分で考えてから行動しなさい。」 ついつい道端で説教してしまいました。 先人は語っています。 自ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人といえども吾往(ゆ)かん。 この気概こそ、大人社会にも今日求められています。 2010年7月20日



わが故郷の渡辺崋山が自刃に至る契機となるのがモリソン号事件。 それに乗船していた一人が、音吉と呼ばれる愛知県の漂流民でした。 わが故郷の海の近くで遭難します。 14か月も太平洋をさまよい、奇跡的に北米大陸に漂着。 奇特なイギリス商人に助けられて、中国のマカオに送還されます。 そして、鎖国化の日本に帰るのがモリソン号。 ところが、浦賀で砲撃されて、痛恨の南下。 その途上で、われらが故郷を横目に通り過ぎます。 その時、崋山は、その船を見たのかもしれません。 この音吉について、もっと知りたいと思った時に、中学時代の英語塾の先生の文献に目が留まりました。 そこで、先生のご自宅を訪ねます。 先生は、わが故郷の知性たる存在で 「本人よりも僕の方が詳しい」と自負するジョン万次郎の研究者。 先駆者としての崋山から始め、ジョン万、そして福沢諭吉のつながりを教えてくれました。 そして、「にっぽん音吉漂流記」を読んでくるように。 久しぶりに先生の生徒に戻りました。「今度は、もっと詳しく教えてあげるよ。」 2010年7月15日



不登校や引きこもってしまう子供たちのことを耳にします。 どうしたら良いのかと親御さんが相談をもちかけてくれます。 果たして、私もどうして良いのか分かりません。 ただ、これは子供たちだけの問題ではなく、親も自分の生き方を顧みる機会にも思えます。 子供は自分を映してくれる鏡です。 それが、親にっとっても、より良く生きる転機ともなりうるでしょう。 そして、子供への手がかりは、お料理を作る事に一つの可能性を感じています。 人は人から喜ばれる時に喜びを感じられる。 それを一番身近で具体的に体感できるのが、お料理を作る事。 「おいしい」と自分で感じられるのはもちろん、人から「おいしいね」と言ってもらえる。 その時、喜びや生きがいを全身で感じられる。 例えば、ホットケーキをキツネ色に焼くことを目標にさせる。 どうして、うまく焼けないのか考え始めます。ちょっぴり助言する。 すると、五感が働き始め、同時に生きる力のようなものが、ぴちぴちと目覚めてくる。 「おい、うまいぞ〜」それは、自分と人を信じられる瞬間です。 2010年7月10日



サッカー日本代表が帰国した時に、先発メンバーから外れたエース級選手に対して、 「代表を引退するのか?」と報道陣が質問します。 オリンピックの浅田真央選手が、ミスをした直後に心境を問われるインタビューと重なります。 相手の立場にわが身を置いてみる想像力の欠如でしょうか。 いや、わが身を振り返ると、日常でも同類の事をしてしまっている。 いわゆるマスコミの人たちは、競って話題になる事件や事故を追いかけます。 先日も、わが故郷の中学生が事故で亡くなりました。 すると、マスコミの過熱報道。 悲しんでいる人にマイクを向けるべきでしょうか。 さも、伝える事は義務であり、聞く事は権利だと言わんばかりです。 相も変わらず、昼間だけではなく、今日では朝のテレビでも、 心を失ってしまったような報道が続いています。 そこには、それを興味本位で見聞きする視聴者たちがいるということです。 政治の世界も然りで、政治家を批判する前に、有権者はどうのなのか。 問われているのは、誰でもない国民一人一人です。 2010年7月6日



サッカー日本代表が発表された当日、 川口選手と駒野選手がココ豊橋にやって来ました。 所属チームをサポートする会社が激励会を開いたのです。 お二人とも、その激励に応える活躍をしてくれました。 印象的だったのは、決勝トーナメントでの選手を含むスタッフ全員での円陣。 そこで、サムライとは何者かに気づかされました。 サムライとは、今自分が為すべきことを分別できる。 そして、時には勇気をもって、時には忍耐をもって、それを黙って成し遂げる。 今回、川口選手は、最初から控えだと理解していました。 もちろん現役選手ですから、ピッチの中で活躍したい気持ちはあったのでしょう。 しかし、今までの豊富な経験を通じて、ピッチの外から貢献していく。 自分の願望と違っても、今日それが彼の務めでした。 もはや、PKを外した駒野選手を責める者はいません。 そこには、サムライの至誠である、勝つことよりも尊い境地が見えてきたのでしょう。 私たちもサムライ。この人生舞台で、自分の義務を悟り、自分の責任を果たすことです。 2010年7月1日



隣町の田原市で警察官の125回忌が執り行われました。 そこには、忘れられない、いや忘れてはならない事跡がありました。 125年前に、田原の街に、伝染病のコレラが発生します。 医師とともに、防疫に務めていた江崎邦助(くにすけ)巡査は、 自分が感染したことを人力車の中で自覚します。 もはや、車中では耐えられず、道から離れた林の中で横になります。 駆けつけた医師がコレラと診断すると、 「自分はとうてい助かる見込みはない。 今自分が田原の市街地に入ったら、住民は恐怖にして極度の人心不安を引き起こし、治安の混乱となる。 警察官の自分が民衆を保護し、公共福祉のため公務に倒れるのは本望である。」 壊れかけた小屋に移ると、新婚早々だった十九歳の妻は、すでに心を定めていました。 「みなさんはお帰り下さい。」命がけの看護が始まります。 しかし、その甲斐もなく、病魔との格闘の末、巡査は命を落とします。 後を追うかのように、同じ小屋で、新妻もひとり逝く。 生きるとは、かくあるべし。夫婦とは、かくあるべし。 2010年6月28日



浜名湖の野外学習で、同じ街の中学生が亡くなりました。 その施設で宿泊したこともあり、その中学校の先生方も良く知っています。 それこそ、先週の同窓会で久し振りに再会したクラスメートであり、 数年前まで息子たちの小学校に勤務していた先生であり、 私の小学校時代の恩師でもある方々です。 もちろん先生方の責任も問われるのでしょうが、 同じ街に生きる大人として、この事態を反省してみたいです。 私が中学校時代にも、プールで同級生が亡くなりました。 いかに学校が重苦しい雰囲気になったか。 そんな中で先生方は、監督不行き届きを責められながらも、 私たち生徒には、いつもと変わらない態度で、静かに接してくれました。 それは、私たちにとって、生きる意味を考える貴重な時だったと思います。 こんな時、責任問題で大人が争う時ではありません。 まず、残された中学生の立場に身を置くべし。 命の重さを感じている彼らが、友人の死を決して無駄にしないこと。 より深くより強く生きる導きを、静かに与えてあげることです。 2010年6月19日



私たちの結婚式は、地下鉄サリン事件の翌日でした。 霞が関で働いていた友人は、無事駆けつけてくれました。 先日、高校の同窓会があり、その友人に久しぶりに会いました。 もともと、今はなき郵政省の役人でしたが、民営化を経て、現在は郵便局に勤務しています。 激動の時に当たり、官庁の世界と、民間の世界を知るに至ります。 そこで、彼が感じたことは、人間の組織である以上、どちらも変わりがない。 官庁の世界は、民間の世界とは違うのだと言う強い自負心があるそうです。 良い意味では、プライドですが、悪く言えば、傲慢不遜となる。 違った世界に身を置いて、初めて自分のことが見えてきた。 その意味では、民営化は成功だったのでしょう。 それでも、日本の官僚は優秀です。 政治がドタバタしていても、平然と国がまわって行くのも彼の皆さんのお陰でしょう。 素晴らしい資質や能力をもっています。 しかし、そこに謙虚さが加われば、さらに鬼に金棒。 孤高の霞が関にしてはなりません。 あくまで、みんな人の子ですから。 2010年6月14日



菅新首相と言うよりも、妻の伸子さんに期待をしてしまいます。 ご主人の女性問題があった時に、「脇が甘いのよ!バカたれ!」 それは、国民の率直な気持ちを代弁してくれた。 奥さんによって、その政治家を判断できそうです。 文芸春秋の巻頭随筆で阿川弘之さんが二・ニ六事件の妻たちのことを以前紹介していました。 軍人たちが自宅に襲撃した時の態度です。 渡辺錠太郎教育総監の妻は、「帝国軍人が土足で家に上がるとは無礼でしょう!」と一喝。 岡田啓介首相の妻は、「撃つなら私を撃ちなさい!」と銃口の前に立ちはだかります。 そして、九年後に終戦工作の大役を担う鈴木貫太郎侍従長の妻は、 「とどめは止めてください!」と冷静に対処して、侍従長は一命をとりとめます。 気丈な妻たちの光景に、表舞台での活躍は、内助の功ゆえだと分かります。 歴史を丁寧に調べれば調べるほど、きっと陰で労苦した女性の存在が、浮かび上がってくる事でしょう。 我が国の女性は伝統的に賢い。この時代も、女性の力が必要とされています。 2010年6月11日



わが故郷は、ゴミゼロ運動発祥の街です。 合言葉は、「自分のゴミは、自分で持ち帰りましょう」 毎年5月30日は、ゴミゼロの日として、この運動の推進活動が展開されます。 もともとは、豊橋山岳会の故夏目久男さんが、山に散乱するゴミに憂えて始まります。 しかし、これは単に環境美化にとどまらず、果たすべき責任を教えているのです。 それは、失敗や損失をだした場合に、その責めを自分が負うことです。 負う主体は、他人でなく、自分なのです。 鳩山さんが責任をとって首相を辞任しました。 一国の首相の責任のとり方とは、辞任をもって完結するものでしょうか。 鳩山さんが「命がけで」沖縄の問題に取り組むと言われた。 その数日後に、首相を辞任して、政治家まで辞する。 ふと、帝国海軍の山口多聞(たもん)提督のことを思い出しました。 ミッドウェー海戦で指揮する空母が被弾。 戦闘能力不能を悟ると、即座に総員退艦を命じます。 しかし、ご自分は退艦を固辞。沈む戦艦と運命を共にします。 これが、大先輩の責任のとり方でした。 2010年6月4日



近くの路上で自転車の高校生が車にひかれて重体となりました。 同じ日に、死亡事故もありました。 ごく身近なところで、かけがいのない命が失われています。 死亡事故は、本来は一件でも起こしてはならないもの。 そんな折、県内の知立(ちりゅう)市では、死亡事故ゼロの日が六百日間続き、現在も更新中と知りました。 当たり前の事ですが、偉業です。 知立と言えば、伊勢物語の三河国八ツ橋に咲くカキツバタで有名です。 在原業平(ありわらのなりひら)が都の妻を偲んで歌を詠んでいます。 句頭に「かきつばた」の文字が順番に入ります。 「から衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」 そのカキツバタを尾形光琳(こうりん)が屏風画にしています。 価格ではなく、交通事故ゼロで競争する社会こそ健全です。 減税ではなく、安全の街にこそ、人も集まるでしょう。 知立の皆さんに、敬意をもって、かきつばたの歌を贈ります。 「かつてなき 希望輝く 月日あれ ハンドル握る たのもしき街」 さらにゼロの日が続きますように。 2010年5月29日



観察とは、見ようという意志が潜みます。 その時、はじめて見えてくる世界がありました。 この季節、桜の葉がうっそうと生い茂っています。 その葉を観察してみると、葉の付け根のところに小さな瘤(こぶ)があるのです。 しかも、蟻がそこに食らい付いている。 さらに、その周りでは、至るところ蟻が行き交っています。 そこで、この瘤を調べてみると、蜜腺とありました。 そこに蜜がほんのりと溜まっているのだそうです。 さすがに、つぶして舐めるには至りませんでしたが、 蟻のしがみつき様では、きっと甘いのでしょう。 なぜ、ここに蜜腺があるのか。 どうやら、桜から蟻へのお駄賃のようなのです。 桜の葉には、害虫がつきやすいことでも良く知られています。 それらの害虫を蟻が追い払ってくれる。 まさに、蟻は、四六時中せっせと働く、桜の見張人だったのです。 そこには、互いに助け合う、美しい姿を見ることができました。 いつも見ている桜なのですが、四十年以上もこのことが見えていませんでした。 じっと観察すると、真実な世界が見えてきます。 2010年5月22日



外国人の知り合いが、警察に嫌疑をかけられ勾留されました。 言葉が通じない不安。法律のことを知らない不安。 それはそれは暗闇のような日々だったそうです。 もしかしたら死刑にと、最悪のことまで考えてしまったのだそうです。 その時、いち早く接見に駆けつけたのが、教会の牧師。 聖書を差し入れ、彼のために祝福を祈ります。 そこから、事態が急変。 誘導性のあった警察の尋問に疑惑が渦巻いていました。 祈りにより、真実は勝つという確信が与えられます。 一転して、検察官の前では、ありのままを語ることができたそうです。 結果、晴れて無実。感謝と喜びに溢れていました。 釈放される前日、牧師から接見に行かないかと誘われていました。 私には、その発想すらありませんでした。 その夜、原因不明の腹痛が私を襲い、トイレにこもります。 牧師は、その人が一番苦しい時に、その人の痛みを自分の痛みとしている。 かたや、私は自分の腹の痛みに苦しんでいる。 自分の想像力の乏しさ、いや愛の貧しさを感じた時でした。 2010年5月17日



手作りの一品をお裾分けしてくれるご近所のおばさんがいます。 その一品は、すぐに食べ尽くしてしまうほど美味しいのです。 あの人は、どうしてあんなに親切なのだろうか。 家内が、母の日の朝に、おばさんにクッキーを届けました。 すると、おばさんがお化粧姿で、夕方お返しをもって来てくれました。 その場で立ち話となり、娘さんのことを伺いました。 生まれながらの病気で、小学校の修学旅行にさえ行けないようなお体でした。 しかし、本人の強い意志で送り出します。 級友たちの強力な支えもあり、車椅子で旅行を満喫できました。 その数日後、ぽとりと小さな命が落ちました。 数名の級友たちは、葬儀で倒れてしまったそうです。 やがて、命日には毎年おばさんを囲んでクラス会が開かれます。 今年は、ちょうど母の日。三十六年目のクラス会にご招待されたそうです。 深い悲しみをもった人には、深い慰めが待っているのでしょう。 そして、その慰めが他者への愛情となって周りに注がれる。 あの一品の美味しさに一人合点が行きました。 2010年5月11日



若葉から青葉へ。この言葉の使い分けに、日本人の細やかな感性が潜みます。 また、新緑という言葉も、絶妙です。 あの緑を美しく感じれるのも、それが新しいゆえでしょう。 古いものは一掃されています。 そんな時、生物学者の福岡伸一さんが 「食べる事によって固体の身体は、分子レベルで日々刷新される。」 この見解に、料理研究家の辰巳芳子さんが共感していたのを思い出します。 食べる事によって、人間もあの新緑のように刷新されている。 美味しいものを食べた時に、身体がぴちぴちと音をたてて喜んでいるような瞬間があります。 あれは、細胞の刷新だったのでしょうか。 それでも、身体には老いが訪れます。 しかし、心や霊のレベルではどうだろうか。 「人はパンだけによって生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」 聖書の言葉が、信仰者の心を刷新してくれます。 ゆえに、「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」 新緑、食べる事、聖書の言葉が、私の中でひとつに繋がりました。 2010年5月6日



親戚のおばさんが急逝されて、長野県の戸倉まで告別式に出掛けました。 名古屋から特急しなのに乗車。 信濃路は、ちょうど桜の花が盛りを迎え、桃の赤い花もあちらこちらに。 告別式の後に、三十年ぶりにおばさんのお宅を訪れます。 小学生のころ、祖父と一泊させてもらったことがありました。 そこに、タローという犬がいたこと。 すでに他界された警察官のおじさんの遺影が飾ってあったこと。 かくしゃくとしたおばさんが、しゃきしゃきと、もてなしてくれました。 時を越えて、同じお宅に着きました。 車から降りると、ほのかな甘い香りを感じます。 玄関先に植わる木に、ちょうど白く可憐な花が咲いていたのです。 それは、梨の花で、時季が来ると甘い実をつけるのだそうです。 ふと、ありし日のおばさんと、梨の花が重なりました。 優しく微笑んでいる。「母は逝く 甘き笑みする 白き花」 ご家族に一句残して去りました。 帰りの電車では、信濃路をずっと付き添ってくれた月を眺めていました。 「逝きし時 梨咲きぬれば思い出づ 月いよいよと優しく光れり」 2010年4月27日



ある家電量販店がオープンする異様な光景。 その界隈では、熾烈な競争が繰り広げられます。 「切磋琢磨して行きたい」とライバル店。 私には、お互いを磨くどころではなく、お互いを削っているように見えてしまいました。 小売店の決算書を吟味していく必要があるでしょう。 もちろん、売上ではなく利益です。 そこには、磨きであるのか、削りであるのかが表れます。 それと重なったことがありました。 この春、お子さんが高校に入学した方に御祝いの言葉を贈ります。 すると、「授業料が無料になって嬉しい。」との言葉が返ってきました。 複雑な気持ちになります。どうも当座だけに目が行ってしまいがちなのです。 国の財政を吟味していく必要があるでしょう。 財務省によると、国の借金は、税収の10年分に膨らんでいます。 国民一人当たりで計算すると、約433万円。 これは、主要先進国中でも最悪の水準です。 授業料無料とは、子供や孫世代に借金を先送りしているだけとも言えます。 この政治の光景と、あの小売の光景が妙に重なりました。 2010年4月19日



商品を企画する方と話し合っていました。 これからは、一人暮らしのお年寄りがますます増えてくる。 その社会情勢に合わせて、保存容器を上手に提案できないか。 その時ふと、我に返ったのです。 商品とは、社会情勢に合わせて売るものなのか。 もし、そんな便利な商品ができたとしても、お年寄りは本当に幸せなのだろうか。 まずは、一人暮らしを疑ってみる。今のままでよいのか。 知恵を絞るなら、家族一緒に生活できないものか。 本来みんなで食べれてこそ幸せではないのか。 かえって、便利な商品が、一人暮らしに拍車をかけてしまっている。 まるで、一人暮らしを奨励しているかのように。 本来小売店とは、消費者の生活に追随する存在ではなく、 消費者に生活を提案する存在ではなかったのか。 こんな時代だからこそ、時には、耳が痛いことも訴えるべし。 考えもなく、消費者に追随するばかりでは、 この国の前途は暗く、もはや後戻りもできなくなります。 小売店は何のためにあるのか。イオンもセブンも原点に返る時だと思います。 2010年4月16日



同じ業界でお世話になっている大先輩からメールをいただきました。 先週、大学の入学式に招待されたとのこと。 さながら、子供のように喜んでおられました。 卒業50年の同窓生には、招待状が届くのだそうです。 母校らしい粋な計らい。 入学式は、桜の花がちょうど満開で、 春の暖かな風を受けて、何かワクワクするものです。 あちらこちらで賑やかにサークルの勧誘をしている。 新入生はスーツ姿が、まだ板についていません。 しかし、それがまた初々しい。 ひとつの時代を築いた大先輩は、そんな入学式に何を思うのか。 年若き人たちを羨むよりも、新鮮な気持ちがみなぎったと大変喜んでおられました。 そんなお便りをいただくと、私の方にも伝染いたします。 30年後を楽しみにしたいものです。 しかし、この時代、浮かれてはおられません。前途は多難。 その日学長は、新入生にエールを送っていたそうです。 私たちが常々感じていることです。 やはり、この学舎で教えていただいたことだったのでしょう。 「自分で考えられる人間になってほしい。」 2010年4月10日



桜の花が咲き始めた頃に、春の嵐がやってきました。 ああ〜桜の花びらが散ってしまうと思いきや、それほど散っていないのです。 不思議だなあと思いつつ、夜のNHKニュースでもその話題が持ち上がっていました。 同じことを感じている人はいるものです。そして、研究者の解説。 受粉という役割を果たすまでは、花びらは非常に強く付いているのだと。 花びらは、虫などが受粉しやすいようにある。 そこで、咲き始めの花びらを引っ張って実験していました。確かに強そうです。 そして、その役割を終えると、今度はそれとは裏腹に、潔く散って行く。 何か、創造の神秘を見るようでした。 創造者を信じる私にとっては、ならば、人間も同じではと悟ります。 人間もすぐに散ってしまいそうな弱さを秘めていても、 その役割を果たせるように創造されている。 今年の春の嵐は、特別に強かった。しかし、桜はじっと耐えていました。 それは、この時代を生きる私たちにも、優しく語りかけているようです。 あの桜花を見よ、汝使命ある限り、如何なる嵐にも負けじ。 2010年4月3日



昨年の紅白でも話題になった英国のスーザン・ボイルさん。 彼女の「夢やぶれて」に心打たれました。 四十八歳の彼女の生きざまと重なったのでしょうか。 この曲は、もともとミュージカル「レ・ミゼラブル」の悲劇のヒロインが歌いあげます。 そこには人生の悲哀が凝縮されています。 しかし、物語はそれを超越する希望を歌いあげています。 復活祭を前にして、もう一度、岩波文庫で読み返しています。 そこで、気づいたことがあります。 物語冒頭の第一部第一編「正しき人」に作者ユーゴーは多くのページをさきます。 その人は、銀の食器を盗んだ元囚人を赦します。 この出来事を通じて、ジャン・バルジャンが復活。 第一部のひとつの山であり、有名な場面です。 その場面にのみスポットが当たりがちですが、 実はそこに至るまでの正しき人の日々の生活を強調したかった。 人が変わるのは、瞬間であっても、人を変えるのは、きよき生涯である。 この物語の主眼は、この第一編にあったのでは。 その生涯に連なる平凡な一日を見直しています。 2010年3月27日



ある国内のメーカーを訪れました。 広々とした敷地に工場があるのですが、現在では稼働していません。 海外の工場で作ったものを、検品して組み立てる倉庫となっています。 ところどころにある機械は、寂しく風化しています。 そこで、見かけたのがダンボールの置いてある島。 「これが悩みの種なのです。」 それは、代理店や小売店から戻って来た返品の山でした。よく知っている百貨店問屋の名前が送り状に見えました。 そのほとんどが着払いの送り状。 新商品が出たり、ある企画が終われば、売り切らずに 返品するのが大手小売店の慣行と聞いたことがあります。 市場が大きかった時は、それで通用してしまったのでしょう。 しかし、買ったものは、売り切るのが責任というものです。 消費者のためとは名ばかりで、小売店のエゴを見るようです。 メーカーも、その慣行に未だ引きずられている。 こんな状態では、どちらも不信感が増すばかりです。 稼働していない工場。 メーカーの現状に心を傷めてこそ、明日の小売業があると思います。 2010年3月20日



朝七時豊橋発の新幹線で、東京の合羽(かっぱ)橋へ。 駅に向かう車の中で朝日を浴びます。 その日は、ひときわ光が溢れていました。 さらに、階上にある豊橋駅入口前の広場。 そこからビルの谷間を快走する市内電車を見下ろせます。 絵になる故郷の風景です。そこで、今日新たな発見。 その風景は、ちょうど東の空が広がるのです。 しばし立ち止り、「朝日を浴びる街」にじっと見入ってしまいました。 そして、朝の豊橋駅は、他の時間帯とは違った世界がありました。 駅内に流れている空気が違うのです。凛として落ち着いている。 切符は自動販売機ではなく、みどりの窓口で購入します。 若い駅員さんの笑顔が爽やかでした。 そして、新幹線の待ち合わせ室でサンドイッチとコーヒーを買います。 そこの店員さんの動きもきびきびとしていて気持ちが良い。 コーヒーの香りが流れる中、さあ、やるぞという意欲が沸いてきます。 改めて、朝は、黄金の時間なのだと思いました。 少し早起きをすると、三文どころでない、良いことが待っています。 2010年3月13日



四十も過ぎると、少しづつ体に変調が生じます。 見えること、聞こえることをはじめ、感覚器に今までになかった違和感を覚えます。 老化が進行している自然の流れとも言えます。 その時、その状態をありのまま受け入れれば幸いです。 その点で、子供たちの受容能力は素晴らしい。 大人の方が、それを受け入れられず、精神的にも追い込まれやすい。 半端な知識や経験がそれに拍車をかけるようです。 かえって、安心どころか不安が増すばかり。 賢く医療を利用しながらも、かたや、体は体で自然治癒力もあり、 上手につきあって行くことでしょう。 その時、信仰が光を与えてくれます。 何を信じているのか。それは、今の状態が偶然ではなく必然であること。 必ず意味があることであり、しかもそれは善きことに変えられる。 その背後には、変えてくれる善き方が存在するのです。 英語では、その存在をGodと綴ります。goodと同じ語源のようです。 その方は、私にグッド、いや最善をなされるという信仰です。 すると、ごくごく自然に受容できるのです。 2010年3月8日



豊橋商業高校の卒業式に来賓として参列いたしました。 創立100年を越える伝統校で、三万人近くの卒業生を送り出しています。 はじめて校長室に伺いましたが、校訓の「以信為本」(いしんいほん)の書が掲げてありました。 すなわち、「信を以(もっ)て本(もと)と為す」 まさに、商業の真髄。その書のそばには、複式簿記を日本に初めて紹介した 福沢諭吉先生の「帳合(ちょうあい)之法」初版本全巻が戸棚に収まっていました。 それを前校長の水野昭彦先生が現代語訳版として最近自費出版される。 伝統をしっかりと受け継いでおられました。 新任の校長先生は、創立来初めての母校卒の生え抜きの先生。 式辞の時に、手が震えてしまったと恐縮していましたが、 伝統の重みを誰よりもしっかりと感じておられたゆえでしょう。 同じく、どこの国よりも歴史が長い日本は、 どこの国よりも見えない重圧がかかるのかもしれません。 その意味では、メダルの数ではないのです。 重い日の丸を背負ったオリンピック選手の皆さん、大変ご苦労さまでした。 2010年3月2日



オリンピック観戦で心が痛んだのは、織田信成(のぶなり)選手。 男子フィギュアフリーの演技途中に、靴紐が切れてしまう。 しばらく中断するものの、演技を再開します。 大舞台の思いもよらないアクシデントに、人生舞台と重なりました。 このような悲哀にこそ心打たれます。 金メダルを獲得する喜びの瞬間よりも強烈です。 まさしく織田選手が演じたチャップリンを彷彿させてくれました。 映画「街の灯」で、盲目の花売り娘のために、 チャップリン扮する浮浪者の男が必死で手術費を稼ぎます。 その労あって、娘は見えるようになる。 しかし、その恩人が誰か分からない。 最後に、コインと花を施そうとする浮浪者の手に触れて、娘は気がつきます。 字幕映画のセリフ「YOU?」に涙を流すのです。 靴紐を結んでいる織田選手の姿に、チャップリンの悲哀を見るようでした。 その次の瞬間は、必ず喜びと希望が待っています。 一番の作品はと聞かれた時に、チャップリンは答えたそうです。 「NEXT ONE」(次の作品) 織田選手のネクストワンが楽しみです。 2010年2月27日



書店でペラペラと本を立ち見します。 読むのではなく、目次などを眺める。 すると、「すべては観察からはじまる」という言葉に出会いました。 早速購入して読んでみました。 それは、弘前市で無農薬・無肥料栽培のリンゴに取り組む 木村秋則(あきのり)さんの著書「リンゴが教えてくれたこと」です。 「自然を見る、それも長く観察することが、百姓仕事。」 「自然はものを言わないから、こちらがそれをとらえる感性を磨く。」 「自然をとらえる時、感情が入ってはいけない。」等々、 これらの観察を通じて、考察もしているのだと思いました。 他人ではなく、自分の頭で考えている。 「人間は考える葦」とも言われますが、この行為こそ人間らしさを感じます。 観察と考察。いかにも小学校の理科の時間のようですが。 本質は、極めてシンプル。お料理も然りです。すべては観察からはじまる。 そして、考える。「なぜだろう」 その過程をへて、美味しさというご褒美が待っています。 自分の目で見て、自分の頭で考える。そこには、ほんものが待っています。 2010年2月19日



息子と二人で、名古屋の産業技術記念館に行きました。 そこは、トヨタグループが運営する物づくりの博物館です。 旧豊田紡績工場の跡地に、煉瓦作りの洋風の建物がズラリとそびえ立ちます。 グループの創始者である豊田佐吉さんの開発した織物機から始まり、 自動制御で車を作るまでの過程が展示紹介。 しかも、館員の方が懇切丁寧に説明をしてくれます。 この機械から6年後に…、その後に…、またその後に…、その繰り返し。 考えに考えて、工夫に工夫を重ねて、改善改良していく様子がよく分かります。 そこまでするのか!すごいなあ!その物づくりへの情熱、いや執念に圧倒されました。 豊かな時代を生きる世代は、その苦労の実だけを享受するばかりで、何もしていないようです。 ただ、口のみ達者で、評論家然として、いかにも真っ当なことを語っている。 「トヨタは大企業病だ。顧客目線に合わせるべし。」 その通りなのかもしれません。しかし、何か違うように感じます。 それでも、トヨタはじっと耐え、まだ見ぬ春を待っています。 2010年2月12日



今日の明け方ごろ、布団の中にもかかわらず、寒くて目を覚ましました。 こんな冷え込みは、この地域では珍しいのです。 すると、路上で生活をしていた、あるおじさんのことが脳裏を離れませんでした。 「あのおじさんは、どうなったのかな〜」 その方は、駅前の地下道で生活していました。 今日と同じく特別冷え込む夜に、ダウンジャケットを片手に おじさんのところに駆けつけました。いつもの場所には、いません。 商店街を探しまわると、暗闇の中で、一人ぶらぶらと歩いていました。 ジャケットを渡すと「ありがとう。ありがとう。」にっこり微笑んでくれました。 一緒に缶のおしるこを飲んだこともありました。 ところが、いつの間にか、いなくなってしまいました。 寒い夜は、いつも心が痛みます。 幸い豊橋には、路上生活者を支援するサマリヤ会があります。 代表の高島史弘(ふみひろ)さんは、「社会にもう少しの思いやりがあって、 みんながほんの一歩踏み出すだけで多くの人が救えるはず。」 できることは限られていても、できることは必ずあるのです。 2010年2月5日



建築家の伊東豊雄さんが朝日賞を受賞しました。 当社の実店舗の看板は、フライパンとお鍋のモノクロの写真です。 これをデザインして下さったのが、豊橋出身の若手建築家のホープ谷野大輔さんです。 しっかりと当社の要望を聞いて下さって、それを形にしてくれました。 その谷野さんが尊敬するのは、レム・コールハースというオランダ生まれの建築家。 早速、レムさんに興味をもって、本を買い求めました。 その本の中で、日本の伊東さんが、ご自分とレムさんの違いを語っていました。 レムさんは、自分の意見を通すタイプ。いや、仕事をだすクライアントを説得させてしまう。 かたや、伊東さんは、対話を重視する。 その時、「こんなものを創ってもらいたい」 そのコンセプトが明確であれば、伊東さんにお願いしたくなります。 それが漠然としているなら、レムさんの方がよいかもしれません。 谷野さんは、伊東さんのような仕事をするから、レムさんにあこがれるのかもしれません。 かたや、この時代、まずクライアントの夢が問われています。 2010年1月30日



最近、土をいじり野菜を育てています。 先日、子供たちと楽しくジャガイモの収穫をしました。 それをお母さんたちが、肉ジャガに。 自分たちで掘ったものは、そこに愛情が生まれるようです。愛おしい。 やはり、いと美味しい。休日に土をいじれるのは爽快です。 眼前には、そびえる山を仰げます。明るい光と心地よい風。 土と草の薫りと温もり。寒さも忘れ、ひたむきに汗を流せます。 中国人経営者の宋文洲(そうぶんしゅう)さんが、新聞記者の質問に疑問を呈していました。 「物作りという日本人のDNA」という言葉に対してでした。 「それは、明治時代以降のことで、弥生時代はどうだったのか。」 なるほどと思いました。すると、自分の中でひらめきました。 日本人のDNAと言われれば、それは、農業だろう。 これは、日本人に関わらず、ユニバーサルなものかもしれません。 聖書でも、最初の人、アダムの仕事は、土地を耕すことでした。 そして、人はやがて、その土に帰ります。 帰農という言葉ありますが、これは明日への道標のようです。 2010年1月26日



家内の好きな曲は、ヴィバルディの四季です。 今日新聞で知りましたが、ヴィバルディは孤児院に37年も関わり、 孤児たちに音楽を指導していたそうです。 やはり、孤児院に勤めていた家内の心に響くのかと思ったのです。 私は、両親とも今なお健在で、共に働いている境遇。 しかし、昨年末に良い経験をいたしました。 年末年始に帰る家のない施設の子を、我が家にお迎えしたのです。 名前は、サキちゃん。施設に迎えに行くと、開口一番「今日はカレーが食べたいな。」 私のことを「お父ちゃん、お父ちゃん」と慕ってくれました。 遊びに行くと、二人手をつないで歩きました。 そして、施設に帰る車の中。「今日もお風呂に入ろうね。」 「今日の夕ごはんは何かな〜」家族は、みんな沈黙です。 すると、「花〜すべての人の心に花を〜」のBGMが流れます。 「泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ」 運転しながら、涙が溢れてきます。まさしく、サキちゃんに捧げる歌でした。 車から降りると、元気に走って行きました。 2010年1月23日



牧師経験40年以上の初老の牧師夫妻を婦人の集まりでお招きしました。 ご婦人に囲まれつつ、私もお手伝いで、肩身狭くもその会に参加。 タイトルは喜ぶべきか「男性を理解する」 会社では真面目に働いているのに、家庭では居場所がない。 本来なら、安らぎの場に勇んで帰ってくるところを、 飲み屋で無為に時間を過ごす。なぜか。 悪いことには、自分の内面をうまく説明できない。 そして、プライドが強いのか「私は寂しい。」とも言えない。 意外にも、心を打ち明けれる友もいない。 子供は母親と結びつき、父親は、ますます孤独に。 深いところでは、女性と違う生理的な喪失感の問題。 年の功でしょうか、私なら気恥ずかしいことも、さらりと。 数多くの夫婦をご覧になっているので、問題の核心を外しません。 もともと男性は未熟なのです。 それを覆い、それを包み込み、本来の男性に変えてくれる存在が必要です。 女性あっての男性。最後の瞬間に「苦労かけたね。ありがとう。」 「ご苦労さま。ありがとう。」そんな二人でありたいです。 2010年1月21日



小林投手と江川投手との確執。そして、数年前の和解。 小林さんの急逝の報に、時を逸することなかれと思いました。 人と人との間には、行き違い擦れ違いがつきものです。 その時、同じ人を見つけては、擦り寄り、自分を正当化させます。 しだいに、グループが形成され、ますますお互いに近寄りがたくなります。 こうなると理屈ではなく、感情の領域に入ります。 何を語っても、平行線です。埒があきません。 毎週教会の礼拝で唱える「主の祈り」では 「私たちに負い目のある人たちを赦しました。」と宣言します。 赦すとは、わだかまりを捨てることでしょう。 そして、相手のために祈る。それが、愛することです。 そこに、平安が待っています。 人は愛されるために生まれたと言われます。 より正確には、人は愛するために生まれたのです。 これには、秘訣があります。救い主の十字架です。 そこには、こんな自分を赦して下さった事実があります。 赦されている者のみが、赦すことができる。 この良き知らせをご存知ですか。それが福音(ふくいん)です。 2010年1月18日



日本航空再建に税金を投入。来るべきものが来ました。 かたや、顧客のマイレージ・ポイントを保護する。複雑です。 今回の問題の根は、自由競争も一因だと思うからです。 小売業も明日は我が身かなと、航空業界の後を追うようです。 いや、すでに教訓はあったのです。ダイエーさんが思い出されます。 価格下落で荒らされた市場を、去りゆくものは戻してくれません。 残った会社は、さらに薄利の中で苦戦を強いられます。 消費者のみ喜べば、すべてが良い風潮です。 最近はポイント流行りですが、安売りの隠れ蓑のようです。 これこそ、販売店からしたら、最後は自分の首を絞めるものとなります。 消費者も結局、今回のように後でツケを支払う。 ならば、順序として、買っていない人ではなく、買った人こそまず 痛みを負うべきではないでしょうか。 日本全体が、この点で消費者には、非常に甘いのです。 売る人の責任はもちろん、今後は、買う人の責任も問われるべし。 会社の経営よりも、消費者べったりの社会こそ見直すべきでしょう。 2010年1月16日



北九州の方が、「博多と北九州は違う」 私も、「名古屋と豊橋は違う」とこだわります。 同じ県内であれば、知名度のある街と同じにされてしまうのが悲しいところです。 江戸時代までは、愛知県も西の尾張、東の三河と分かれていました。 より正確には、豊橋を含め蒲郡、豊川、新城、田原は東三河となります。 この「東三河は一つ」を訴えているのが、神野信郎(かみののぶお)さんです。 中部ガスという燃料会社の会長さんでもありますが、 ココ豊橋の街づくりにも大変貢献されています。 大叔父に当たる金之助さんは、遠浅の海を干拓して耕地にした「神野新田」(じんのしんでん)の開発者。 豊橋人であれば小学校の社会科でみんな習うのです。 地元紙の新春インタビューで八十歳になる神野さんが言われていました。 「立国は私なり、公にあらざるなり。」福沢諭吉先生の言葉を引いて、 「日本と地域のあるべき姿を自ら考える。 地方主権とは、市民一人一人がその自覚に立ち、責任と義務を負うことだ。」 その通りと大いに共感しました。これぞ三河人! 2010年1月12日



新年を迎えて、漠然とした不安が心を覆います。 新しくなるとは、今までとは違うことであり、先行きが分からないゆえでしょうか。 ちょうど10年前のことでした。 息子が生まれてすぐに、入院したことがありました。 深夜の豊橋市民病院に駆けつけて、医者から「かなり重症です。」 夫婦に緊張が走ります。 集中治療室のボックスに入れられ治療が始まります。 眠れぬ夜を過ごして、ひとり車で帰りました。 「これから、あの子はどうなってしまうのか・・・」 そんな重い心を抱えながら、国道1号線を運転していた時でした。 進行方向の東の空から、朝日が輝いていたのです。 ガラスごしの顔一杯に、その光を浴びました。 あ〜なんとも温かい。 すると、不思議と心が落ち着いて来ました。まさに、癒されました。 幸い息子は、一ヶ月後に退院して、今月十歳を迎えます。 今朝ちょうど東の空を仰ぐと、燦々と朝日が輝いていました。 「新年、大丈夫・・・」それは、天からの声なき応援歌のようでした。 私たちの国は、聖徳太子が示した日出(い)ずる国、日本です。 2010年1月8日