料理道具専門店 フライパン倶楽部

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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。



プーチン大統領が来日して、共同記者会見の席で、日露和親条約を締結した プチャーチン提督の名前をあげていました。 提督と言えば、来航した下田港で安政大地震に遭遇。津波により船が大破してしまう。 ところが、地元民が提督はじめロシアの乗船員たちを助けます。 しかも、幕府は新しい船を日本で作ることを許して、提督は日本で作った船で帰還。 提督の苦労とともに、地元民や幕府の善意の中で条約は締結されました。 さらに歴史をさかのぼれば、幕府から派遣された近藤重蔵は、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる。 間宮林蔵は、世界で初めて、樺太が陸続きではない島であることを発見。 時に、ロシアとの武力衝突が勃発するなど、極寒の大地での彼らの任務は、大変厳しいものだったでしょう。 そして、ラスクマンに大黒屋光太夫、レザノフに高田屋嘉兵衛・・・ 両国の先人たちは、平和を求めて、自国の独立を維持すべく懸命に努力したことが分かります。 そんな歴史を覚えてこそ、北方領土交渉は前に進んで行きます。 2016年12月27日



日露首脳会談が安倍首相の地元の山口県でもたれました。 その会談を通じて感じたのは、首相が掲げる地球儀を俯瞰する外交です。 それは、二国間関係を詰めるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して取り組む戦略的な外交。 全体を俯瞰できるとは、すでに日本が世界全体を主導する立場にあることを意味しているかもしれません。 それは、憲法前文で掲げる国際社会における名誉ある地位を占めることでもあるでしょう。 日露の問題も、二国間の問題ではなく、欧州・中東・中国・米国等と複雑に絡みあう 国際社会全体の中で解決して行くべきものといえます。 そのためには、どこかの大国におもねることなく、自由裁量のある独立を確保することが前提です。 それは、例え小さくとも、その気概を持つことが重要です。 そして、その気概を持つのは、首相個人ではなく国民となります。 その総和が大きくなれば、それが国家意思となり、その外交が実現するのだと思います。 ならば、首相が目指している究極は、国民の自立です。 2016年12月19日



ある大手取引先の社員が、同じ志を持った若い社員を引き連れて、新しい会社を興しました。 ちょうどその方とは、業界の集りの一泊研修旅行で、昨年も今年も同じ部屋で宿泊。 独立されたことを今年の旅行で伺いました。 養うべきご家族や社員がおられるのですが、自ら率先して責任を負われる姿を見せていただきました。 その方とは、適正価格で販売する志を共にしています。 市場原理の見えざる手に委ねてしまえば、最終的には利益のない世界に追い込まれることでしょう。 そして、メーカーや業界全体のことを思えば、価格競争を許容することはできません。 しかし、自身の会社の経営状況によっては、組織人として違った判断もせざるをえない。 そんな葛藤の中で、第三の道を歩まれたのかもしれません。 健全な経営をして、適正価格で販売することこそ、真っ当な商売です。 当社も時同じくして社名を新たにして、商売の原点に返る時でした。 責任を負う同志を広げて、同志で力を合わせていくことが、明日への活路となるでしょう。 2016年12月11日



母校の松山小学校で昭和62年に発行された「はばたく松山」と言う記念誌を 今回ある方からいただきました。 あるページに付箋が貼り付けてありました。 そこには、当社のある広小路の戦後再建に尽力したと紹介された祖父の言葉が綴られていました。 「広小路は、豊橋の玄関です。繁栄しつづけねばなりません。 広小路には東京、大阪、名古屋と比べてもヒケをとらないような店が多いと思います。 しかし、外に駐車場確保の問題もあります。 今仮に客観情勢で広小路が立ち遅れているとすれば、私は繁栄の方向づくりは 今からでも遅くない。それは、人づくり、店づくり、街づくりの三本の柱に徹することだ。 そしてお客さん参加の街づくりを心がけることです。 私は、街はみなさんからお預かりしているものだと思っています。」 巻頭には当時の校長先生の言葉がありました。 「この本が自分の生まれ育った学校や郷土を理解し、それを伝え、郷土を愛する心を 育てることに役立てば」祖父や先生方の思いが通じて、今日の自分があると思いました。 2016年12月5日



BS1スペシャル「PKO 23年目の告白」で1993年の事件を知りました。 バブル景気に浮かれていた時代に、カンボジアの地で殉職した日本人がいました。 駆けつけ警護が話題となっていますが、 当時国際平和協力法が制定されて、カンボジアに自衛隊とともに、文民警察官が75名派遣されました。 現地警察への指導等にあたり平和維持活動に取り組んでいました。 しかし、現地の停戦合意とは名ばかりで、襲撃は何度もあり、 ついに高田晴行警部補が命を落とします。そして、警部補には二人の幼いお子さんがおられた。 それ以前に襲われて九死に一生を得た同僚の平林新一警部補は、奥さんから言われたそうです。 「あなたが死んでいれば、高田さんが助かった。」 ならば、高田警部補は、平林警部補の犠牲となったのでしょうか。 いや、日の丸を背負っていたのですから、日本人全体の犠牲となってくれたのでしょう。 平和維持が示すように、何もしないで平和になる世の中ではなく、平和の背後には、 維持する血と汗と涙が流されています。 2016年11月27日



長崎原爆資料館を訪れて、その場で立ち尽くして、涙があふれて来た一枚の絵がありました。 その絵は、二人の少女が振袖姿で木材の上に寝かされて、煙が立ち込めている。 周りには手を合わせる人、立ちすくむ人がいて、二人の少女を今まさに焼こうとしている。 タイトルは「悲しき別れ−荼毘(だび)」 後で調べてみると、作者の松添博さんのコメントがありました。 それは、8月19日に爆心地より少し離れた畑の中で実際に出くわした光景。 「あの頃 見たこともない立派な着物を2人とも着ており、 先ずその着物のあまりの美しさに私は我を忘れて見とれていました。 顔をみるとどこにも傷の跡は見られず、薄化粧がしてあり、その顔の美しさにも息をのんで見ました。 死んではじめて着せられた晴着、死んではじめてされた化粧、 周囲の心遣いが逆に何とも哀れでなりませんでした。」 人の尊厳とともに、人を弔うとは何かを語ってくれているようでした。 しかも、そこには、原爆への怒りとともに、平和を次代につなげていく意思がみなぎっていました。 2016年11月20日



憲法公布から70年の記念日に、BSフジのプライムニュースで 元外交官の岡本行夫さんが、パトリック・ヘンリーの言葉を紹介していました。 英国からの独立を訴えた演説の一節です。 「鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。 全能の神にかけて、断じてそうではない。 他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私について言えば、私に自由を与えよ。 然らずんば死を与えよ。」 奴隷のままでいる平和に価値をおきませんでした。 死を与えよとは、戦うことでした。 ここでは、自由と平和は対立する概念となります。 憲法9条下にある私たちは、自由と独立を損なうことがあってはならないでしょう。 やがて、パトリックたちは自由の価値を信じて、独立戦争を行いました。 そして、わが国の先人たちも自由と独立を守るために戦いました。 すなわち、この世界では、時に命にまさる大切なものがある。 日本が追求して行く平和主義とは、この自由と独立を守るものであるからこそ、 パトリックの覚悟を秘めた茨の道でしょう。 2016年11月5日



6年前に中学校の野外研修で命を落とした生徒の遺族が、当時の学校長が不起訴となり、 検察審査会に申し立てをして、今月不起訴不当の判断が出ました。 時同じくして、宮城県石巻市立大川小学校で津波により74名の児童が命を落とした事故で、 学校側に賠償を命じる地裁の判決が出ました。 学校に子供を預けている一父兄として、その経過とその司法判断に深く考えさせられました。 改めて、学校と父兄は、日頃の信頼関係作りに努力していくことが大切なのだと思いました。 父兄は、学校側に子供の命を預けているのですから、学校側がその責務を果たせるように、 背後で支えて行く責任もあるでしょう。 そして、子供たちのためにという言葉を、命を守るという一面だけでとらえるのではなく、 広い視野でとらえる必要もあるでしょう。 その時、自分の子供だけでなく、広く他の子供たちのことまで慮る必要があるように思います。 二つの司法判断は、学校は学校で、父兄は父兄で、どうあるべきかを考え直すように促しているようです。 2016年10月30日



父親から引き継いで、豊橋商工会議所の議員に就任しました。 果たして、商工会議所とは何のためにあるのか。 その歴史を調べると、不平等条約を改正する取り組みの中で、 明治政府は「この条約は、商人をはじめとした世論が許さない」 相手国は「日本には商工業の世論を結集する代表機関がなく、 世論を論拠とした明治政府の主張は虚構にすぎない」 そこで、時の実業家であった渋沢栄一らに声を掛けて創設した歴史があるようです。 商人たちが結束することは、今の時代こそ必要です。 自由競争のもと、商人たちは、互いを競争相手の敵としてしまう。 その結果、消費者利益のみが優先されて、互いの首を絞めているような状況です。 本来は、商工業者が、消費者のことを慮り、互いに結束することが必要です。 そして、商工業者が自立してこそ、国は自立できます。 この時代、商工業者は相応の利益を確保するために、声をあげて結束すべきでしょう。 商工会議所こそ、それを実現できる場であり、創設の原点に返る時です。 2016年10月23日



ボブ・デュランの代表曲は「風に吹かれて」と言われますが、 彼の文学的な感性は、風と関係があるのかもしれません。 宮沢賢治も「風の又三郎」をはじめ、風をモチーフとしています。 宗教学者の山折哲雄さんは、「注文の多い料理店」は風が吹いて始まって、 風が吹いて終わると指摘しています。 風が吹くとは、人間の愚かさと無力さを暴いているようです。 「風に吹かれて」では、「その答えは、風に吹かれて何処かに行ってしまった。」 すなわち、答えなど所詮ないのだと。 当時21歳だった彼は語っています。 「世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると 頭でわかっていても、目を背けるやつだ。」 そんな大人たちへのプロテストソングにも聞こえます。 それは、虚勢を張ることではなく、現実をありのまま受け入れる、人間に対する諦めであるのでしょう。 しかし、そこでとどまらず、思いのままに吹く大きなものを悟る瞬間です。 帆船がその身を任せるごとく、風吹くところに希望はあり、信じることの門が見えて来ます。 2016年10月15日



学園祭を紹介する企画で、ある高校生がドイツの政治家を尊敬していると語りました。 その政治家が、自信を喪失していた同胞を鼓舞する演説を思い出しました。 「自由や幸福が突然空から降ってくると思ってはならない。 全ては我々自身の意志と行動にかかっているのである。」 かたや、同じドイツのマルティン・ニーメラー牧師は述懐しています。 「ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。 けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた・・・ さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。 そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。」 あの惨劇をもたらした原因を、あの政治家だけに限定してはならいでしょう。 すると、ハンナ・アーレントというユダヤ人の政治哲学者も、ナチスの役人の裁判を通じて、 牧師にも潜んでいたであろう凡庸な悪、思考の欠如を指摘していました。 高校生の発言には驚きましたが、私がもっと深く考えるように促してくれました。 2016年10月10日



従妹の結婚披露宴が東京湾の船上でありました。 パーティークルーズ船で、夕闇せまる青海駅そばのデッキから出航。 メインデッキで飲食をして、自由気ままに屋上デッキに登って海の風にあたることもできます。 相手の家族だけではなく、新郎新婦の友人など初めて顔を合わせる人ばかりでしたが、 不思議と船上では仲間意識が高まります。 それは、互いに心を開き、力を合わせなければ、波に飲まれてしまうぞと海が教えているのかもしれません。 ちょうど、息子の高校の学園祭で、「ランウェイ・クルーズ〜仲間と目指す一番星」という テーマを掲げていました。船上でこそ仲間たちとの絆は深まるのでしょう。 また、あの戦争で水漬く屍となった先人たちも、船上で絆を深めて一番星に輝いたのでしょう。 そして、結婚こそは、覚悟を定め、苦楽を生涯ともにする、究極の運命共同体です。 イタリア人の新郎の父親も激励していました。 二人が力を合わせれば、何にも負けることはない。 この世の波涛をものともせず、日伊の新星が輝きますように。 2016年10月3日



社名変更にあたり、新しい株式会社の根本規則を定める定款を作成しました。 日本国憲法にならって前文を置き、そこに設立までの経過と理念を明文化して、 資本金から株式・組織のあり方などを定めました。 その定款を認証する公証人に見ていただくと、 「前文が入ると、条文の一義性と明確性が失われてしまう。」 そこで、八十を越える経験豊かな司法書士に相談をしたところ、私の考えを尊重して下さいました。 結果としては、定款から前文は外しましたが、社員と取引先に、前文に記載していた事項を 知らせる挨拶状を送ることにいたしました。 日本で株式会社が設立されて150年が経過しようとしています。 今日まで継承されて来たことに敬意を表したいのですが、その本質を忘れてしまい、 形だけになっていることも多いでしょう。 これからも続いて行き、新しい時代に合わせていくためには、株式会社の本質を理解することが 経営者に問われているのだと思います。 それは、自分で株式会社を作ることを通じて見えて参りました。 2016年9月25日



知的障害のある「よっちゃん」と呼んでいた知り合いが召されました。 よっちゃんは、八十を越えるお母さんよりも早く先立ってしまいました。 私が高校生の時、近くのキリスト教会でよっちゃんと出会いました。 よっちゃんがそこにいると、不思議とその場が和んで、皆が笑顔になれるのです。 よっちゃんは、仲間たちの記念日や誕生日を覚えていて、遠くにいても電話で祝福してくれる。 お正月には自筆の年賀状を出してくれて、みんなからの年賀状を心待ちにしている。 振り返れば、当時の私は、理屈で信仰を理解しようとしていました。 しかし、よっちゃんは、幼子のように満面の笑顔で賛美歌を歌っている。 理屈を越えたもので厳然と信仰をもっていました。 語らずとも、私を不思議な力で導いてくれた天使のようでした。 かたや、よっちゃんは、今そこにいたのに、急に消えてしまうことがよくありました。 周りに心配をかけるのですが、いつも御手の中で守られていました。 葬儀でお会いしたお母さんに伝えました。「逝き方が、よっちゃんらしいですね。」 2016年9月18日



隣国が核実験を実施しました。すると、わが国をはじめ国際社会は、ますます制裁を強化します。 それだけでは、片手落ちの感があります。 戦争が起こる前の歴史を顧みると、戦後処理でドイツが追い込まれて、ナチスが登場。 国際連盟を脱退して追い込まれた日本では、軍部が台頭。 あの惨劇が起こる前には、追い込まれた国々の現実がありました。 大きな犯罪が起こる前にも、追い込まれた人たちがいるように思います。 そんな人たちを事前に助けることができれば、惨事は防げるのでしょう。 しかし、悪意はないものの無関心というものが、その助けを妨げます。 今まさに、追い込まれている隣国の立場を理解する外交が必要です。 もっと私たちは、隣国のことを知る努力が必要です。 また、隣国のトップが世界の実状を知るために、世界に出掛けることを促す必要もあるでしょう。 いつしか、臆断と感情により、隣国は悪と決めつけてしまう空気にも警戒しなければなりません。 同じ人としての尊厳をもつ隣国の人たちに祝福を。 2016年9月12日



息子の通う高校には、音楽科があります。 子供たちの定期コンサートがあると、その父兄たちが関係者に頭を下げながら、 無料チケットの配布に廻っています。 父兄たちが子供たちを支えていることが良く分かります。 そして、学園で音楽科を運営していくことは容易なことではないでしょう。 そんな時に、その音楽科出身の卒業生たちのコンサートで、 ある卒業生がプログラムノートに綴っていました。 「芸術は自分探し、苦悩の果てに光をつかむ。 これを何千万回と続けていく中で自然に自己が確立され、本当の意味で共感される方が増えていきます」 苦悩の果てにと表現していることに、共感とともに大変嬉しく思いました。 子供たちが、それに自ら気づけるとは、もちろん本人が本物を求めているゆえでしょうが、 周りのゆえだとも思いました。 父兄や先生たちが苦悩しながらも、黙って明るく支えている。 それを感じてこそ、自然と気づけるものだと思ったのです。 その卒業生の言葉は、大人たちの苦悩を感じて悟ったものと想像しました。 2016年9月5日



息子がお世話になる高校の父兄と先生たちで一泊二日の研修旅行に行って来ました。 その宴会の席で、携帯電話会社のCMで知られている「みんながみんな英雄」を合唱しました。 昔話に登場する桃太郎・金太郎・浦島太郎の友情が、その歌とともにCMでは描かれていました。 その歌詞では、「特別じゃない、英雄じゃない、みんなの上には空がある」と歌うのですが、 一人一人はみんな等しく孤独で弱い。 しかも、「いいことがない、うまくいかない」「向かい風やつむじ風」も吹いてくる。 ところが、「振り向けば君がいる、前向けば友がいる。」 その仲間たちの助けによって、はじめて「みんながみんな英雄」に変わる。 「雨の日もある。風の日もある。たまに晴れたらまるもうけ。」 まるもうけとは、そんな仲間たちに出会えたことだと思いました。 それは、子供たちへの応援歌のつもりでしたが、自分たちへの応援歌に響いて来ました。 友情とは、若かりし頃の特権ではなく、私たちも現在進行形で、 この友情を育んでいるのだと気付かされました。 2016年8月30日



わが故郷からオリンピックに出場したのは、男子ラグビーの彦坂匡克(まさかつ)君、 女子バスケットの高田真希さん、女子陸上の鈴木亜由子さん。 地元の新聞を読んでいると、彼らの活躍を支えていたのは、ご家族をはじめ地域の皆さんたちだと感じました。 3人とも子供時代には、地域のクラブチームに所属していて、 当時の監督などが健闘を祈るコメントをしていました。 テレビ観戦を通じても、選手の背後で支えて来た人たちのことが印象に残りました。 そんな時、同じわが故郷出身で東邦高校のエース藤嶋健人君たちが、 甲子園で4点差を9回裏に大逆転します。 それは、彼らの粘りと言うよりも、観客席からの応援の賜物だったようです。 その応援に対して藤嶋君はこう表現しました。 「感動を通り越し、夢のような光景だった。」 大舞台に立つ選手たちを、家族や地域がしっかりと支えているのです。 それを選手に見える形で明確に教える幸運な出来事のようでした。 そして、そこに結ばれる絆こそ、かけがえのない宝物です。 2016年8月20日



東山動物園に行って来ました。 そこには、あの戦争を生き抜いた象の物語が紹介されていました。 戦前は東洋一と言われた東山動物園ですが、 食糧不足と殺処分の果てに生き残ったのは、わずかの動物と象2頭のみ。 そこには、当時の北王英一園長はじめ関係者たちの汗と涙がありました。 「常時鎖で前足を拘束するから」象の助命を嘆願して処分を延期してもらう。 また、軍関係者も、象の餌の調達を黙認。 そして、この2頭の象マカニーとエルドが、戦後の子供たちに夢と希望を与えます。 東京の子供たちは、一頭の象を上野動物園に譲って欲しいとの陳情を届けますが、 その2頭のつながりが強く引き離すことができません。 そこで、占領下の国鉄では、GHQと掛け合って象列車という特別列車を走らせます。 全国から子供たちが東山動物園にやって来ました。 これらの背景には、子供たちのために情熱を注いだ大人たちの存在が分かります。 ふと祖父に手を引かれて動物園に行った、幼少時の自分が思い出されました。 2016年8月16日



愛知県の私学が結束する研修会に参加しました。 その主催団体である愛知父母懇談会では、子供たちが実際に体験して、 主体的に自分たちで取り組む「育ちの場」を作ろうと努めておられます。 その場に参加して活躍している高校3年生の女の子の発表を聞きました。 「貧困の仲間たちを助けたい。」 しかも、それは自分の責任感からだと熱く語ってくれました。 その話を聞いて、自分の高校時代を思い出しました。 私の場合は、公立の進学校でしたが、生徒会活動を通年行って、 加えて、近くの教会に通っていました。 それらは、実際に体験して主体的に取り組む育ちの場だったと今日整理できました。 すると、その背後には、親や先生方の見守りがあったことに気づきました。 しかし、その活動だけに偏らず、並行して勉強すること、 自分の基礎作りをすることも重要だったと反省します。 熱中しているほど、偏ってしまいがちですので、周りが適切な助言をしてあげることなのでしょう。 その女の子には「自分を大切にしてね。」声を掛けてしまいました。 2016年8月8日



社長らしい社長と憧れている高校と大学の先輩がいます。 ちょうどその会社に勤めている知り合いが昨年、癌で奥様に先立たれました。 当時入院する奥様を見舞いながら夜昼となく働いていました。 傍目にも大変だなと見守るばかりでした。 ただ幸いなことに、会社の待遇は変わらず、会社もしっかりと社員を支えていました。 知り合いは、そんな会社に誇りをもたれている様子でした。 二人を知っている私は、その知り合いのことを先輩に話すと、真顔で語ってくれました。 「あいつがいなかったら、今の会社はなかった。」 その二人の関係から、会社経営とは何であるのかを教えていただいたようでした。 先輩は、200人以上いる社員のために、毎月誕生会を持たれていて、 ご自分のメッセージを給料袋に添えることをずっと続けておられます。 そんな先輩がすすめてくれた本が「リストラなしの『年輪経営』」。 著者は、先輩と同じく苦労を重ねた伊那食品工業の塚越寛さん。 その本の冒頭に明記されていました。会社は社員を幸せにするためにある。 2016年7月31日



出光興産販売店である荒木石油店の荒木義夫さんから経営のお話を伺いました。 その創業者である出光佐三さんの生き様に感銘を受けました。 まだ戦後間もない時期に、セブンシスターズおよび石油メジャーと呼ばれる国際石油資本に 依頼せずに日本独自で輸入・精製販売する道を模索。 そして、英国と石油の利権で争っていたイランに大型タンカー日章丸を派遣します。 それは、米英連合国および日本政府にも対峙することでしたが、 自己責任のもとでイランと交渉して、石油を積んで帰国を果たします。 また、当時の資金確保のためには、日本の銀行ではなく、米国のバンクオブアメリカが助けたと聞きました。 「出光の資本金は少なくてよろしい。資本金に貸すのではない。合理的経営に対して貸すのだ。」 出光さんは「出光の資本は人なり」と語りますが、そんな人を見抜いて、 その人に資金提供することこそ金融の本道だとも思いました。 企業経営とは、資本金ありきではなく、まずは経営者が責任ある独立した人になることなのでしょう。 2016年7月23日



ジェームス・ディーン主演の「エデンの東」をはじめて観ました。 厳格な父親は、過ちを犯したジェームスが演じる息子キャルに聖書を読ませて指導します。 父親の信仰および正義は理解できるのですが、行き違いすれ違いが生じます。 そこには、複雑な事情があり母親が不在でした。 本来は母親の愛情を受けていれば、父親の指導が生きたのかもしれません。 品行方正な双子の兄と比べられて、キャルは自信を失い、愛情に飢えた寂しげな表情を見せていました。 そのキャルの寂しさは、演技と言うよりも、もともと持ち合わせているもののようでした。 ネット上で調べてみると、ジェームスは9歳の時に母親と死別していました。 創世記でカインは、兄弟のアベルを殺してしまい、エデンの東に逃れます。 彼らの母親であるエバのことは、二人を生んだ記事で終わり、その後のことが不明です。 カインも母親の愛情に飢えていたかもしれません。 「おまえは、おまえでいいのだよ。」 私も一人の父親として、寂しげなキャルを抱きしめてあげたいと思いました。 2016年7月17日



こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、天皇陛下の生きる態度に自由を感じます。 私たち民間人は、皇族の人たちを不自由に感じるかもしれませんが、 私たちも各々生まれながらに授かっている宿命なるものがあると思います。 陛下より感じられることは、それを受け入れる懐の深さとご自分の意思です。 それは、不自由と感じられるものが大きいほど、輝きを放つものかもしれません。 陛下にとっての務めとは、憲法が掲げる「象徴としての天皇」を生きること。 そのために、絶えず真摯に求めておられるので、生前退位の意向が報道されるのでしょう。 伝統を尊重しつつ、未来に向かって変えるべきところを自分の意思で変えて行く。 私たちにも、各々自分の分あるいは務めがあります。 それを陛下のように受け入れ、求めていくことが、自分を生きることのように思います。 その時、自分と言うよりも他者のために生きることだと、国民のために生きる陛下より教えられます。 きっと他者を愛することによって、自分は自分になれるのでしょう。 2016年7月15日



息子が通う高校の父母の会で懇親会がありました。 同級生たちが母親となっていることを知る機会でもあります。 私は当時いわゆる真面目な生徒であり、 少し羽目を外していた女子たちとは交流がなく、敬遠されていた口でした。 しかし、今日不思議と、当時の彼女たちの気持ちがよく理解できるのです。 そんな彼女たちが、今は母親となって奮闘している姿を見ると応援したくなります。 そんな時、私の心に響いて来たのが、プリセンスプリンセスの「ダイヤモンド」です。 歌詞を味ってみると、青春時代の思い出がダイヤモンドだと。 すると、年を重ねて思い出を懐かしむ私たち世代が歌うべき歌のように思いました。 先生と父兄が囲むカラオケで、私が少し羽目を外してマイクを握ったのがこの歌でした。 「ダイヤモンドだね いくつかの場面 うまく言えないけれど宝物だよ」 「あの時感じた気持ちは本物 今私を動かすのは ダイヤモンド」 この歌そのものが、宝物と感じられました。 そして、そのダイヤモンドとは、優しく見守る母親の愛情に彩られていました。 2016年7月4日



スコットランドの残留に続いて、EUからの離脱を英国は国民投票で決断しました。 国民が決断できるとは、それだけ国民が成熟しているのかもしれません。 自分たちのことは自分たちで決断する背後には、責任が伴います。 その点で、これから苦難は待っているけど、甘んじて引き受ける。 そこに英国の覚悟とともに、英国人としての矜持を感じることもできます。 それこそ、彼らの先人たちが清教徒革命や名誉革命などを経て、 王権から自由を勝ち取り、大英帝国として世界を先導して来た自負もあるのでしょう。 果たして日本は、英国と同じように国民に問うことができるのでしょうか。 いや、国民にその覚悟があるのでしょうか。 沖縄、日米安全保障体制、憲法など問題は山積していますが、 問題を先延ばしにしている時ではないでしょう。 その点では、英国にならって、自分たちのことは自分たちで決断する大人になるべきです。 日本国憲法は、主権者は国民と宣言しています。 われら先人たちも、次代を見据えて、重い責任を負って来ました。 2016年6月25日



今年も中学生たちの前で自分の仕事を語る機会がありました。 両親の店を引き継いで「自分の店でフライパンを売る」をタイトルに掲げました。 その場に、知り合いの先生がおられました。 その先生は発達障害の子供たちの専門家のような方で、子供たちからも慕われていました。 すると、少々寂しげに打ち明けてくれました。 「実は私の家は旅館でしたが、誰も継がなかったのです。継ぐとは、覚悟が要りますね。」 すると私の口から「何か自然に導かれて、未だ迷って悩んでいます。」 先生にとっては、先生になることが天職であったように私は思いました。 そんな時期に、イチロー選手が、日米通算の安打数で新記録を樹立してインタビューに答えていました。 「偉大な数字を残した人がたくさんいますけど、その人が偉大だとは限らないですよね。 むしろ反対の方が多いケースがある。」 彼も、日々迷い悩んでいる求道者のように感じます。 天職とは特定の仕事というよりも、日々迷い悩んで求めて、本来の自分に近づくもののようです。 2016年6月19日



浜名湖で中学1年生の女の子が、野外活動中に命を落として今年で6年目を迎えます。 同級生たちは、高校を卒業する年頃となりました。 その日は、「豊橋・学校いのちの日」とされて、豊橋市内の小中学校では、 いのちを見つめる取り組みが行われて来ました。 それでも、その同級生たちや関係者の皆さんたちにとっては、 あまりにも衝撃が大きく、引き続きじっと見守って行くことが必要なのでしょう。 ちょうど大阪教育大学附属池田小学校の事件で、15年目を迎えた同級生たち数名が 当時のことを振り返って、テレビカメラの前で語っていました。 周囲の温かな見守りによって、彼らが自分の言葉で語れる時が訪れるのだと望みを感じました。 そこには、失った友から授かった濃厚ないのち、人との深い絆を感じることができました。 私もやがて死んで行きます。周りの人たちも漏れなく死んで行きます。 昨日も関係先で葬儀がありました。 その重い現実に日々向き合い、今日いかに生きるかを求めて行くことが、いのちを見つめることなのでしょう。 2016年6月11日



息子が沖縄に修学旅行に行って来ました。 自分へのお土産としてティーシャツを買って来たのですが、 その背面には、大きく「自由人」と書かれていました。 それは、今の沖縄および我が国が求めているもののように思いました。 沖縄の歴史をひもとくと、琉球王国時代には、明・清朝と薩摩藩の双方の朝貢国という立場。 その後、琉球処分を通じて、日本国とされる。 あの戦争後は、しばらくは米国統治下に置かれる。 日本に返還された後は、日米安保体制のもとで、米軍の基地は残されたまま今日に至る。 これらの歴史を通じて、周辺に翻弄されて来たことが伺えます。 平和な民族性ゆえ、争いを避けることが沖縄の意思だったと言えるかもしれません。 そして、同じく我が国は、核の廃絶を求めながら、米軍の核を必要としている。 そんなはずではなかったと、さまざまな矛盾がこの時代に出ているようです。 それでも、自分のことは自分で決める。 それが今の沖縄と我が国の叫びであり、それが自由人という言葉に表れているようです。 2016年6月5日



休日に雨が上がり、何かに引かれるかのように、故郷の海に出掛けました。 渥美半島の先端の伊良湖岬には、海軍機動艦隊戦没者慰霊碑があります。 ちょうど日本の真ん中から、太平洋を一望できる立地であり、 その海に散っていった先人たちを慰霊するには相応しい地とされたようです。 そこには、金属板の太平洋の海図があり、その中に点在する島の名前と そこで犠牲となった人数が彫られています。 その碑文には「その遺骨は水漬く屍となって海底に眠るが」という文字が刻まれていました。 すると、準国歌と当時言われていた「海行かば」の歌詞を思い出しました。 「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍」 水漬(づ)く屍(かばね)とは、あの戦争の実相ということでしょう。 ちょうど米国大統領が広島を訪れて、核兵器の実相に触れました。 私たちも、勇気をもってあの戦争の実相に自分の意思で触れて行くべきでしょう。 その慰霊碑の下には、恋路ヶ浜が広がります。 五月晴れの太平洋からの風が私の頬を優しく打ちました。 2016年5月30日



市民団体の決算書で感じたことは、無給で汗を流してくれた ボランティアの労苦が反映されていないことでした。 黒字は出たものの、その背後には、無給の方々の善意や努力があってこそでした。 お金の動きだけでは、その団体のすべてを理解できないのだと思いました。 それは、国の経済でも同じかもしれません。 自由主義国家の経済とは、国ではなく民間が主体であって、 その成長は民間の自助努力にかかっています。 最近は、アベノミクスのような政策が問われて、民間の自助努力が問われません。 その努力があってこそ、経済は実質ある成長を遂げます。 金利を抑えたり、紙幣を増刷する等という金融的な手法も、 民間がそれに応えてこそ、はじめて生かされます。 基本は、市場開拓や技術開発をはじめ民間が汗を流すことでしょう。 いつしか国民は、経済を国に丸投げしてしまい、自らの立ち位置を見誤っているようです。 日本経済は、首相の経済ではありません。 数字には表れない国民の気概こそ盲点であり、自戒して参りたいです。 2016年5月20日



私の所属する市民団体の総会があり、私は監査を担当しました。 昨年度の活動報告と決算、次年度の活動計画と予算の承認があります。 その時、議事の進行を妨げない努力とともに、昨年度の活動への感謝とともに反省、 次年度に向けての展望を明らかにしていくべきでしょう。 また、その活動の目的をみなで再確認して、原点に返る時でもあります。 そして、会計の透明性ということでは、監査の役割が重要です。 会計責任者だけでは、見落としがあったり、独善を招くおそれもあります。 監査する者は、会計責任者と信頼関係を持ちつつも、無批判であってはなりません。 そのためには、知識と見識が問われます。 今の社会の弱点は、波風立てないことを大義名分として、すべてをお任せにすることのように感じます。 自分を持ちつつも、みなと協調して行く。 それが和して同ぜずの和であり、自分のない協調が同なのでしょう。 自分があり、和をもつ会こそ健全であり、明日を期待できます。 そんな自分のある監査を目指したいです。 2016年5月16日



こどもの日に4歳の甥と手をつないで散歩に出掛けました。 弟夫婦の愛情をいっぱいに受けて育っていることが感じられてか、とても愛おしく感じました。 最近、石原慎太郎さんの小説「天才」で知ったのは、田中角栄さんが4歳のご長男を失ったことでした。 また、大平正芳さんの書いた「私の履歴書」で知ったのも同じくご長男を失った悲痛でした。 前途有為の26歳で閉じられた生涯への思いが、そこに重く綴られていました。 「彼はなにものにも代えられない、いわば私にとっては全部に近い存在であった。 重い鉛のような悲愁が、鋭利な刃物のような力で今なお私の胸を刺し続けている。 時日の経過によっても、その力は、一向に衰えをみせないのである。」 その田中さんと大平さんが力を合わせてやり遂げたのが、中国との国交正常化でした。 その大仕事の背後にあったものが、子供たちへの愛情だったのでしょう。 「おじちゃん」と無垢な信頼を寄せて私の手を取ろうとする4歳の甥。 子供たちは愛情を引き出してくれる存在だと思いました。 2016年5月7日



息子がお世話になる桜丘学園の父母の会で、今年度最初の会合がありました。 この学園には、スポーツ文化に秀でた子、受験に取り組む子、被災地支援等に取り組む子はじめ 様々な子供たち、そして先生方が集っています。 そんな時、東京オリンピックのエンブレムが発表されて、そのデザインをされた 野老(ところ)朝雄さんのことが新聞で紹介されていました。 「例えば桜の花の下では、考え方が異なる人たちが集まってもみんな『きれいだな』と思う。 私はその桜をデザインしていこうと思った。」 今回の3種類の四角を組み合わせた市松文様にも、 異なる国や文化がつながる「多様性と調和」のメッセージが込められているとのこと。 すると、私の中で、そのエンブレムと桜丘学園が重なりました。 それは、子供たちの将来にも立ちはだかる世界的な課題への道標でもあるでしょう。 そして、その誰もが「きれいだな」と思わせる桜とは、子供たち一人一人であり、 そんな子供たちへの眼差しのあるところ、世界平和もあるのでしょう。 2016年4月29日



NHKのテレビ番組で、医師の日野原重明さんと美術家の篠田桃紅さんが語りあっていました。 お二人は、どちらも百歳を越えて未だ現役。 長生きの秘訣を問われると、日野原さんはあれこれ語り出しますが、 篠田さんは手厳しく一蹴。 「そういうものを持とう持とうというわけじゃなくて、自ずからそうなってた。 だから、先輩にどうやればいいか聞くことはナンセンス。 その人は自分で考えて、1人で作ったんです。だからあなたも作らなきゃダメ!」 その言葉に、その通りだと思い、改めて篠田さんの著書を開きました。 「絵には作品名がないほうがいい。作品名があると、見る側がそれに左右されてしまう。 自分の目で判断しているので、僕は展覧会へ行っても、作品名は見ない。」 合衆国の美術批評家の言葉を紹介していました。 篠田さんも、「自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。」 日野原さんからは、大船に乗ったような面持ちで、その境地を認めてくれる存在を窺い知ることができました。 2016年4月23日



熊本地震では、知り合いの安否をメールで確認できました。 只今は、再度の地震に備えて、避難所の小学校で宿泊されているとのこと。 大学時代に教会で知り合ったご家族で、ともに讃美歌を歌ってきた間柄でした。 すると、讃美歌「day by day」の日本語訳が私の中で響きました。 それは、その教会で当時奮闘されていた若い牧師夫妻がデュエットで賛美されていた歌でした。 いまだ、このご夫妻の歌声が、私の心に響いているのは、 私もこの歌に助けられて来たのだと感謝しました。 「移りゆく時の間も 悩みに勝つ力 父より受けしわれは 心に恐れなし 愛に満てるみ神は 恵みを日々与え 悩み苦しむ時も 憩いと安きたもう」 その讃美歌は、3番まである日本語訳の歌詞に加えて、優しい旋律も心に響きます。 そこには、人間の卑小さとともに、懸命にすがる人間の健気さ、 それをじっと見守る力強い存在を感じることができます。 地震再来の恐怖の中、薄暗い夜の避難所で、じっと天を見上げるご家族が思い浮かびました。 どうぞ、熊本を守り給え。 2016年4月18日



大学の同窓会で、ともに聖書を学んでいた友人とばったり出会いました。 彼は、当時から物事を論理的に考える方で、今日も真理を探究している真摯な姿が伺えました。 しかし、理に過ぎてしまうことを反省していました。 ちょうど、その場で、現役の学長が挨拶をしていました。 その時、80年前のハーバード大学の学長の言葉を引用。 総合大学の将来は、学問の発展、教養教育、高度専門職教育、健全な学生生活の4つのバランスによって決まる。 そのどれも無視されてはならず、どれか一つが過度に支配的になってもいけない。 すると、今週の読売新聞の日曜版で、司馬遼太郎さんの言葉が紹介されていました。 「人間の利口など、たかが知れたものだ。」 これを小説中で知将・黒田官兵衛の口から言わせています。 人間には、知性だけではなく、感情もあり意志もあります。 夏目漱石が言うように、智に働けば角が立つのでしょう。 真剣であればこそ、いつしか偏ってしまうのですが、 友人や先生と再会することで、自らを見つめ直すことができます。 2016年4月14日



中学校に入学した時に、今は亡き兵東政夫校長が表札を贈呈してくれました。 そこには、蒲鉾の台ほどの大きさで兵東先生の直筆で、「中部中 高津由久」 自分の名前が書かれていました。そして、「生涯汚れのないわが名を高く掲げて生きなさい。」 そのような手紙も添えられていたと記憶しています。 名前を大切にすることは、自分を大切にすること。 そして、名前のあるところ、自分の言動に責任を持つことだと教えていただきました。 ところが、今回の少女誘拐拉致事件で、犯人が被害者の名前を雨傘から知ったと報道されます。 すると、名前が他者に知られることに過度に反応してしまっているようです。 名前を掲げることは、単に相手に知らせるだけのものではなく、自分に責任を持つ要素もあります。 また、安心安全な地域とは、きっとお互い同士がお互いの名前を知っている地域でしょう。 子供たちを守るために賢く対処すべきですが、両親や家族から授かった名前は、本来隠すものではなく、 堂々と掲げることも教える必要があります。 2016年4月5日



豊橋市の教育長が、11年の長きにわたり責任を負い、本日付けで退任されます。 昨日、その教育長のインタビュー記事が地方新聞に掲載されていて、 校長就任時にご長男を亡くしたことを知りました。 先日の市民劇で、教育長は特別出演をして下さり、公演終了後には、 ある方が教育長の奥様をご紹介下さいました。 出入口で観客の見送りをしていた手前、簡単なご挨拶だけでしたが、 大変喜んで下さっているご様子でした。 そして、昨日息子さんのことを知って、その同じ地方新聞に私が寄稿した文章のことを思いました。 そこには、今回の市民劇への私の個人的な思いとともに、 闘病されて亡くなった教育長の部下にあたる先生の追悼をさせていただきました。 教育長にとって、先生たちは息子さんのような存在だったのでしょう。 すると、あの市民劇では、教育長夫妻の愛情が溢れていたのだと気が付きました。 在任中も、深い悲しみが愛情に昇華して、先生や生徒たちに注がれていた。 本日は天から響いているようです。「お父さんお疲れ様!」 2016年3月31日



「みんなで未来へ」を掲げて母校の卒業25周年の大同窓会がありました。 母校には社中協力という伝統があり、結束するのは良いのですが、 どうやら社外の人からすると、時に近寄りがたい集まりとなっているようです。 気がかりなのは、仲間たちが母校の名前に依存してしまうことです。 それは、母校の精神である独立とは相反するものですが、 ブランドや看板頼みで商売しているかのようです。 創始者はじめ諸先輩方が築いて来たものの上に胡坐をかいて、自分たちからは何もしない。 いつしか、未来を創る主体とはならず、他人任せとなってしまう。 そして、独立だけではなく、自尊という言葉もあわせて母校は掲げています。 卒業時の学長が言われていた言葉が響きます。 「自らを尊重し、自らを卑しめてはならない。 そうである以上、他人も尊重すべきであり、他人を卑しめるようなことがあってはならない。」 「みんなで未来へ」のみんなとは、同時代を生きるすべての人であり、 いかに他者を思いやれるかが問われています。 2016年3月22日



市民劇「ひとすじの糸」の初演日は、青空が広がりました。 ふと、日本海海戦で、秋山真之が打電した「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」がよぎりました。 私は受付会場係として任務に当たります。 自由席も満席近くなり、空席部分を瞬時に把握できず、開始直前に混乱が生じます。 初演は開始が10分遅れました。 浪は押し寄せたものの、2日かけての4回公演は、すべて満席。 最終公演のカーテンコールでは、裏方として支えた私も万感の思いが溢れて来ました。 ヒロイン役の渡邊美知子さんは69才。 ある役者が私に「役者は、命がけで頑張っています。」と伝えてくれたことがありました。 すべて終わった後、楽屋で渡邊さんにばったりお会いしました。 その姿は、闘い終わった明日のジョーを見るかのようでした。 目は微笑んでいて、やりきった表情を浮かべてくれました。 あの言葉は、真実だったのだと納得しました。 そして、あの希望と勇気を与えてくれた演技は、 渡邊さんと言うよりも、関係者みんなで引き出した演技だと気づきました。 2016年3月15日



郷土偉人の生涯を描いた市民劇公演が、いよいよ今週末に迫って参りました。 ところが、チケットが思ったように売れず、主催する会の集りでも暗雲が立ち込めます。 そのヒロインたちが活躍した御膝元での浸透が今一つの印象もありました。 偉大な人物ほど、光が大きければ影も大きいのかもしれません。 その人物のことは、かえって地元では封印されているようにも見えました。 改めて考えてみると、今回の市民劇で主に動いている人たちは、御膝元の人ではありません。 そのことを会長に問いかけると、物悲しげに、ヒロインが「かわいそうだね。」 そんな状況もあり、思い切って御膝元の商店街を一軒一軒お願いに廻りました。 ポスター掲示のご協力もいただきましたが、時に古傷に触れてしまったようなものを感じました。 それでも、賛否があって健全な状態にも思えました。 そして、この御膝元廻りをした直後に、チケットの売れ行きが好転し始めたのです。 行動を起こしてこそ、天は加勢して、歴史は伝わっていくのだと学びました。 2016年3月7日



市民活動の協賛のお願いに廻っていると、乏しい自分の姿が浮かんで参ります。 自分は善意で良いことをしていると思っているので、熱心さも盾にして無理を押し通そうとしてしまう。 世の中うまく出来ていて、そのような時には、押し通すことはできず、手痛い仕打ちが待っています。 やはり、自分を相手の立場に置いて、お願いすることが基本です。 そして、協賛はあくまで、相手の自由な意思のもとで行われるように努めるべきです。 協賛せざる得ない状況に追い込んでしまえば、しこりも残りますが、信頼が失われます。 ただ、自由意思を行使できるためには、人間としての成熟も必要です。 周りに流されず、しっかりと「結構です。」と拒絶することができる。 市民とは、自由意思を尊重しつつ、自由意思を行使できることだと思います。 また、自由意思を尊重するとは、まずは、臆断をせず相手の話をよく聞けることです。 あわせて、自分の主張を分かりやすく伝えることができることです。 そんな市民としての豊かな人間性が問われています。 2016年2月26日



市民劇「ひとすじの糸」で大岩寺の二村洞恩和尚が登場します。 当時コレラが流行していて、戸籍がないと定住できません。 駆け落ちして来た主人公夫妻は、故郷にも戻れない。 そこで、二人の事情を酌んだ和尚が、偽の戸籍を作る決断をします。 ところが、それが発覚して和尚は逮捕される。 そして、病身だった和尚は、牢獄の生活が原因で亡くなりますが、 犯罪人として扱われて墓にも入れなかった。 同じ時代を生きていた、わが故郷の中村道太とも重なります。 中村は、福沢諭吉のもとで学び、簿記を取り入れた日本初の株式会社を立ち上げることに貢献。 かたや、横浜正金銀行の初代頭取として、外国資本に主導されない日本独自の為替銀行を作ることにも尽力。 しかし、時の政変に巻き込まれて、経済界から一切身を引いて清貧な余生を甘受する。 その中村の後姿に、和尚が重なります。 歳月を重ねて、再評価される時には、すでにこの世にはいない。 そんな不条理はこの世に溢れていますが、彼らの生き様に不思議とあこがれます。 2016年2月13日



子供たちに演劇を通じて歴史を伝える市民団体に所属しています。 今年3月に郷土偉人の生涯を市民劇として公演する準備に奔走する今日です。 そこでは、「3世代に語り継ぐ入場券」を販売しています。 大人2人分の料金で、小中高校生1人が無料となる3人分の入場券です。 この市民活動に取り組んでいると、自分の祖父のことを思い出すようになりました。 ちょうど豊橋市では、ニューイヤー駅伝にはじまり、箱根駅伝、都道府県対抗駅伝で 地元の選手たちが大活躍しました。 ふと、私の祖父が豊橋陸上競技協会に関わっていたことを思い出しました。 そこで、協会の歴史を調べてみました。 分かったことは、祖父は協会を立ち上げた当時の河合睦郎市長の後任として会長職を担っていました。 祖父の後任には、祖父と親しかった中学校校長の名前も記載されていました。 今日の世代の活躍は、この時代だけではなく、3世代前の祖父たちの尽力があったゆえだと思いました。 すると、彼らの活躍に、天国から微笑む祖父が見えてくるようでした。 2016年1月29日



長女が成人式を迎えました。豊橋市は、小学校校区ごとに成人式が開かれます。 運営主体は、地元自治会に属する社会教育委員会です。 私も2年間務めましたが、成人式を開くためには、まずは新成人たちの住所を確認することから始まります。 案内状を発送して、当日の式の設営ならびに片づけを行います。 また、贈呈する記念品を選定して、記念写真は後日届けます。 ちょうど、長女たちが6年生の時に、PTA会長をさせていただいていて、 卒業式で語ったことが思い出されました。 それは、卒業生たちをお祖母ちゃんの握ったおむすびになぞらえた話でした。 お米は一粒一粒違うけど、みなが結び合って一つのおむすびになっている。 そして、その形は三角形で、学校と家庭そして地域の三者で愛情込めて握った作品なのだと。 昨日委員長さんが、わざわざ記念写真をわが家まで届けてくれました。 「楽しんで下さいね。」と一言残して帰って行く後姿に気づかされました。 長女は、学校と家庭、そして地域によって育てていただきました。 2016年1月25日



大晦日に、芦ノ湖まで日帰りで行って来ました。 途中までは雲のかかった富士山でしたが、爽やかに晴れ上がりました。 そして、芦ノ湖は、すでに駅伝モードでした。 翌日のお正月、社会人のニューイヤー駅伝がありましたが、昨年の箱根駅伝で 早稲田大学の主将だった山本修平君がトヨタ自動車のアンカーとして、優勝のテープを切りました。 その彼の時習館高校の同級生が、昨年の世界陸上5000mで渾身の走りをした鈴木亜由子選手でした。 山本君の快走は、同級生の走りに刺激されたかもしれません。 その山本君は、昨年の箱根駅伝後に母校の高師台中学校で、生徒たちの前で講演をしました。 その時、同行したのが、同じく後輩の小野田勇次君。 その時点では、高校在学中で、青山学院への入学が決まっていました。 そして、今年の箱根駅伝では、1年生で6区の山下りを担当して見事連覇を引き寄せました。 その小野田君の走りは、前日の先輩の走りが引き出したのかもしれません。 彼らの走りこそ、晴れ上がった富士山のようでした。 2016年1月16日



大晦日のNHK紅白歌合戦でスーパーフライの「Beautiful」が心に響きました。 この歌は昨夏、息子のお世話になる高校で一泊研修旅行があり、 父兄の皆さんと宴会の余興で躍らせていただいた思い出の歌でした。 その時は、ダンスに懸命で、歌詞は心に留まっていませんでしたが、 よくよく味わってみると、自分へのメッセージのように思えて参りました。 そこには「世界で一つの輝く光になれ」 ちょうど私の息子の名前の「世光」(せいこう)と重なりました。 息子は生まれてすぐに集中治療室に運ばれて、1カ月ほど管が付いたボックスの中に入っていました。 そんな息子を見て、生まれて来た名前でした。 今月誕生日を迎えて16歳となりますが、「うらやんだり許せなかったり」、 私に自信がもてない年頃かもしれません。 それでも、「私でいい!私になれ!」そんな応援歌を送りたい気持ちです。 すると、それは自分自身へのメッセージにも聞こえて来ました。 「世界で一つの私に幸あれ!」悩みながらも、新年なお雄々しく私を歩んで参りたいです。 2016年1月5日