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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表
人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。

「遅咲き歴史文学」と題して地元出身の宮城谷昌光さんが読売新聞で、 ご自分の生涯を振り返っていました。 宮城谷さんは、蒲郡で学習塾を開いていたので、私の同級生も 当時お世話になっていたかもしれません。 その時は、生活も大変だったようです。 書いたものが、どこの出版社からも声がかからない悲哀が続きます。 中国古典を題材にすることも、偏見や誤解などがつきまとったのでしょう。 しかし、地元CBCアナウンサーの中島公司さんが作品に目をとめて、出版化に至ります。 白川静さんの学説、司馬遼太郎さんの小説との出会いもありました。 ついに、直木賞を受賞して生活が一変します。 今日は、最終回でしたが、奥さんへの言葉が心に響きました。 「あなたにあわなければ、宮城谷昌光という作家は、どこかの路傍の石になっていた」 私の両親世代の方ですが、白川さんの言葉で締めくくります。 「仕事があるうちは、神様は私を生かしておいてくれる」 それを信じていたので遅咲きの宮城谷昌光があり、私も天命を信じます。 2014年12月30日



高校受験を控えた息子が、最終的な内申書の結果が出て、自分なりの決断をいたしました。 それに対して、親がほのかに期待していたところと齟齬があったようでした。 その私の期待には、自分の母校への優越感のような思い上がった心も潜んでいたようです。 また、今日までそれに胡坐をかいてきたのかもしれません。 常日頃は、そんな気持ちはないと思っていたのですが、 自分の心が現れたようで反省いたしました。 今思えば、息子にも、見えない圧力を掛けてしまっていたかもしれません。 自分と同じところが、息子に良いとは限りません。 自分たちとは、時代も変わっています。 力量や才能の違い、あるいは育つまでの時間の違いもあります。 ですから、親の私としては、この決断を通じて、自分を知ることに加えて、 もっと息子のことを理解すべきでしょう。 かたや、私の家内は、高校受験に失敗した憂き目を見ていますので、 息子の心境をよく理解できると思います。 「新しい歴史を創るように。」その決断を後押ししてあげたいです。 2014年12月25日



中学校の合唱コンクール会場で、PTA仲間の知人がお母様とご一緒でした。 ご挨拶をすると、私のおばの結婚式のことが話題になりました。 おばは、私が小学生の時に、東京で結婚式を挙げました。 新幹線で遠出した記憶が甦ります。 そのお母様の御主人が同席されていたのだと。 そこで、開始定刻となり会話が途切れましたが、後日おばから真相を教えてもらいました。 その御主人とは、おばの中学3年時の担任の先生でした。 おばは、高校受験に失敗して、浪人することになります。 その時、その担任の先生が、自宅まで来て勉強を見てくれたのだそうです。 おばは、翌春、晴れて志望校に入学。 その先生が、東京での結婚式に駆けつけてくれたのです。 一人の生徒の深い悲しみ。そして、大きな喜び。温かく見守っていた先生がいました。 一昨日、父兄と先生有志で中島みゆきの「糸」を生徒たちの前で合唱しました。 「逢うべき糸に出逢えることを、人は仕合わせと呼びます。」 この歌に、先生と生徒の出逢いの物語が重なりました。 2014年12月20日



私の同級生が、5人の子供を育てながらも、会社を辞して重い決断をしました。 「次代の架け橋を創る」と来春の市会議員選挙に立ちます。 先日その立ち上がりの会が持たれました。 奥さんが受付に立ち、不安な表情の彼が出迎えてくれました。 「自分で決めたことだから。」 その席には、3度目の県会議員選挙に挑む同級生も応援に駆けつけていました。 彼も2度の憂き目を見ても、まだ諦めていません。 そんな同級生たちに囲まれて、私自身も励まされています。 そのためか、娘が友人から借りて来たファンキー加藤さんのアルバム曲が心に響いています。 「大丈夫まだ終わってない。何も終わってないよ。 いつだって今がすべての始まりなんだ。 もう一度いや何度でも立ち上がって行けるよ。 何もかも失ったって、まだ未来が残っている。」 10歳年下の加藤さんもソロ活動で新しいスタート。 私たち世代も、何も出来ていない自分にもどかしさを感じながらも、「さあ頑張ろうぜ!」 声を掛け合い明日に向かって行く。 私の未来もまだ残っています。 2014年12月12日



会議の席上では、どんな表情をしているのか。 私の場合は、深刻な問題があると、腕を組んで眉間に皺を寄せて、 険しい表情をしてしまっているようです。 ある会合で、私の向かいに座っていたご年配の女性の方から、 「高津さん、真面目すぎるよ。」それとなく優しく声を掛けていただきました。 その方は、いつも大らかで、お付き合いしていても心地よいのです。 かたや、私を含めて男性は、現実主義者と言えば聞こえが良いのですが、 深刻に考え込んでしまう傾向があるようです。 かと言って、考え込んで状況が変わることは少ないかもしれません。 しかし、楽観も過ぎてしまうと、緊張感がなくなり、良い結果を生まないこともあるでしょう。 その点では、理想主義者と現実主義者がいて、互いを尊重しながら進めていくことが 相応しいように思えて参ります。 ただ、リーダーという立場にあれば違ってくる。 眼前の問題のみにとらわれず、いつでも大きく構えるべきでしょう。 今ではなく、私の将来を期待してくれた一言に、はっといたしました。 2014年12月6日



交通安全のステッカーを中学校のPTAで制作しています。 そのキャッチコピーで「KEEP GOOD MANNERS」という言葉をご提示いただきました。 あわせて、ドイツの爆弾が落ちるロンドンに掲示された政府ポスター 「KEEP CALM」(落ち着きなさい)をご紹介いただきました。 まさしく、人が命を落とす点では、交通事故は戦争と重なります。 聖書でも世の終わりにのぞんで、「慎み深くしていなさい。」と教えています。 そして、その後に有名な聖句が続きます。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」 それは、その場限りのことではなく、「いつも」「絶えず」「すべてのこと」です。 KEEPが表している継続性ともつながります。 では、続けるとは。そこには人間の強い意志が潜みます。 それは、自分で自分を制御できることとも言えます。 KEEPという言葉は、明日に向かって生きるキーワードのように思われます。 いつしか、責任の所在を曖昧にしていないか。 誰かではなく、自分があってこそ交通安全は実現いたします。 2014年11月29日



当店の隣には、産婦人科の病院がありました。 私も、私の3人の子供たちもお世話になり、そこで誕生いたしました。 私が小学生のころは、その病院の末息子さんが遊び友達で、しばしば病院横のご自宅に伺いました。 少々大人びていたのか、そこで、おばさんが出してくれる、 フォーションのアップルティーをいただくことが楽しみでした。 そして、おばさんは、当時から私のことを「よっちゃん」と呼んでくれます。 やがて、ご長男が引き継がれて、親子で病院をきりもり。 ところが、ご長男が、若くして癌で亡くなります。 残念ながら、しばらくして閉院となってしまい、年老いたおじさんも勤務医に。 先日、そのおじさんがお亡くなりになりました。 産科には、夜昼の区別はなく、時に救急車の音も響きます。 葬儀の朝に、おじさんを偲んで一句浮かびました。「夜深く 白衣まといて 人助け」 その人とは、私であり、私の家族たち。その背後には、おばさんの涙があふれています。 葬儀が終わると、おばさんは律儀に訪ねてくれました。 「よっちゃん、ありがとね。」 2014年11月24日



夏の甲子園で話題になった東邦の1年生エース、 秋の県大会で準優勝した愛工大名電のエース、21世紀枠に選出された豊橋工業のエース、 彼らはみんな、わが故郷豊橋で育った子供たちです。 父兄が集まると、彼らの話題で盛り上がります。 かたや、昨年楽天を優勝に導いた田中将大(まさひろ)投手は、 日本シリーズで連投して優勝を果たします。 ところが、今年大リーグでは、シーズン通して活躍することができませんでした。 アスリートとして長く活躍できるためには、無理をしないことも必要でしょう。 先日のフィギュアスケートの中国杯で、羽生結弦(ゆづる)選手が練習中に激突をしても、 最後まで演技をやり抜きました。それは、大人たちに語っているようでした。 若い選手は、眼前に集中してしまい、どうしても大局が見えません。 その時、本人の決断も尊重すべきですが、周囲は先を見据えることを諭しながら、 強く諫めることも必要でしょう。親世代の私たちの責任はそこにあるのかもしれません。 しっかりと日本のエースを育てて参りたいです。 2014年11月15日



話題に事欠きませんが、理化学研究所の今日までの功績は大きいと思います。 今こそ、誇りある理研は、その原点に立ち返る時なのでしょう。 もともと、わが故郷の藩主を担っていた大河内家に婿入りした 大河内正敏さんが国際的な研究機関に育て上げます。 大河内さんは、主任研究員に自由をもたせる研究室制度を導入したのです。 その流れを汲んでいるのが、わが故郷出身の小柴昌俊さんだと思います。 二人のまさとしです。自由をもたせる研究とは何か。 その自由を履き違えてはなりません。 小柴さんは、しばしば浜松ホトニクスの社長の協力があってこそ、 ご自身の研究があったことを語っています。 そして、後進のために今日は基礎研究の財団を設立するに至っています。 そんな小柴さんが最近語っていました。 「人に言い付けられたからやると言うことは一切なかった。 私はそれが一番大事なことだと感じている。 皆さんに言いたい。『これをやりたい』と自分で意思決定するのが一番いい。」 そこには、感謝と責任が伴います。 2014年11月6日



アルフォンス・デーケン先生とお会いする機会がありました。 豊橋・生と死を考える会が主催するメモリアルサービスの席上でした。 大切な方を亡くされた方たちが故人を偲ぶ集まり。 先生は八十を越えても、皺のない艶ややかなお顔が印象的でした。 「毎日プールで泳いでいます。」 講話の中で、宣教師として在日していた妹さんが今年お亡くなりになったことを伺いました。 先生はカトリックの司祭ですから妻帯ではなく、 異国の地で身近に相談できるのが妹さんであったと思います。 いつも日曜日の夜7時に電話することを楽しみにしていたそうです。 亡くなってからは、「日曜日のその時間が来ると寂しいです。」 それでも、その場で紹介されていた先生の著書のタイトルは「希望の便り」 サインをいただくと、にっこりマークのイラストも。 悲しみや苦しみの中にあってこそ、そのお方の悲しみや苦しみを知ることができます。 そのお方が強く迫ってくれます。「私はいつもともにいる。」 そんな信仰を覚えて、先生のにっこりマークが私の心に深く刻まれました。 2014年11月1日



息子と同級生のお父さんの葬儀に参列いたしました。 その会場は、ある宗教の施設でした。 改めて、弔うとは何か。自分なりに問いかけてみました。 辞書では「人の死をいたみ、その喪にある人を慰める。死者の霊を慰め冥福を祈る。」 人の死をいたむとは、故人の死を悲しむことと合せて、故人の生き様に思いを致して感謝をする。 遺族を慰める点では、参列する行為自体で、すでに弔うこととも言えます。 そして、死者の霊を慰め冥福を祈るとは、それぞれの宗教観によって違いが出て来ます。 また、葬儀の場で奉っている対象は、参列者の信仰の対象と違うこともあるでしょう。 この時、周囲に配慮すること、相手の信仰を尊重することも遺族への慰めに通じます。 かたや、参列者が、嘘偽りのない真心や誠をささげることこそ、本当の意味での弔うこと。 他への配慮とともに自分をもってこそ、真の弔いができます。 それを愛と呼ぶのかもしれません。 自分なりの精一杯のところで、自分の信じるお方に向かって、その遺族の祝福を祈りました。 2014年10月23日



文藝春秋で、医師の近藤誠さんが、「健康診断が私たちを不幸にする」と提言していました。 人間の体の調整機構の妙を前提に、健康診断で表れる数値は、 個々人の固有のものであり、調整に働いている結果でもある。 基準値と違うだけで投薬や治療をするのは、かえって健康を損ねてしまうことがある。 しかも、医者の質は低下していると手厳しい。 そして、大切なのは、「食を見直し、いきいきとした生活を送ること」。 ですから、近藤さんの論点も、行き着くところは、 医者や医療に寄りかからず、自分で主体的に生きるようにと聞こえて来ます。 その視点では、近藤さんは、「孤独死も、実は惨めではないかも」と最後にぼやきます。 孤独死とは、直前までは自立できていたからこその孤独であると。 人間は、創造者に似せて造られたと創世記にありますが、 それは、自立して生きるように創られているように思えて参ります。 人間が人間らしく。自分が自分らしく。 文明の利器への過度な依存によって、自分が失われていないでしょうか。 2014年10月17日



地域の運動会では、ご年配の方と交流できるのが楽しみの一つです。 町内会の役を長年にわたり引き受けて下さっている方に、 退職前のお仕事を伺ったところ「新幹線のメンテナンス」とのことでした。 今でこそ、ドクターイエローで有名ですが、深夜に黄色の新幹線が走ります。 こちらは計測車で、線路の状態をチェックして行きます。 そのデーターに基づいて、作業員が、障害物を取り除いたり、線路の歪みなどを矯正します。 そんな夜の仕事を担われていました。 それが、休みなく毎日続いて、今年は50年を迎えました。 新幹線がのべ56億人を乗せて、今日も愛されているのは、 このような人たちのご苦労ゆえだとも思いました。 単に外国に車両を輸出しても、果たして日本のように走るかは疑問です。 新幹線は優秀な車両というよりも、陰で働く無名の人たちによって走っている。 そんな無名の人たちによって、新幹線だけではなく広く日本経済も繁栄してきたと思います。 そして、そんな人たちがいてこそ、地域も繁栄するのだと思いました。 2014年10月10日



相撲にあまり興味のなかった私が、横綱白鵬の制限時間一杯の姿に魅せられています。 腰をおろして、タオルで顔をぐいぐいと拭く。 すると闘う獅子の形相を見せます。「さあ来い!」と力強く立ち上がります。 何か物事に挑んでいく時に、あの雄姿が重なるのです。 今回のアジア大会では、また違った姿に魅せられました。 それは、卓球の中国選手を前にした中学生の平野美宇(みう)選手です。 視線は、やや控えめながらも動かず一点に集中しています。 そのあどけない姿から、必死さと言いますか真剣さが伝わります。 中国の代表となれば、卓球界では、巨人のような存在でしょう。 しかし、ひるむことなく堂々と立ち向かっている。 それは、巨人ゴリアテに石投げ一つで立ち向かって行った少年ダビデを彷彿させます。 同じ世代の子供をもつ親として、大変頼もしくも思いました。 そして、その雄姿は、周りから授かった深い愛情から生まれるのでしょう。 「You can do it!」さあ、秋となりました。時間です。 私も彼らにならって参りたいです。 2014年10月3日



最近いろいろな会合に出て敬意を感じるのは、 市役所のお役人たちが、休日返上で参加されていることです。 いつしか、それが当然のように受け止めてしまっている住民も見受けられます。 あくまで、街を創る主体は住民です。 その時の役人の仕事とは、まず未熟な住民を目覚めさせることかもしれません。 この時代、住民と役人の関係を整理する必要があるようです。 基本は対等な関係です。ですから、時に激論しても、お互いに言うべきことが言えます。 その共通の土台があり、それが街への愛です。街を良くするという共通目標があるのです。 常にそのことを確認して、互いの立場を思いやり、よく意思の疎通をはかることが必要でしょう。 愛知大学の戸田敏行教授から「自治体職員の感動意識」という報告書を先日いただきました。 教授は感動行政を提言しています。 役人魂とは、文字通り「役に立ちたい」との熱き思いのようです。 感動とは、きっと相手も感動しているのでしょう。 住民と役人が一つとなった時、街はきらりと輝きます。 2014年9月27日



仮店舗でお世話になった名豊(めいほう)ビルの再開発が議論されています。 豊橋駅前の好立地であるため、図書館を作る方向性が行政側から打出されています。 市が所有する土地でもありますから、市民が主体的に取組んでいく必要があります。 ところが、市民はお金を出すだけの存在に成り下がっているようです。 ビルの近くに住んで、若くしてその町内の自治会長に立候補した先輩は、 「行政から公を奪還する」と意気込んでいます。 商店街マネージャーの長坂尚登君も語ります。 「行政と住民が、与える与えられるの関係に慣れてしまい、住民は受け入れるか批判するだけ。 批判ではなく提案しましょう。」 そこで、「豊橋に日本一の図書館をつくろう発表会」を発案して、そのポスターを商店街に掲示。 そこには、商店主の図書館にかける思いを直筆で書くスペースがあります。 私も力強く記します。「故郷の歴史を知り、新たな歴史を創る市民立の図書館」 果たして、街作りの主体とは誰なのか。また、人生の主体とは誰なのか。 2014年9月20日



敬老の日を迎えて、日野原重明先生の存在を思いました。 先生は現在102歳。 先生88歳の時に、自立して生きる新しい老人の姿を「新老人」と名付けて、 新老人の会を立ち上げます。 今日に至るまでの活躍は尋常ではありません。 その会のモットーの一つに「創(はじ)めること」があります。 最近、私がお世話になった牧師夫人からの手紙が出て参りました。 その方は、ミセスと呼ばれていて、アメリカ生まれの日系人で戦後日本にやって来ました。 私たちの結婚式の写真を送った時の返礼でした。 「私は八十九の時から日本字を書きはじめまして、今は九十才です。 今からでもおそくはないと思ってはじめました。 私たちは今から六十八年前でもう二年で七十年になります。 しやしんを送ります」筆跡たどたどしい、心温まる手書きのお手紙に 老夫妻の最近の写真が同封されていました。 その後、お二人は天に召されました。 しかし、この手紙は今も語っているようで、涙があふれます。 大先輩達の結末を見て、それにならいたいです。 2014年9月15日



縦糸に横糸を通しながら編んでいく一本織りを、 小学生たちに伝えている老夫妻を訪ねたことがありました。 その時、白髪の奥様がぽろっと語ってくれました。 背負っていたお子さんを不慮の事故で失ったと。 それが、信仰を持ったきっかけだったそうです。 先日、「百万人の福音」という雑誌で村岡花子さんのお孫さんが お祖母さんのことを語っていた記事に目が留まりました。 花子さんも5歳の息子さんを疫痢で失います。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」 この言葉が心に迫り、聖書のいう愛の意味が心の中にストンと落ちたそうです。 同じ雑誌には、横田早紀江さんのブルーリボン・レポートも綴られていました。 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 私はそれであなたのおきてを学びました。」この聖書の言葉通りだと言われます。 この3人のお母さんが、私の中で一つにつながったのです。 ひとり子をお与えになった愛を理解できるのは、ひとり子を失った人かもしれません。 2014年9月9日



最近の天候は、ずっと雨模様で、梅雨のようにジメジとしています。 ついつい、そんな天候に心も影響されてしまうようです。 そんな時には、福沢諭吉先生を思い出します。 先生は、カラリと晴れた精神をお持ちでした。 明治時代の文豪と呼ばれる人たちは、自死を選択された方も数多く、 どことなく神経質で憂鬱であったのとは対照的です。 実業家の藤原銀次郎さんが先生の人生観を紹介していました。 「人生本来、戯(たわむれ)と知りながら、この一場の戯を戯とせずしてあたかも真面目に勤め・・・」 戯とは、遊び興じることと辞書にあります。 人生をそんなに軽く考えて良いのかと思うかもしれません。 しかし、結果として何事も深刻に考えず、ゆとりを持つことができるように感じます。 これが、独立自尊という重きことを語りながらも、 それに押し潰されなかった先生の強さだったようです。 私も、雨続きの中でも、カラリとした精神を継承して参りたいです。 壱万円札を眺めていると聞こえてくるようです。「高津君、人生いい加減でいいぞ〜」 2014年9月4日



身近で若くしてガンにかかる人があちらこちらに。 そんな話を打ち明けると、心配されて、いわゆる代替(だいたい)療法の一つを教えてくれた方がいました。 その時、いやされることだけに目を向けてはならないとも感じました。 生活習慣や人間関係はじめ、ご当人自身の生き方を見つめ直す機会でもあるように思えたからです。 最近、私の心に留まっている聖書の言葉があります。 「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを 助けることがおできになるのです。」 なぜ、主は苦しまれたのか。自分が苦しむ時に、はじめて主の苦しみが実感できます。 そして、それが私のためであったと分かれば、そこに慰めがあります。 聖書では、それを救いという言葉で表現しています。 「救いの創始者を、多くの苦しみを通じて全うされた。」 数日前、公園で散歩をしていて、繁る葉に大空から光が差し込んでいました。 その光景に、はっとして悟ります。「あれもこれも天よりの贈物だ」 すべてを覆い支配される大きなものを感じました。 2014年8月29日



読売新聞の「戦後70年を前に伝える」というシリーズで、 母校の塾長であった小泉信三先生の次女・妙(たえ)さんが語っていました。 妙さんはお兄様を戦地で亡くされます。 その訃報が家に届いた夜に、お父様は語ったそうです。 「これからは、家族みんなで楽しく暮らそう。」 不運は重なり、先生は、東京大空襲の折、自宅で火ダルマに。 その時、大樽を持ち上げて水を掛けたのが19歳の妙さんでした。 一命は取り留めたものの、植皮の手術をしても、まぶたを閉じることもできず、 顔立ちは変わり、左手も足も不自由となります。 それでも、家ではユーモアが途絶えたことがなかったと。 その後の先生の活躍は尋常ではなく、息子さんの戦死を贖罪と受け止めていたそうです。 「君の出征に臨んで言って置く。吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを 何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替って妻を択べと言われたら、 幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、 吾々二人は必ず君を択ぶ。」 2014年8月21日



平和な時代に生を受けた我ら世代は、 戦争の傷跡を深く残したままの祖父と祖母に可愛がっていただきました。 そして、この年になって、ようやく祖父と祖母の心が、 少しづつ理解できるようになりました。 卒業後の大学の同窓会で、四十代で大手出版社の社長となった同級生を知りました。 そんな彼のお祖父さんのことを最近知り、感慨深く受け止めました。 お祖父さんは、終戦時に陸軍大臣でした。 当時陸軍は、一億総玉砕、徹底抗戦の立場にあったようです。 そんな組織のトップとして、最後まで辞職せずに、内閣の一員として終戦を果たします。 そして、8月15日に「一死をもって大罪を謝す」の血まみれの遺書を傍らに残して自刃。 陸軍のクーデターが起こらなかったのも、その死があったからかもしれません。 その息子であったお父様は、大手出版社に婿養子に入ったものの早世。 そして、お母様が引き継がれますが他界。若くして彼が責任を負うこととなります。 そんな彼を支えているのは、お祖父さんの生き様だと想像します。 2014年8月16日



その方は、強い日差しが降り注ぐ中で、真剣に黙々と作業をしていました。 「今日は、これからドイツの子供たちのお世話だよ。」 仕事の手を止めると、優しい笑みを浮かべます。 豊橋市の国際交流事業のお手伝いをされているのです。 また、20年以上もバスケットボールを通じて子供たちの指導にも関わっています。 「たいがいね、親で子供のことが分かるよ。」 ここ数年は、地元中学校の環境整備に尋常ならぬほど献身的に取組んで下さっています。 時には、パワーショベルを運動場に持ち運んで、先生方を驚かせます。 子供たちは、見ていない様で、その方の後ろ姿をしっかりと見ていると思われます。 少し自慢話になってしまいますが、彼らの掃除への取組みは尋常ではありません。 それは、私だけではなく、先生方も地域の方もお墨付きです。 先日、夏祭りで、一緒に巡視した先生に尋ねました。 「卒業生たちのどんな姿を見ることが一番嬉しいですか。」 「真剣に取組んでいる姿です。」 そんな姿をまず大人が示すべきなのでしょう。 2014年8月9日



母親は、家庭の太陽ですが、その母親が亡くなる事態も起こります。 それは、子供たちにとって、どれほど深刻な状況でしょうか。 過酷ですが、太陽のない世界を想像できます。 実は、中学3年になる息子の友人のお母さんが昨年亡くなりました。 それは、突然の出来事でした。 葬儀に駆けつけた時、残された子供たちは、 父親のそばで気丈に振る舞っているように見えました。 先生方はじめ父兄仲間も、それぞれ語らずとも、考えさせられました。 そして、子供たちの仲間内でも、それぞれが真剣に考えていたようです。 その子と私の息子とは、同じ卓球部で、しかも当時は同じクラスの間柄。 どんな言葉を掛けてあげれば良いのかと母親に相談していました。 先日は、卓球部の最後の大会が終わり、その子の家に3年生の部員が集まって宿泊。 朝は、地元の山にみんなで登ると聞きました。 しかし、語り明かしたためか、起きることができなかったそうです。 そんな子供たちの姿にある言葉が浮かびました。闇深くとも日はまた昇る。 2014年8月2日



猛暑到来下に「人間は何を食べてきたか」というNHK特集のDVD(全8巻)を観賞しています。 私たちの口に入るまでの、食物がたどってきた経緯を、 その歴史を紹介しつつ、国を越えて取材したドキュメンタリーです。 これを見ていて、「食べるために生きる」という言葉を思いました。 食べることは、生きることの目的であり、生きることの本質が潜みます。 食べるために、今日もこの暑さの中で食物を育てる農家の方、 調理するための道具を作る方、いろいろな方の苦労が想像できます。 幸いに、私はエアコンのもとで仕事をさせていただいています。 その点では、商人は大変恵まれていると感じます。 かたや、江戸時代の「士農工商」で最後が商であることに納得してしまうのです。 農工に従事する皆さんの苦労に思いをいたすと、 商人は、その苦労あっての恩恵にあずかっていると感じます。 食べる時も、そんな皆さんへの感謝があって、はじめて美味しさを味わえるのだと思います。 商人こそ、その感謝を忘れてはなりません。 2014年7月26日



小渕志ちという女性実業家が明治から昭和にかけて、わが故郷で色濃い足跡を残しました。 何もないところから出発して、わが街に、製糸業と言う新しい産業を起こします。 それが日本の貿易を先導する輸出産品となり、欧米列強に伍する足がかりともなりました。 そんな彼女の生き様は、自立ということのお手本でした。 かたや、わが故郷の人たちは、その精神を受け継いでいるものの、 先人たちの恩恵にどっぷりと浸ってしまったようです。 しかし、いろんな問題が山積してくると、ようやく目覚めてきた。 わが街では、「東三河は一つ」の呼び声のもと、地域自立の機運が高まっています。 時熟して、小渕さんの生き様が演劇脚本として出版されます。 折良く、富岡製糸場が世界遺産に登録されるニュースも入ります。 その出版記念のパーティーを、若き日に製糸業に携わった地元の自治会長が呼びかけます。 会長の思いも「行政任せにせず、市民が自立して行こう」 その灯を消すことなく、明日をてらす光として行きたいです。 2014年7月21日



少年が虐殺されて、報復しあうイスラエルとパレスチナ。 マスコミ報道を見聞きしているだけの者には、語る資格はないのかもしれません。 しかし、見えるところは、あまりにも酷すぎます。 日本の外交は何かできないのか。実業家や宗教家の集まりは何かできないのか。 それぞれが、自分のできることを問いつつ、きっとできることをしているのだと思います。 そんな時、一般市民の私たちは、あまりにも無力です。 しかし、私の周りでも、人と人との関係の破れは後を絶ちません。 そんな時、仲介者としては、お互いの立場を尊重して、一方のみに偏ることはできません。 どちらからも信頼を持っていただき、本音で語っていただく必要があります。 そして、お互いが相手の立場を理解できれば、そこに光は見出せます。 そんな仲介の役回りは、愛と経験が豊かでないと、かえって誤解を増幅させてしまうことでしょう。 まずは、自分の分を知り、時とあれば覚悟して挑みます。 海のむこうの争いは、今ここに生きる私たちに問いかけています。 2014年7月12日



ぶらぶらと豊橋公園を散歩していますと、草の生えた小道が、 いつしか舗装された道路に一部変わっていました。いとはしたなし。 アスファルトに敷き詰められて、大地が息苦しいという感覚です。 そのせいか、夏も暑くなり、夕立も降らないのかもしれません。 そんな道路を担当する国土交通大臣は、わが故郷出身の太田昭宏さん。 地元の青陵中学校時代には、生徒会長として、夏みかん並木を植樹する提案をして実現します。 今日も時期になると、たわわの実を実らせています。 今年1月には、母校の現役生徒が大臣室まで出向いて、夏ミカンを届けたと報道されていました。 そして、先日お国入りした時には、浜松三ヶ日・豊橋道路の調査を表明されます。 愛知県知事をはじめ地元関係者が喜んでいましたが、果たして、喜ぶべきことなのか。 私としては、子供時代に帰って、木を植えていただくことが、正しい方向性のように思えてしまいます。 少子高齢化の時代を迎えて、アスファルトではなく、温もりのある土を見直すべき時です。 2014年7月7日



誕生日プレゼントにNHKドラマ「坂の上の雲」のDVDをいただきました。 そこに流れる主題歌「stand alone」が心に響きました。 ひとり立つ。自分がそんな心境だったかもしれません。 「迷い悩むほど人は強さをつかむから夢を見る」 ひとり立つことは、国家においても大変なことでした。 旅順総攻撃の場面は壮絶です。 どれほど多くの苦悩があり、どれほど多くの犠牲が払われたのかがドラマでも分かります。 マルティン・ルターが皇帝に召喚された議会で、自説を撤回するように追及されます。 当時のカトリック教会にプロテストして語ります。 「我ここに立つ。他はなしあたわず。神よ、助けたまえ。アーメン。」 そこに、近代の幕が開けたのかもしれません。 やがて、フランス革命がおこり、アメリカ植民地が英国から独立します。 それは、今の時代を生きる個人においても同じなのでしょう。 ひとり立っているからこそ、一朶(だ)の雲が眼前に見えます。 「私は信じる。新たな時がめぐり、凛として旅立つ」 ただ、ひたすら前を向いて進みます。 2014年6月28日



ある時、画家の冨安昌也先生から電話が入ります。「お宅は、木屋の商品を扱っている?」 そのお声を最後に、先生の訃報が入ってしまいます。 先生は、高校の美術の教諭でもあり、私の父親もお世話になっています。 地元の実業家が、ありし日の先生の言葉を紹介していました。 「街路樹を切らずに、できる限り木が育つ最低条件を整えて、緑のトンネルを作ってほしい。」 ところが、豊橋の街路樹は燦々たる状況です。 ムクドリがやってくる。管理が大変ということでしょうか。 見事に剪定してしまい、丸坊主の様相です。 そこで、私の父親が、最近市役所に問題提起をしました。 もう一度、どうして、街路樹を植えるのか。 さらには、街とは何か。そこから議論をはじめる必要もありそうです。 いつしか、住民から「街」という概念がなくなっているようです。 街とは、互いに住民が助け合い、そこに誇りと愛着をもち、良き生を全うするところなのでしょう。 自分の街は、自分で創る。それが先生の遺言であり、父親もそれが分かっているようです。 2014年6月21日



その国のモラルは、その国の元首で推し量ることができます。 幸いにも、わが国は、高潔な天皇陛下を戴いています。 同じく、その家庭は父親に、その会社は社長に、その学校は校長によって。 トップに立つ者は、地位や名誉をもつことではなく、責任を負うことだと思います。 その責任のひとつが、モラルを守ることです。 モラルは人に押しつけることはできません。 モラルが守られる大きな要因は、トップの率先垂範です。 それは語るのではなく、見せることなのでしょう。 トップには、その覚悟が問われています。 この時代のモラルが乱れているとしたら、まずトップたちが責められるべきです。 トップは、きちんとなすべきことをしているのか。 四十も半ばを過ぎて、そんなことが少しづつつ見えて参りました。 もはや、自分だけの人生ではなく、みんなの人生も背負っています。 「重荷を負って苦労している者は、私のところに来なさい」と主が語りました。 主が背負っていた十字架とは、そのような責任でもあり、私もそれにならいたいです。 2014年6月14日



何かを呼び掛けて、それに答えてくれる人はわずかだと思います。 それが、自分の利益になることであればいざ知らず、 みんなの益になることであれば、なおさらその数は減って行きます。 この時代に、交通安全、防災防犯などを啓発することは難しいことです。 そのような努力をしていると、風を追うかのような、むなしい感覚も時に沸き上がります。 しかし、自分の経験では、最低でも一人は答えてくれる人が現れます。 このたった一人によって、人間は励まされる者だと思います。 それが人間の素晴らしいところなのかもしれません。 そうであれば、たった一人の人間である私も、誰かを励ますことができる。 まさに一人の力は偉大なりと思うのです。 本田路津子さんの「ひとりの小さな手」という歌を思い出します。 「一人の小さな手、何もできないけど、それでも、 みんなの手と手をあわせれば、何かできる。何かできる。」 実は、一人は何でもできるのかもしれません。その一人の力を呼び起こしてくれるのは、 一人の人間なのだと思います。 2014年6月7日



日朝の外交交渉で、拉致被害者の再調査が実施されることになりました。 隣国の顔色を伺う外交ではなく、日本独自の外交を見せていただきました。 この外交の底流には、「自分の国は自分で守る。」が伺えます。 自分の国を他国に守ってもらうこととは、その国の属国に過ぎず、独立国とは言えません。 独立国とは、自分のことは自分の意志で決めることができます。 かたや、属国とは、自分のことを自分の意志で決めることができません。 合衆国の庇護のもとにある今日のわが国は、本来の独立国と言えるのか。 まずは、自分の国は自分で守り、合衆国とも対等な立場で、同盟関係を結ぶ直すこと。 安倍総理が目指しているのは、本質的にはこのことだと思います。 いつまでも他国に依存していては、いつまでも自分の意志を持てずに、 拉致被害者を救出することもままなりません。 この問題は、「日本よ、自分の足で立ち上がれ!」と促してくれているようです。 さあ、今度こそ横田さん夫妻がめぐみさんを抱きしめる時です。 2014年5月31日



物理学者の寺田寅彦は「正当にこわがる」という言葉を残しています。 浅間山噴火の現場に居合わせて語ります。 「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、 正当にこわがることは、なかなかむつかしいことだ。」 私たちの日常でも、正当にこわがることができず、 能天気であったり、必要以上にこわがり過ぎることが多いように思います。 また、人をこわがる時は、事実に基づかず、自分で勝手に想像してしまいやすい。 疑心暗鬼のごとく、鬼を作ってしまうのです。 そのため、顔と顔とを合せて会ってみれば、何の事はなかったと。 そう考えると、真実なことを求めるほど、恐れは遠ざかるように感じます。 聖書では「愛には恐れがありません。」 その愛とは、真実を知ることであり、その努力のあるところ、恐れは自然と消えて行くように思います。 便利なものが溢れて、自分の目で見ようとしなくなっている今日、鬼が徘徊しています。 その鬼退治とは如何。実際に会ってみること。まずは、自分の目で見ることです。 2014年5月24日



中学校の体育祭で、「信じて闘え、仲間とともに」生徒たちが掲げました。 その時、「走れメロス」のことを思い出しました。 メロスが最後まで走れたのは、竹馬の友セリヌンティウスのゆえでした。 自分を信じてくれている友がいる。それが走る力となるのです。 その体育祭では、父兄がリレーに参加することになりました。 PTA仲間で選出するのですが、私は最初から降りてしまいました。 それは、数年前に、地域の運動会で大転倒したトラウマが生きていたようです。 手を挙げてくれた同級生でもある仲間が、 「高津君が走らないなんて、相当ショックなことがあったんだね。」 彼の言葉が心に沁みました。 彼はいつも控え目ですが、物事を冷静に見ていて、複雑な状況を整理してくれる。 映画「炎のランナー」でユダヤ人のハロルドの友人であったオーブリーという人物とも重なります。 ユダヤ人と言う自負があり孤高の存在であった主人公のハロルドを陰で支えるのです。 体育祭を通じて、そんなオーブリーの友情を私も受けたようです。 2014年5月19日



新緑に囲まれた公園内にある教会で、年に1回、 同じ信仰を持つ仲間たちと会う機会があります。 高校時代からのお付き合いの方々ですが、 今日に至るまでそれぞれ紆余曲折がありました。 お会いした時に、今日の状況をそれとなく察することができます。 問題を抱えていることが分かっていても、 当人が話すまでは待っていたり、待ってくれている間柄のようです。 何も語らずとも、不思議とお互いに通じるものがあります。 また、その問題も、同じような問題であることが多いため、 互いに理解し合うこともできます。 今回その仲間たちと合唱をする機会がありましたが、 その歌詞にすべてが込められていたようでした。 そんなところには、いつもと違う熱いものが注がれます。 少し離れたところで、互いに祈っているだけの関係かもしれませんが、 そんな仲間がいてくれることだけで勇気づけられます。 あまり気づいていなかったのですが、そんな仲間に支えられている、 彼らの祈りに支えられていると感じました。仲間は偉大なり。 2014年5月10日



カラオケで同級生が佐野元春さんの「アンジェリーナ」を歌っていて、 中学校時代に戻ってしまいました。 久し振りに聞いたのですが、しっかりと記憶に残っているのですね。 すると、同じく佐野さんの「someday」が思い出されて、同級生と歌いたくなりましたが、 他の皆さんの手前、その機会はありませんでした。 高校を卒業した当時も思い出されます。 当時新幹線のテレビCMでは、「ファイトエクスプレス」と宣伝。 「someday」を背景に流して、旅立つ若者を応援していました。 新幹線に乗って上京する自分と重なり、この歌がさらに心に響きました。 そこで、家に帰って、改めて「someday」を聞いてみましたが、歌詞が深いことに気が付きます。 「若すぎて何だか解らなかったことがリアルに感じてしまうこの頃さ」 この歌は、若者ではなく、人生経験を経た我ら世代の歌に思われて来ました。 「だからもう一度あきらめないで、真心がつかめるその時まで、someday、信じる心いつまでも」 someday、今度いつか同級生と肩を組んで歌ってみたいです。 2014年5月2日



知り合いと街で出会った時に、気持の良い挨拶ができると心も晴れます。 しかし、行き違いがありました。 夕日を眺めて歩いていると、知り合いが後方から自転車でやって来て、声を掛けてくれました。 すると、その挨拶に気持ちを良くしてしまったのか、話しを始めてしまいました。 しばらく相手もそれに合わせてくれました。 すると、私の目指していたところに、近道があることを教えてくれます。 そうなれば、その方とそこでお別れとなります。 「私は時間がありますので。」その近道を選択しませんでした。 会話途上でしたので、それが何となく礼儀のようにも思われたり、 あるいは調子に乗っていたかもしれません。 すると、「私は、病院の予約がありますので、これで失礼します。」 何となく気まずい感じとなってしまいました。 互いに相手を思いやったつもりが、このような結果となってしまった。 もっと相手の状況を察知して対応すべきだったと反省が残ります。 気持ちよいお付き合いのために、相手の立場を慮(おもんぱか)りたいです。 2014年4月26日



地元の自民党議員が、党員加入を呼び掛けていました。 しばらくの下野で党員が大幅に減少してしまい、党勢回復のために動いているようです。 そこで、問いかけました。「自由民主党の自由とは何ですか。」 そんな折に、中学校の入学式があり、校歌で「自由の子」という歌詞がありました。 祝辞で父兄を代表して、「自由とわがままは違います。」 その違いについて考えてみることを提案します。 私も改めて調べてみました。その時に、ピーター・ドラッカー氏の言葉に出会いました。 「自由とは、責任ある選択である。」(Freedom is a responsible choice.) ここまで的確に表現できるのかと、経営学の大家と言われるゆえんに納得いたしました。 すると、自民党の憲法改正草案での対話集会で責任者の船田元(はじめ)氏が発言していました。 「国民には自由と裏腹に責任がある。権利と裏腹に義務がある。」 その通り。それを主張してこそ自民党です。 自民党が自民党でなければ、一時的に党勢を回復しても同じことの繰り返しでしょう。 2014年4月19日



拉致問題が一向に進展しない中で、横田さん夫妻は高齢となり、 お孫さんと会うことに至りました。それと似た体験を私もしました。 最近、遠くのものが見えにくくなったため、行きつけの眼鏡屋さんに伺いました。 そこには、朗らかに声をかけて下るおばさんがいました。 数年前、そのおばさんが不慮の事故で亡くなります。 そのお店に伺うと何かしら寂しさを感じてしまうのです。 帰り際に、ぽろりとこぼしてしまいました。 「おばさんがいなくて寂しいですね。」 すると、店長さんが、「あちらが娘さんですよ。」 はじめてお会いしましたが、微笑んだ姿が、おばさんとそっくり。 お母さんのことを思い出させてしまったものの、嬉しそうなご様子。 その瞬間に、私の心に何かしらの光が差しました。 律儀な助言をいただき、眼鏡はそのままでした。 しかし、お店が明るく感じるようになり、静かな感動を覚えて店を後にしました。 横田さんたちも語っていました。 「不思議な瞬間で、ひとつひとつ感動しながら過ごしました。」 子の存在とは、希望の光です。 2014年4月12日



桜満開となった日に、熟年のカップルが実店舗にご来店下さいました。 バーミックスの前で立ち止まったので、回転力が強くなった新製品をご紹介いたしました。 女性の方は、バーミックスを憧れのような目で見つめていました。 その商品のことは、すでに知っているようでした。 ご主人の方も、何か悩んでいるものの、気になるところを質問して来られます。 そして、突然「これいただけませんか。」お金はご主人の財布からでした。 私も妻のために、時にそんな買い物をしたいなあと羨ましく感じた瞬間でもありました。 その女性は幸せそうな顔で、手提げのバーミックスの赤い箱を握りしめて、 二人仲良く店を後にしました。 そのお二人の後ろ姿が清清しく、私の心に静かな感動が残ります。 それは、物を販売する喜びを教えていただいたようでした。 この春バーミックスは還暦を迎えました。 一つの道具が、60年間も愛されて来たのは、あの女性の喜びを見て分ったようでした。 輸入元のチェリーテラスさんも見ごろを迎えて花盛りです。 2014年4月7日



北海道から家内の友人が、わが家に立ち寄ってくれました。 息子さんが同県内の豊田市に就職が決まり、引越しなどのお手伝いで愛知県にやって来たのです。 友人は、女手ひとつで6人の子供たちを育てて来ました。 その途上では、いろいろなことがありましたが、そのたびに家内に手紙を書いて知らせてくれました。 私たち夫婦も、ただ祈るだけでしたが、着実に子供たちが成長している姿に 「ご苦労様」とねぎらいの言葉が自然に出て来てしまうのです。 久し振りにお会いすると話は尽きません。 互いに確執のあった兄弟たちが、それを乗り越えて、一緒に雪かきをしている写真を 嬉しそうに見せてくれました。 また、率直に自分の弱さを打ち明けてくれる母親の姿は、静かな光が差しているようでした。 「いろんなことがあったけど、神様がすべてを益にして下さったんだ。」 さらりと語ってくれるのです。 「旅人をもてなしなさい」とは聖書の言葉ですが、その真理にも光が差したひとときであり、 もてなす私たち夫婦が恵まれました。 2014年4月2日



友人のお父さんが10年近くも寝たきりの状態で、昨年お亡くなりになりました。 友人は、お父さんの体調管理の反省から、定期的に健康診断に行っているとのこと。 「高津君も、健康診断に行っておくと良いよ。」 そんなすすめもあり、健康診断に行って来ました。 超音波検査の時でしたが、検査士の方がなにげなく 「綺麗な肝臓ですね。財産ですから、大切にして下さいね。」 内臓が財産だと言われたことが、とても新鮮でした。 そして、普段見ることのない肝臓への愛着を喚起していただいたようでした。 かたや、その検査士の方のお仕事ぶりに感銘を受けました。これぞ、プロフェッショナル。 そこには、検査を受ける人に対する細やかな愛情がありました。 私も仕事の中で、向かい合う人に、同じような愛情を持てているだろうかと反省いたしました。 そう言えば、友人のすすめも、なにげない一言でしたが、 そこには愛情があったのだと気付かされました。 そんな言葉に感謝しつつ、日常生活で語る自分の言葉も健康診断してみたいです。 2014年3月22日



中学校の卒業式の祝辞で、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」を紹介しました。 この物語は、自分の殻に悲しみが詰まっていることを知ったでんでん虫が、 友達に悲しみを打ち明けます。すると、どの友達も同じく悲しみを背負っていた。 そこで、でんでん虫は、悲しみをこらえて前に進んで行く。 厳しい人生の現実とともに、仲間に打ち明けることの価値を伝えました。 この話を聞いた地域の方が、新美南吉記念館の館長の講演会資料を後日提供してくれました。 そこには、南吉の作品が世に広まるまでの経緯が紹介されていました。 友達の巽聖歌(たつみせいか)が、南吉の死後、紆余曲折がありながらも南吉の全集を出版。 巽の存在がなければ、南吉の作品は埋もれたままであったと言われます。 館長は、巽の走り書きしたメモに涙します。 「南吉よ おそい春だったなあ けれど おれは  これでせいいっぱいだったんだよ 花咲ける日の南吉へ」 生誕101年を迎えた年の卒業式が、遅い春とも重なり、私も涙が溢れて来ました。 2014年3月15日



雨が降りしきる、近くの川沿いの道をとぼとぼと散歩していました。 桜が雨に打たれつつも、開花を待ち望み、微笑んでいるようでした。 その次の日は、中学校の卒業式が控えていました。 生徒たちの成長とともに、桜の木も年々大きくなり、ここ数年は見事な花を咲かせます。 今日は、蕾が膨らんで参りました。 小さな蕾でも、そこには大きな希望が膨らんでいるようでした。 まだ花開くのを見てはいなけれども、やがて花開くと信じることができる。 その小さな蕾が、卒業生たちと重なりました。 雨に打たれ、風に吹かれ、寒さをしのいでいるのが人生そのもののようです。 彼らに、人生の嵐が押し寄せても、やがて花を咲かせることができる。 身近にある草木は、天よりの贈物であり、われらを応援してくれているようです。 それに気づけると、明日を生きる力が沸いて来ます。 その夜、雨は降り続き、激しい嵐となります。しかし、翌日はカラリと快晴。 晴れの日を迎えて、やがて花咲く215名を送り出しました。その後姿に、幸多かれと祈りつつ。 2014年3月8日



子供がお世話になっている中学校には、お人形を抱いた少女の絵があります。 その絵は、体育館から校舎に戻るたびに、生徒たちが目にするところに掲示されています。 先日その絵の作者を知りました。 その方は、校区内の狭い通りで、交通事故で亡くなった方でした。 二人の女の子のお母さんであり、ある日突然命を絶ってしまった。 描かれている少女は、お子さんなのか、ご自身なのかは分かりません。 そして、その絵を中学校に寄贈されたご主人の深い悲しみは今も続いています。 しかし、その方は毎朝その同じ通りで交通立ち番をされています。 「はい、おはよう。」子供たちに溌剌と声をかけながら、子供たちを見守ってくれています。 そこは、朝のラッシュ時には、踏切が近くにあり、信号がない横断歩道で、大変危険なところです。 そんな背景を知り、その絵を眺めると、命の愛おしさが溢れていました。 生きているって、ありがたいなあ〜。 また、その少女は、そのお母さんにも思え、いつも子供たちを優しく見守っているようです。 2014年3月4日



they was、It taked、・・・・ 英文学の教授であった先生が、大学生の英語力は燦々たる状況だと嘆いていました。 大学を含めて10年勉強しても、モノにならない人がほとんどである。 自分の体験からも、それには頷けます。 九十を迎えようとする先生は、自分のやって来たことに怒りと後悔の念を込めて語っていました。 講演の演題は「野茂英雄の語学力に学ぶ」でした。 大リーグで成功した野茂投手ですが、高い語学力があったのではありません。 野球の技術があれば、英語は後についてくる。 英語は、あくまで道具に過ぎない。 まずは、仕事であり、内容であることを皮肉を込めて主張していました。 そんな折に、中学校の会合で、アンケート結果が報告されていました。 生徒たちが自分の将来や生き方について考えることができていないと。 何のための受験であり、何のための英語であるのか。 基本を習得する必要はありますが、膨大な時間をかけて学ぶ学校英語は見直す時でしょう。 英語を学ぶ意義を考えてみたいです。 2014年2月24日



被災地の中で育った羽生結弦(ゆづる)選手は、団体戦後のインタビューで語ります。 「僕だけのスケートじゃないので、本当に緊張しましたし、 日本の国旗におじぎしたんですけど、日本のために全力を尽くせて良かったです。」 PTAの子育て講演会で、竹井真澄さんのお話を伺ったことがありました。 竹井さんは、ご自身やお子様の病気を通じて医学に興味を持たれて、 家庭を持ちながらも大学院を卒業されます。 その後、スポーツ選手の栄養指導をされて来ました。 先生に私淑する父兄から最近伺ったお話でしたが、 先生が一流と評価される選手との交流を通じて、こんなことを語っていたそうです。 「ビタミン・ミネラル・タンパク質等整うと、自分が何者か分かり、正しい判断のできる人に育つ。 この世の中で、どうすれば一番自分らしく自分を生かせるか、 どういう道に進んだら良いのかが、自分が分かるようになる。」 金メダルに輝いた羽生選手は、被災地の星とも言われます。 この五輪では、自分が何者か分かっていたようです。 2014年2月17日



高校生の娘の卒業作品展示会に出掛けました。 そこには、布の絵本がありました。文字が、一糸づつ丁寧に縫い込まれています。 印刷により複写できる本とは違い、その一冊には特別の重みがあるように感じました。 また、紙とは違って布は、温もりを感じることもできます。 娘の級友の「ママとボク」と言う作品では、母親と子供の日常が優しく表現されていました。 お仕事で帰りの遅いママを、ボクはじっと我慢して待っている。 そこには、ボクなりにママを思いやり、自分を納得させる言葉が綴られています。 最後は、ようやく帰って来たママを大喜びで迎えて、一緒に寝てしまう。 お母さんを待っている子供の心境が痛いほど伝わって来ました。 また、お母さんも子供に会えることを待ちわびていた。 待つとは、そこに愛が現れるのだと思いました。 一糸づつ縫ってあることで、それが強く浮かび上がったようです。 そして、自分もそうだったなあと、子供時代に帰ってしまいました。 すると、ぽたりと落涙。危うく作品を濡らすところでした。 2014年2月11日



よっちゃんと呼ばれている純粋無垢な友人がいます。 私が高校生の時からのお付き合いで、かれこれ30年近い月日が流れています。 誕生日や結婚記念日を毎年覚えてくれていて、 にやにやと「今日何の日だ〜」と思わせぶりな電話をかけて来てくれます。 当時は、リアカーで廃品回収のお仕事をしていましたので、リアカーがシンボルでした。 そのうち、何度も挑戦して免許取得した原付バイクに変わります。 いつも歌いながら駆け回っていたので街の有名人でもありました。 そんなよっちゃんも六十を過ぎて、現在は車椅子で闘病生活を送っています。 先日久し振りにお会いした時も、体に痛みを覚えながらも言葉を絞り出して祈ってくれました。 「エス様、高津君のお店が祝福されますように。」 その数日後に、私もよっちゃんもお世話になった牧師の葬儀があり駆けつけました。 献花の最後は、車椅子のよっちゃんでした。 介助をしてもらいながら、ようやく立ち上がって、一輪の花を献げていました。 その姿にほろりとしてしまいました。 2014年2月1日



東京都知事候補にはじまり、五輪組織委員長、経団連会長など、 その選出過程の背後には、さまざまな人間模様があったのではと想像しました。 地元中学校のPTAの役員選出も、この時期に難航しましたが、 難航するほどに大切なことが浮かび上がって参りました。 それまでの役員が長きにわたりお務め下さったご苦労が身に染みました。 いろんな方々が心配して下さることによって、中学校を良くしたいとの気持ちが引き出されて、 その気持ちが高まります。 選出委員の私も、いろんな方にお願いのお手紙を書きましたが、 決まった方は、お手紙を書いた方ではなく、お電話を通じてお声をかけて、 すんなりと受けて下さった方でした。 しかし、何通も手紙を書くことで、こちらの考えや心構えが整理されて、 相応しい方をたぐり寄せることができたとも言えるのでしょうか。 難航していた時に、私の心を支えていたのは、地元の大先輩の言葉でした。 誠意をもって事に当たれば、何事も道は開かれる。 今回もその通りとなりました。 2014年1月25日



ナイジェリア人質事件で犠牲になった内藤文司郎(ぶんしろう)君のお母さんが、 真相不明のまま1年を迎えて新聞で切々と訴えていました。 「経験したことのない悲しみを味わい続けた1年でした。 我が子を失うことが、こんなにもつらいとは」 私と文司郎君とは幼稚園でクラスメートでしたが、中学と高校の同級生たちが 偲ぶ会をつくっていることも紹介されていました。 中心メンバーの河辺智弘君は、 「持久走大会で、顔を真っ赤にしながら懸命に走っていた姿が印象的。 事件の一報を受けた時はショックだったが、これからも会を続け、 ブンちゃんの記憶をとどめていきたい」 河辺君は、テレビ番組の制作コーディネーターとしてアフリカとも縁があります。 現在は、地元に戻っていて、私ともPTAの盟友です。 お母さんは語っていました。 「人の優しさをこれほど感じることができたのも初めて。ブンが気付かせてくれました」 首相がアフリカ外交を展開していましたが、わが国としても、できることはある。 響いてきます。「アフリカを忘れるな」 2014年1月20日



教育委員会が主催する人権教育の研修会に参加しました。 日本の社会では、人権侵害と主張することが、 わがままを言っているように聞こえてしまうことがあります。 もともと、人権(human rights)という言葉は、キリスト教圏で生まれた言葉です。 人権は、神とも呼ばれる絶対者から付与されたものであり、その絶対者を信じていることが前提とされています。 そこには、人権を付与されるに相応しい態度が期待されています。 それを日本の社会では、義務を果たすと表現するのかもしれません。 その前提があってこそ人権が成立する。 ところが、日本の社会では、絶対者という存在が意識されずに、 人権という言葉だけが輸入されてしまった。 人権を語る時に、人権を付与した存在が抜け落ちているのです。 そのため、義務を果たすことが希薄になる。 その結果、義務を果たさないまま、権利だけを主張することに陥り、 時にわがままに聞こえてしまうのでしょう。 人権教育の本質は、権利ではなく義務を果たす価値を伝えることです。 2014年1月13日



高校の先輩が、ポール・マッカートニーのコンサートの報告をしてくれました。 旅費も含めて高額なチケット代も十分元をとれたと大変な感激ぶりでした。 70歳を越えるポールが休みなく30曲以上を歌いきる。 何があれほど感動させたのか。 私のビートルズ体験は、中学生のころでした。 ある映画のテレビ宣伝で「Let It Be」が流れてきて、聞き惚れてしまいました。 この年になって、曲ではなく、その歌詞に味わいを感じています。 この歌は、ビートルズが解散の危機にあった時に、亡きお母さんがポールにささやく。 「なすがままに」 人生経験を経ると、この心境がよく理解できます。 人との関係で、どうすることもできない状況が訪れます。 しかし、何かできるのではと意気込むのですが、かえって関係をこじらせてしまう。 その時の一つの答えなのでしょう。 「なすがままに」とは、何もしないことではなく、相手の祝福を陰でそっと祈ることだと思いました。 あれほど先輩を感動させたのは、ポールが仲間への熱き思いを秘めていたゆえでしょう。 2014年1月6日

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