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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表
人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。

交通戦争を彷彿させる朝の時間。 通学する子供たちと通勤する車の時間が重なります。 そこは旧道とも呼ばれる昔ながらの狭い道。 すでに退職された先生は、学校のある日は毎朝、 旗をもって、横断者が安全に通れる活動をしています。 ご自宅に伺うと、お茶を汲んでくれたのは先生ご自身で 「若いころに家内を亡くしましてね。たいしたもてなしができません。」 「おいくつの時に」「42です。」現在の私とほぼ同じ時期でした。 後日他の方から伺ったのですが、先生の奥さんは、 それは大変美しい人で、街では評判の人だったそうです。 それが、あの日、同じ旧道で、自転車の事故で一瞬にして亡くなってしまった。 しかし、先生は、その悲しみに暮れてしまうことなく、 子供たちを育て上げ、前を向いて学校のため地域のためにも尽くして来ました。 そして、今日も、旗をもって、子供たちに大きな声をかけます。 「はい、おはよう!おはよう!」 私は、そんな先生の背後にあるものを知り、心を打たれました。 先生の悲願をどうしても結実させたい。 2011年12月24日



路上生活者を支援するサマリヤ会の高島史弘(ふみひろ)さんから 声をかけていただき講演会に参加いたしました。 講師は、内閣府のボランティア連携室長の湯浅誠(ゆあさまこと)さん。 湯浅さんには「自己責任の過剰」という考え方があります。 あくまで、過剰ですから、自己責任そのものを否定しているのではありません。 自己責任とは自ら負うものであり、負わせるべきものではないのでしょう。 率先して責任を負うことを、日本語では気概と表現できます。 今日の日本に必要なのは、まずリーダーたちの気概です。 湯浅さんの言われていた「溜め」、すなわち財産や人脈などを持っている人こそ 果たすべき責任があります。 そして、その「溜め」を生来のものとせず、刻苦勉励して新たな「溜め」を創造していくべきでしょう。 最終回を迎えるNHKの「坂の上の雲」でも、大先輩達の気概が伝わって来ます。 それは、ノブレス・オブリージュ(特権階級の義務)とも言えます。 各人が立場や役割を正しく認識して、各人の責任を果たしていくことです。 2011年12月17日



交通事故が跡を絶ちません。 「どうしたら交通事故をなくせるのか?」 子供たちを守ろうとして、いろんな方々に、この質問を投げかけています。 市議会議員、中学校の校長先生、PTA関係者、市役所の交通安全担当者、 交通安全ボランティア指導者、 自動車販売会社の社員、保険販売員などなどです。 各人各様で、さまざまな回答が返ってきます。 そこで、まず発見できたのが、私自身の制限速度に対する無頓着さです。 制限速度ではなく、自己流の感覚による速度で運転していました。 それが、制限速度を意識してみると、かなり乖離があったのです。 制限速度は、もし、お年寄りや子供が飛び出して来ても、止まれる可能性が大です。 「制限速度を守っていたら、後続の車に迷惑をかける」そんな空気があります。 しかし、「制限速度を守っていないから、命が助からなかった」 こちらの方が正しいでしょう。 命の重みを考えるなら、制限速度に対する認識を改めることです。 そこで、また気づきました。人を守ることは、自分を守ることでした。 2011年12月10日



恥ずかしい話ですが、わが街の汚点は、交通事故の多いことです。 自家用車を所有される方が多いのかもしれませんが、交通モラルは決して良いとは言えません。 そんな中で、とうとう高校1年生の女の子が交通事故で亡くなってしまいました。 先月23日の祝日の昼間。部活からの帰宅途上でのことでした。 その高校は、私の母校でもあり、しかも娘の友人でもありました。 その子は、入学間もないころに、まだ知り合いも少ない娘に話しかけてくれた明るい子だったそうです。 事故のあった交差点には、今も寂しく花束が置かれています。 それを見るのは、大変心苦しいです。 そして、同じ週に、自宅近くでお年寄りが、バイクに乗った男性が、次々と交通事故で亡くなります。 わが街では、11カ月間で今年18名の命が失われているのが現実です。 市民の一人として、子供を持つ親として、この事態にどのように対処して行けばよいのか。 少なくとも行政や警察任せにせず、主体的に行動を起こすことです。 豊橋市民よ!できることを各人熟慮すべし。 2011年12月2日



今年の日本シリーズで印象的だったのが森福允彦(もりふくまさひこ)投手です。 彼は、わが故郷、豊橋市の出身ですが、 地元ドラゴンズを相手に地元名古屋ドームで闘志を燃やしました。 無死満塁のピンチを11球で抑えて優勝に大きく貢献します。 豊橋のリトルリーグ、花田フレンズでは、全国制覇を果たしました。 その後、豊橋南部中学校から豊川高校に進学。 夏の大会では、久し振りに三河から 甲子園出場かと夢が膨らみましたが、決勝で惜しくも敗れました。 その後、野村克也監督と出会います。 日本シリーズの解説で、野村さんが直接当時のことを語っていました。 小柄で球も速くないのでプロをあきらめるように進言したそうです。 しかし、持ち前の制球力と度胸で、ソフトバンクの中継ぎとして開花します。 野村さん曰く「森福から教えられました。」 これを聞いて、にやり。これぞ三河人の心意気と誇らしく思えました。 同じく、NHK杯では、豊橋出身の鈴木明子選手も優勝。 ふたりとも地味ではありますが、三河魂たる底力を持っています。 2011年11月24日



日本の農業はどうあるべきか。 昔ながらの製法を守り、手間暇かけて作る農産物は、大量生産はできません。 それは、子供を育てることに似ています。 それなりの経費がかかり、価格も高くなります。 かたや、海外からの農産物は大量生産です。 いかに安く作るかに努めます。 日本の農業も、これらの国に負けじと大量生産を目指して、競争力をつけるべきでしょうか。 工業製品と食品が同列に議論されますが、これらは本質的に違います。 食品はすぐに腐ります。何よりも新鮮が一番です。 それが海を越えるとなると、腐らない様に防腐剤を使うことになります。 地産地消は、我が国の伝統であり、そこに本当の美味しさがありました。 これらの食品を提供する皆さんは、工業製品のような利潤の高いものに目もくれず、 地道に誠実に隠れたところで日本の経済を支えているのです。 極端な話、自動車がなくても生きて行けます。しかし、食物がなければ生きて行けません。 食物は、本来価格をつけれないほどの聖なる物と思います。 2011年11月17日



わが故郷の学校給食で、放射線量を測定する動きがあるようです。 どの程度のレベルで行うのかは検討中のようです。 ただ、相当の時間や労力を注ぎ込まなければ、中途半端なものとなる。 しかも、厳しい財政状況ですから、予算を新たにあてるのであれば、市民にも納得のいく説明が必要です。 あくまで、使うお金は公金です。 自動車事故と同じで、もはやゼロリスクはなく、絶対の安心はありえません。 独自の厳しい基準を定めるなら、科学的な根拠を提示する必要があるでしょう。 さもなくば、風評被害をさらに拡大させてしまうのです。 かたや、被災地の瓦礫を故郷のゴミ処理場に持ち込むことも拒絶しています。 わが故郷は、ええじゃないかと被災地を応援しているのです。 今一番痛みを感じている東北の皆さんと率先して痛みを分かち合うべきです。 このような内向きな姿勢は、子供たちの未来にはつながりません。 もし、これらの政策を断行するなら、少なくとも 放射線の内部被曝による人体への有害性をきちんと立証すべしです。 2011年11月10日



娘の中学校の合唱コンクールを鑑賞しました。 音響施設の整ったライフポートとよはしのコンサートホールで、 クラスごとに自分たちで選んだ曲を合唱します。 印象的だったのは、「蒼鷺(あおさぎ)」という曲です。 北海道の原野に生きる一羽の鷺の生き様を歌っています。 歌う前に、その曲を紹介する生徒が、「蒼鷺が懸命に生きる」と語りかけ、 泣き出してしまいました。しばし言葉になりません。 会場から「がんばれ〜」という声がかかります。 「自分たちと重ねて歌います。」 すなわち、自分たちも懸命に生きているのだと思いました。 私も、もらい泣きします。 この日を迎えるまでに、さまざまな事があったのだと想像しました。 すでに、歌詞の中の蒼鷺になりきっているようです。 しんと静まりかえった会場で、指揮者が手を振り上げます。 彼の後姿が時に激しく、時に優しく、そして無事終局を迎えます。 厳しい状況の中でも、力強く生き抜く一羽の蒼鷺。 それは、これからの人生を暗示しているのかもしれません。 しかし、懸命に生きる姿は美しい。 2011年11月4日



地元中学校のバザーのお手伝いで、協賛をお願いして地元企業を廻りました。 その一つに、有楽製菓さんという会社があり、段ボール一箱のお菓子をポンとご提供下さいました。 それは、「ブラックサンダー」というチョコレート菓子。 もともと、豊橋工場の20代の社員が開発したお菓子とのことで、 今や豊橋駅構内でも、「豊橋ブラックサンダーミニ」がキヨスクで限定販売されています。 体操の内村航平選手は、このお菓子が好物という情報が流れて、人気が急上昇したのだそうです。 恥ずかしながら、個人的には、このお菓子を知りませんでした。 家族に聞いてみると、「え〜ブラックサンダー知らないの」 そこで、協賛に感謝するとともに、宣伝したい気持ちが高まります。 地元の人が、地元の会社を支える。雇用面では、地元の会社が、地元の人を支える。 このご近所のお互い様が、ありし日の日本の光景でした。 地元で作って、地元で買って食べる。お互い様の繋がりこそ明日の日本の姿です。 豊橋人よ、ブラックサンダーを食べましょう。 2011年10月27日



TPP参加の賛否が議論されています。 小売業の現場から危惧するのは、TPP参加は物価安のデフレを加速させてしまう。 TPP参加の自由貿易が前提であれば、関税が撤廃されて、 海外からの安価な商品が流通することになります。 その結果、価格競争に拍車がかかり、国内市場では、ますます薄利で小売業は立ちゆかず、 製造メーカーも海外に目を向けざるを得ない。 その結果、国内市場は縮小して雇用も失われる。 かたや、消費者は良い品も買いたいのです。 日本人ですから、日本製の品に愛着もある。 しかし、お金がない。収入が少ない。 ですから、消費者の雇用を確保して、収入を増やす努力をすべきです。 そのためには、行き過ぎた価格競争に歯止めをかけて、まずデフレを止める。 日本人が日本製の品を買うことができれば、好循環に至ります。 TPP参加は、農業の問題をはじめ、為替調整などで輸出も大きくは期待できません。 天秤にかければ、デメリットの方が多いのでは。 今は、デフレ下と言う時機を考慮すべきです。 2011年10月21日



不謹慎かもしれませんが、葬儀に違和感を覚えることがあります。 仏式葬儀では、お経が唱えられます。 果たして、その意味を理解できる人はどれだけいるのか。 僧侶は、その意味をもっと知らすべきではないか。 参列する方は、知る努力をすべきではないか。 形ばかりで、そこには、自分の意志が感じられません。 「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依すると言う意味があります。 帰依するとは、主体的な行為であり、自らの意志が伴います。 しかし、お経も知ろうとせず、帰依する意志もなく、ただ周りに合わせているのみ。 それは、かえって、その対象に不謹慎ではないか。 仏式葬儀の賛否ではなく、自分のしていることは何であるのかを知り、 その行為に責任を持つべきだと思うのです。 葬儀という場はひとつに過ぎません。 他の場面でも、意味を知ろうともせず、単に周りに合わせることは危険が潜みます。 それは思考停止に及んで、赤信号みんなで渡れば怖くないに至ります。 同調することも必要ですが、まずは、自分をもつことです。 2011年10月15日



おばあちゃんが、自分のバッグの中から取り出した手紙がありました。 それは、昨年の敬老の日に届けた、小学生の孫からの手紙。 その頃、おばあちゃんは入院していました。 「早く元気になって、また一緒に食事に行きましょう。」と丁寧な筆致で書かれていました。 幸いおばあちゃんは退院します。 今年の敬老の日を前にして、おばあちゃんは、その手紙を今日まで大切にしまっていて、私に見せてくれました。 そして、家族みんなで、おばあちゃんを訪ねます。 「さあさあ、食事に行くよ。」いつもの行きつけの店に出かけました。 普段通りに食事を楽しむことができました。 しかし、それは最後の食事となります。 今考えると、その時すでに、おばあちゃんは何かを予感していた。 あの孫の言葉を果たそうと、最後の力を振り絞ってくれたようです。 その数日後におばあちゃんは倒れて、帰らぬ人となりました。 あの手紙の言葉に、おばあちゃんは支えられていたようです。 そして、訃報を聞いた送り主も、部屋に閉じこもり、ひとり大泣きしていました。 2011年10月10日



学生時代に通っていた教会で、難病を患っていたご婦人が 「私には乏しいことがありません。」と色紙に書いていたのが今でも忘れられません。 自分なりに、信仰とはこのようなことを言うのだと気づかされたのです。 この言葉は、聖書の詩篇23篇にある言葉で、多くの人がこの言葉を歌にしています。 私と同じ年で、肢体不自由なレーナ・マリアさんは、 足でピアノを弾いて、この詩篇23篇のオリジナルの歌を作っています。 英語では、「I have everything I need」 彼女がこの歌をささげると、やはり心を打たれます。 両腕がなく左脚が右脚の半分でも、与えられているもので満足している。 ちょうど聖書のピリピ人への手紙を学んでいました。 パウロという弟子は「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」と語ります。 さらに、続けて語ります。 「私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです。」 人間の欲を越えるのは、注がれる大きな愛情です。 極めれば、目には見えない救い主イエス様との強い絆がありました。 2011年10月1日



東京の広尾にあるイタリアンレストラン「アクアパッツァ」でランチを御馳走になりました。 エレベーター前の入口では、シェフの日高良実さんがお出迎え下さいました。 「ここに来ると、家に戻った気持ちになれるのです。」とお招き下さった方は、 こちらのお店と日高さんを大変ご贔屓にしている様子。 お店のパンフレットには、「イタリア料理の魅力は郷土料理にあり」と記され、 その点では体現できているのだと思いました。 イタリア料理なのですが、和風イタリアンと言った印象で、 日本の食材を上手にアレンジしていました。 その日も、だだちゃ豆やハモがテーブルに。 そして、食材本来の味を生かすために、あまり手をかけず、いたってシンプルな料理でした。 調理よりも、食材そのものの選定に努力をされている。 そして、料理よりも印象的だったのは、日高さんはじめ、スタッフの皆さんの爽やかな笑顔。 一人の女性スタッフに日高さんの印象を伺うと、「とても優しい人です。私たちにも。」 レストランとは、まずシェフの人柄ありきと思いました。 2011年9月23日



同じ教会に集う韓国の若い夫妻とは信仰の友です。 ご主人は留学生ですが、奥様の方は数年前に日本にやって来ました。 そして、言葉の障壁がある異国での出産となります。 しかも、この時期は放射能のことで不安がつきまといます。 しかし、冷静に情報を収集して、帰国はせずに日本にとどまります。 ついに、陣痛が始まります。ところが、胎児の状態が良くないとのことで、急遽手術。 ご主人は、手術室に入る奥様を見守ります。 それは、最後の別れのようであり、その手術の時間が途方もなく長く感じられたそうです。 誕生したお子さんは、しばらく治療が必要となります。 しかし、幸いにも母子ともども無事退院。 出産から10日後に、ご主人は誕生日を迎えます。 家内とケーキを持ってご自宅まで伺うと、お二人は誕生日も忘れていました。 しかし、幸せの空気が流れていました。 そして、共に祈り、感謝をささげました。 数日間は暗き谷間を歩いたご主人の目には涙が光っていました。 その赤ちゃんは、日本語で「主の友」と名付けられました。 2011年9月16日



母校の同期会が、丸の内の明治生命ビルにあるレストランで行われました。 一番心待ちにしていたのか、一番遠くから駆けつけた私が一番乗りとなります。 20年ぶりに会う仲間たちですが、当時は面識のなかった方がほとんどでした。 しかし、同期というだけで、すぐに打ち解けてしまいます。 同期の友とは、在学時ではなく、卒業後にこそ親交が深まるものかもしれません。 幹事の一人は、大手出版社の社長で、すらっと背の高い物静かな紳士。 女社長のお母様がお亡くなりになり、その後の要職を引き継いでいます。 対照的に、著名な女性経済評論家は、小柄で快活。 仕事に家庭に、そして公の場にまで活躍を広げ、ご自分の道を開いて来た姿には敬服いたします。 同じく幹事で大手広告代理店で活躍する一人とは、 「男子の料理」が今後の潮流になると料理談議に花を咲かせました。 最後は、全員肩を組んで、母校の応援歌「若き血」を熱唱。 「慶応、慶応、陸の王者慶応」其処には母校の伝統たる社中協力が花開いていました。 2011年9月10日



母校の卒業生が集う豊橋三田会が創立八十周年を迎えて、現学長の記念講演会がありました。 わが故郷は、母校と縁が深いのです。 その始まりは、福沢諭吉のもとで学んだ、わが故郷の中村道太さん。 中村さんは、当時の国際金融を先導する横浜正金銀行の初代頭取となります。 同じく、わが故郷の阿部泰蔵さんは、日本初の生命保険会社である明治生命保険を設立します。 このように故郷の大先輩たちは、福沢先生の教えを忠実に実践した先駆者たち。 そのため、わが故郷には、母校の風が今日も流れているのです。 当日は、台風接近の荒天候となります。しかし、会場はほぼ満席。 学長は労働経済学者の視点で「生涯現役社会の条件」を語りました。 その中で、生徒は顧客ではなく、自分の子供のようなもの。 そして、自分で考える人になってもらいたい。 自分でとは、自分の意志をもつ人です。自分が自分である。 もちろん責任を負います。そのような人が生涯現役につながって行く。 これぞ、母校の本道と安堵いたしました。 2011年9月6日



この夏読んだのが藤原ていさんの「流れる星は生きている」です。 満州から日本に引き揚げる母子の記録。 母親のていさんは、女手一つで乳飲み子を含めた3人の子供を引き連れます。 強盗、流行病に栄養失調、道中何度も死線をさまよいます。 同行する仲間内の人間模様は、時には冷酷極まりないものです。 人間の変わり身の早さに、これが現実だなあと妙に納得したりしました。 生身の人間の姿は、このような時にこそ表出します。 かたや、それを悔やんだり、嘆いたりできるのは、人間の美しい側面のようにも思います。 ていさんの筆致は、何も隠さず、自分の思ったままをぶつけています。 本質を直視することで、人間は人間として再出発できるのかもしれません。 幸いに、ていさん母子はみな帰還。 当時3歳の次男は、この時代に「日本人の誇り」を上梓する数学者の藤原正彦さんです。 その書では、生き抜いた人の責任感や使命感なるものを感じます。 成長した正彦ちゃんの率直な物言いは、ていさん譲りだとも思いました。 2011年9月1日



日本航空が、全日空に対抗して格安航空会社を設立。 このニュースに利用者は、世界が近くなったと喜ぶべきでしょうか。 それよりも、利益が確保できず、共倒れとなることを危惧します。 利益がなければ、安全性はますます手薄となります。 安くても、頻繁に事故が起こるようでは、決して安くはありません。 そもそも、安全第一の旅客機を、この自由競争の荒波にさらすべきなのか。 しかも、日本の強みは、アジア隣国とは違い、格安ではなくサービスの質にこそあります。 ですから、官民一体で挑みます。しっかりと日本の立場を主張して、必要な規制をかける。 航空会社とは、日の丸のごとく国を背負う誇り高き存在。 そのためには、それこそ全日空の名前通り、日本航空と一体となってオールジャパンもありでは。 日本の叡智を結集した安全性とサービスが突出していれば、世界市場も納得するでしょう。 そして、日本を覆うデフレを打開する先鞭役を期待できるかもしれません。 お互いを喰い合う価格競争は、我が国には相応しくありません。 2011年8月22日



この夏は「国家とはなにか」という江藤淳(じゅん)先生の本を読んでいました。 先生は、在学時に大教室で授業を担当していました。 著名な文学評論家でもあり、学内でも恐れおおい存在でした。 かの先生は、福沢諭吉に大変憧れていました。 「学問のすすめ」の「自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり」 という言葉を地で行く、まさしく慶応の本流でした。 ゆえに、先生は、戦後日本のあり方を「国家ごっこ」と揶揄していました。 独立国家であれば、自分の国は自分で守るのは当然のこと。 物事をしっかり見つめて、自分の頭で考えて、責任をもった行動をとるように。 しかし、先生は、最愛の奥様に先立たれて、後を追うかのように病苦で自死してしまう。 ご自分の生き方を真摯に貫き、独立が行き過ぎてしまったものかと想像しました。 そんな時は、もっと誰かに頼ってもらいたかった。 人間は一人では生きて行けません。 先生に信仰があったのかは定かでありません。 独立は信仰があってこそ花開くと思います。 2011年8月18日



あの戦争の教訓は、感情と理性と意志を同時にもつことだと思います。 まず、国を愛する気持ちは大切です。 それを感情と表現できますが、感情だけでは惨事を招きます。 そこに理性が必要です。物事を客観的に見つめて、それに対応する行動計画を練る。 しかし、それでも惨事を招きます。 指導者の多くも「アメリカ相手には戦争はできない」と理性を働かせていました。 とかく、理性は感情に流されます。 それが人間の性ですが、加えて強い意志が必要なのです。 戦争前の空気は異様であったようです。 マスコミや言論人をはじめ、言いたいことが言えなくなってしまう。 政治家は次々に暗殺されて、政治家も軍部におもねる。 そのような国会で、はっきりと戦争の非を質した人がいました。 それが、斎藤隆夫議員。 議員除名となりましたが、当時必要だったのは、この自由な言論でした。 政治家が、言うべき時にはっきり言える。 感情と理性に加えて、もう一つ強い意志が必要です。 勇気とも呼べるでしょう。そこに健全な民主主義があります。 2011年8月5日



母校の記念事業でお招きしたのが、デーモン閣下氏でした。 所属は吉本興業ですので、お笑いデーモンと言えるのでしょうか。 しかし、時に本質を突いたことを語る芸人だと思います。 スタッフ一人一人に、「洗脳した」なるカードを送ってくれました。 どのような意図があるのかは不明ですが、洗脳に気を付けよという警告なのかもしれません。 本物の悪魔は、洗脳させる事に努めるのでしょう。 元々この言葉は、中華人民共和国の強制的な思想改造を非難した英語のbrainwashingの直訳のようです。 旧体制の知識人が共産主義に洗脳される。 わが国でも、反社会的な新興宗教団体の信者などに当てはめることがあります。 その時、洗脳されているか否かの判断は、自由意思があるか否かで判断できると思います。 すなわち、自分で考えて自分で選んでいるか。 創造者がエデンの園に禁断の木の実を置いたのは、人間に自由意思を与えるためだったと言われます。 その自由意思を奪うのが悪魔です。人任せにせず、自らの意志で選びとることです。 2011年8月4日



八月を迎えると、日本人として、あの戦争を思います。 最近は「不戦の誓い」という言葉に違和感を覚えています。 戦争を知らない我ら世代は、あまりにも軽率ではないか。 子供たちにとっても、「不戦の誓い」とは分かりやすい。 「戦争は、悪いこと。昔の人は、愚かなことをした。 私たちは、戦争をしません。」果たして、そんな浅薄なものでしょうか。 現実世界は、かなり複雑怪奇です。 これは、子供の世界では通用しても、現実の世界では通用しません。 確かに、結果として何百何千万の途方もない犠牲者を出したことを見れば悪いことです。 しかし、自分たちの国や家族を守ろうとして戦争に関わった人たちは、 悪くて愚かなことをした人たちだったのでしょうか。 あの戦争も、我が国の自存自衛のために宣戦しています。 かたや、一般市民に原爆を二度も落としたことは、戦犯に当たらないのか。 その歴史を、自分で調べて自分で考えてみる必要があります。 いつの間にか、「不戦の誓い」で思考停止に陥っていないか。 自分の頭で考えることです。 2011年8月2日



人間は恐怖という感情を抱きますが、その恐怖を克服することもできます。 私にとっては、歯科医の電動マシーンが恐怖となりました。 音を聞いただけで、それが歯に触れるだけで、ぞっとしてしまいます。 幼かりし頃に、歯科医の椅子に座っても、口を開けずに、しばらくボイコットしていたことを思い出します。 大人になっても同じで、歯科医からは遠ざかっていました。 そして、あの電動マシーンを思い描くと、恐怖が沸いてきます。 ところが、10年ぶりに歯科医を訪れました。待合室での不安な気持ち。 そこに星野富弘さんのカレンダーが飾ってありました。 「痛みを感じるのは生きているから 悩みがあるのは生きているから 傷つくのは生きているから  私は今かなり生きているぞ」天よりの応援歌のようでした。 幸いに、歯科医は弟と同級生の後輩です。 良くも悪くも小さいころからの自分を知っていますので、 おびえている私のこともすぐ分かります。 「よく来てくれました。」 私の恐怖にも共感してくれました。不思議と恐怖が薄らいで来たのです。 2011年7月30日



わが故郷でスポーツをテーマにした教育サミットがありました。 イチロー選手を育てた愛工大名電高校野球部元監督の中村豪(たけし)さんが基調講演。 工藤公康(きみやす)投手や山崎武司(たけし)選手など、 四十を越えて現役にこだわる選手たちも育てて来られました。 曰く、「彼らは野球が大好きでした。」 その後のディスカッションで、プロ野球選手であった青島健太さんが、 極めるスポーツではなく、楽しむスポーツを強調。 その時、思い出されたのが、野球アニメの一場面でした。 ワールドカップで燃え尽きた主人公が帰国して、草野球をして楽しんでいる仲間たちを眺めている。 その時、リトルリーグのユニホームを着た小学校時代の自分が現れます。 そこで、主人公がその子に尋ねる。「お前、何で野球やってんだ。」 「野球が大好きだからに決まってんじゃん!」 主人公は我に帰って、仲間たちの中に走って行きます。 一本柔道を貫き、わが故郷で育った谷本歩美さんが感謝していました。 「私の先生は、指導者ではなく、教育者でした。」 2011年7月25日



美智子皇后が被災地でお見舞いする御姿に、ふと目頭が熱くなりました。 皇后が幼かりし頃に触れて、今でも記憶に残る絵本を紹介していたことを思い出しました。 それが、新美南吉(にいみなんきち)の「でんでんむしのかなしみ」でした。 背中に悲しみを背負ったでんでん虫は、友達にその悲しみを話します。 すると、どの友達も同じように悲しみを背負っていた。 そこで、悲しみをこらえて、嘆くことをやめます。 民間から初めて皇室に入られた皇后は、いろんな悲しみを背負われたのだと想像します。 不条理を感じて、追いつめられたこともあったかもしれません。 数十年前には、言葉を失うこともありました。 しかし、被災地で気丈にお見舞する御姿に、すべてに意味があったのだと思いました。 悲しんだ者こそ、人を慰めることができる。 すると、雅子さんや愛子さんのこともよぎりました。今は、じっと見守らせていただくことだ。 優しいという言葉は、美しい語感を伴います。 すなわち、人偏に憂えると書きます。 悲しみの隣には、愛が待っています。 2011年7月16日



同窓会で一番気を使ったのが、恩師の扱いでした。 今回は、立食形式でしたが、八十を越える恩師もいるので席を用意すべきでは。 そうなると全員に用意した方が良いのか。 恩師紹介の順番はどうすべきか。 現役の先生もいるので、恩師が先か現役が先か。 現役でもあり、恩師である先生の扱いはどうすべきか。 ご紹介だけで良いのか、挨拶をしていただくべきなのか。 挨拶をしていただくと多分時間を超過してしまうのでは。 花束を贈呈をすべきか。記念品の方が良いのか。 在校時は私たちのために、心を配っていただいた分、 今度は、私たちが心を配る番の様です。 そして、終了後に出席御礼を兼ねて、私の店で販売する箸を記念品に贈ることになりました。 恩師たちは、何もないところから木を植えてくれました。 その成長した木が、今では木陰を作り、人々に潤いを与えています。 同じように、成長した木が、切られて、削られて、箸となりました。 この箸のごとく、人々の生活に役立つ存在にならんと、私たちの願いをこめて贈りました。 2011年7月12日



卒業25年目の高校の同窓会で、写真係をお願いした同級生がいました。 彼は、アルバイト生活をしながらも、いまだに夢を追いかけています。 カメラ片手に日本全国に出かけて、鉄道写真を撮影しています。 それは、25年前も同じでした。 いつか写真で花を咲かせる日を望んでいます。 かたや、私は自分の写真を見て「年をとったなあ〜」と心を暗くしました。 しかし、彼を知った時に、それは間違いであり、サムエル・ウルマンの詩「青春」を思い出しました。 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、 たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。」 私の肉体は衰えても、私の精神は、彼と同じく高校時代と変わらないと思いました。 今からでもやり直すことはできる。今日からでも夢を持つことはできる。 いつしか年齢を言い訳にして、夢をあきらめていないか。 生きている以上は、遅いということはありません。 こんな同級生との再会だけでも同窓会には意味があるのです。 2011年7月5日



卒業25年目の高校の同窓会がありました。 母校は、今年創立40周年を迎えた新設校でもあります。 当時の公立高校は、群制度のもとで、母校は伝統校と同じ群を組みます。 その群で受験して合格すると、どちらかに振り分けられます。 母校は、街中に近い伝統校とは違い、通学に不便をきたすこともありました。 当初は、設備や環境面でも、伝統校と大きな格差がありました。 そのため、合格したものの、伝統校に入れず涙を流す人もいたのです。 今回、恩師たちに当時のことを回顧していただきました。 荒野に校舎がぽつり。そこから学校作りが始まります。 先生と生徒たちが、時間や手間を惜しまず、汗をかきかき木を一つ一つ植えて参ります。 そして、それらのハンディをバネにして、伝統校には負けじと闘志を燃やします。 それゆえに、母校には、熱き風が流れていたと思います。 私はそんな母校を誇りに思うとともに、母校に振り分けられて良かったと思います。 その熱き風を受けた一人として、自分の職責を果たして参りたいです。 2011年6月27日



薬物依存症からの回復をめざすダルクという集まりがあります。 そこに集う二人の青年が、中学生と保護者たちの前で、自らの体験を語ってくれました。 校区の健全育成会が主催する講演会でした。 彼らは、私たちと同じ街に住んでいて、特別な人には見えません。 ところが、薬物に手を染めて、牢獄にまで入ってしまう。 その後、家族のすすめで、ダルクに集います。 今回のように、人前で体験を語るのも、リハビリの一つのようです。 そこで、どうして薬物に手を出したのか。 原因は、両親の不和、別居離婚、家庭崩壊による空虚な心と私は理解しました。 奇しくも二人とも同じ状況。 薬物はもちろん悪いですが、離婚は悪いものとされず正当化すらされます。 しかし、子供たちの心を深く傷つけるのは、両親の離婚の方かもしれません。 この体験談は、中学生ではなく、親に語られているように思えました。 子供の健全育成とは、すなわち健全な家庭、健全な夫婦にあり。 夫婦とは、結婚の誓いを心に刻み、ありとあらゆる努力をすべきです。 2011年6月11日



人間の感情を喜怒哀楽と表現しますが、怒りも人間らしい感情のひとつです。 自分を正当化しますので、相手に対しては怒って当たり前だと考えます。 自分が正しいと思えば思うほど、相手の言葉や態度が心を離れません。 分かっていても、コントロールが効かなくなります。 幸い怒った当日に、聖書を読んでいました。 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」 そして、ちょうど夕暮れ時が訪れました。 「そうだ、終わりにしよう。」と覚悟を決めます。 ここでは、怒ることを罪とせず、怒り続けることを戒めています。 聖書の言葉は、怒る私を助けてくれました。 そして、そこには他者への思いやりも生まれます。 自分も怒るけど、周りの人も同じく怒る。 怒っている人に対しては、こちらも伝染してしまうことがあります。 しかし、自分を重ねた時に、はじめて相手の怒りを受け止める事ができます。 怒る自分の現実を直視する。 怒りを通じて、人は人に優しくなれるのかもしません。 怒りはこれにて終了とします。 2011年6月3日



TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加の件で、大先輩からメールをいただきました。 この協定に日本は絶対に参加すべきではないと。 GDPの経済規模で比較すると、これは日米経済協定に他ならない。 その時、日米間の関税をすべて撤廃して、自由貿易が進められることは、日本の国益となるのか。 輸出の看板である自動車や家電品が、果たして米国市場で伸長するのか。 自動車は、すでに過半数が現地生産であり、米国の輸入関税も現状2.5%に過ぎない。 家電品の輸出は、GDPに占める割合は0.021%とごくわずか。 今さら関税を撤廃しても、輸出に大きな成長は期待できない。 かたや、米国からの輸入によって、農業、金融、医療等の分野で国内産業が深刻な打撃を受ける。 国内消費者にメリットはあっても、ますます価格競争は進み、デフレが広がってしまう。 現状の日本にとって、それは戦略的なのか。大勢に流されていないか。 政府任せにせず、一国民として、しっかり考えるべし。大先輩は、叱咤激励してくれます。 2011年5月30日



口癖というものがあります。 例えば、会話の切れ目に、「え〜」が入る。 一呼吸いれる意味合いもありますが、 それが頻繁ですと、聞きづらくなってしまう。 学校では、先生の口癖を生徒がこっそり数えることがあります。 自分では気がつかずに使っているので、誰かに指摘してもらう必要もありそうです。 最近気になるのが、「何か」という言葉です。 老若男女に使われている、もしや流行り言葉かもしれません。 気にしてみると、かなり周りで使われています。 「何か」とは、一体何なのか。分からないから、「何か」かもしれません。 話す方も、分からないから、聞く方も分かりません。 それが、「え〜」と同じ感覚で、意味不明の口癖にもなっているようにも思えます。 話すとは、その「何か」を具体的に言葉にすることです。 いつしか、「何か」に依存して、言葉にする努力を怠ってしまう。 思考力や記憶力が鈍っているのかもしれません。 そこで、「何か」を会話で使わないことを提案いたします。 すると、思考や記憶も明晰になり、相手にも意思が伝わります。 2011年5月21日



菅首相はじめ政府の皆さんにお伝えしたいです。「ご苦労様です。」 私たちに代って震災復興の大仕事に取組んでいただいています。 それは、国家への尊い奉仕でもあります。 ところが、それらの奉仕が、やって当たり前のように思われてしまう。 さらに、誹謗中傷で暮れてしまう。 もっと深刻なことは、その労苦に気がつかないで、無関心でいること。 もちろん、奉仕者には、見返りを求めない覚悟は必要です。 しかし、仕事を委託する人やサービスを受ける周りの人たちは、そんな態度で良いのか。 奉仕とは、多くの場合、人目に付かない所で行われています。 その時、その奉仕に気がついて、しっかりと感謝をしていくことが肝要です。 震災での政府の対応を批判する人が多いようですが、まず為すべきことを忘れています。 はじめにありきは、「ご苦労様です。」批評批判はそれからのこと。 公民とは、奉仕者の労苦に思いをはせ、しっかりと感謝をする人だと思います。 それは、国家ばかりか、地域でも、職場でも、家庭でも同じでしょう。 2011年5月16日



「あと10分遅れていたら、命はなかった。」 教会堂をすべて流されてしまった被災地の牧師とお会いしました。 基督教会には、今日に至り、いろんな教団教派が形成されています。 カトリックがあり、プロテスタントもある。 ところが、この震災によって、教団教派という壁も崩れています。 被災地の牧師同士が、手を取り合い、心を一つにしている。 私はプロテスタント出身ですが、カトリックの皆さんからは多くを教えられています。 この時期「国家に頼らず自ら行動を」と訴えるのは、作家の曽野綾子さん。 適正価格にこだわる商売の本道を行くのは、チェリーテラスの井手櫻子さん。 きちんと出汁をとった家庭料理を奨励するのは、お料理研究家の辰巳芳子さん。 この三方とも、大衆には迎合せず、先を見通した卓見とご自分をお持ちです。 主からの責任と使命を強く自覚されている。 被災地の瓦礫の中で、牧師は十字架を建て上げました。 それは、主イエス様が大きな手を広げているようです。 主のみもとでは、カトリックもプロテスタントもありません。 2011年5月7日



寺田寅彦(とらひこ)さんは、身近にあるものを観察して、随筆を残しています。 自然は無尽蔵とは、数が沢山だけではなく、物の見方においても然りだと。 この時期、ぶらぶらと街を歩いて、目に留まるのがハナミズキです。 時を同じくして、このハナミズキの伝説を知りました。 その昔、イエス様が磔(はりつけ)にされる木に使われて、この木が嘆き悲しんでいた。 幹が太くてまっすぐな大木だったのです。 そこで、イエス様は、十字架に使われないように、細く曲がった木にします。 しかも、十字架をしのばせる花を咲かせます。 4つの花びらは、十字架に見えます。 さらに、花びらの先は、打ち込まれたクギの跡から血が滴るような、窪みがあり茶色に染まっています。 今までは、見えませんでしたが、観察してみると、その通りに見えて参りました。 ちょうど、イエス様が復活したイースターの頃に花咲くのも、信仰者として頷けます。 そして、流された血の意味も、じっと観察してこそ見えて参ります。 今年のハナミズキは、わが国への慰めのようです。 2011年4月30日



「自分に今できることは何か」 この時期、多くの人がこの問いを自分に投げかけています。 しかし、この問いは、何も今問いかけるべきものではありません。 震災前の平時にも問いかけるべきものでしょう。 その問いは、いかに生きるかという本質的な問いでもあるからです。 震災は、それに気がつかせてくれたとも言えます。 ですから、平時からこの問いかけをしている人は、 この時期にこそ、確かな答えを出すことができるのだと思います。 そして、そこには、その人の生き様が浮かび上がってくる。 危急の時ではなく、常日頃のあり方が重要であることが分かります。 そこで、改めて敬意を感じるのは、天皇皇后両陛下です。 この震災下に、すべてにおいて思慮深く、愛情深く、的確な判断と適切な行動をされています。 それは、常日頃から、「自分に今できることは何か」と誰よりも自問自答されてきた。 その集大成のようなものが、今日表れているのだと思えて参ります。 幸いにも私たちは、天皇皇后という最高のお手本をいただいています。 2011年4月23日



「想定外は許されない。天災ではなく人災だ。」 しかし、想定ができたとして、その危険をすべて洗いざらい出して、 そのための万全な対策を施すことができたのでしょうか。 その結果は、何もできないことになる。 このことを原発に当てはめれば、電気を使わないことに至ります。 しかし、電気は必要だと言うなら、ある程度のリスクは必ず負うことになるはずです。 完全無欠な安全は、この世界にはありえません。生きるとは、リスクを負うことでもあります。 いかに、そのリスクと折り合うか。 わが故郷では昨年、中学生が野外学習中に亡くなりました。 それは、今回のように衝撃的でしたので、野外学習が避けられるようになりました。 果たして、このままで良いのか。 ある程度のリスクを負ってでも、子供たちに身に付けてもらいたいものがあります。 いつしか、鍛練という言葉が死語となっています。 この国難にあたり、ますます子供たちには逞しさが求められています。 子供たちの将来を見据えれば、時には、可愛い子には旅をさせるべしです。 2011年4月18日



「父(とう)ちゃんのためなら、エンヤコラ!・・・」 化粧姿の男性が、真剣そのものの姿でテレビで熱唱していました。 その歌詞の一語一語が心に迫り、いつしか涙が溢れていました。 歌には、ここまで力があるのかと。 戦後の荒廃した時代に、泥にまみれて懸命に働く母(かあ)ちゃん。 そんな母ちゃんを傍で見つめる小学生の視点で歌い上げます。 学校でいじめられても、その母ちゃんを思うと何も言えず、勉強するよと学校に帰って行く。 作詞作曲して歌っていたのは、美輪(みわ)明宏さん。 美輪さんは、長崎出身で、小学生の時に被曝しています。 見るも無残な廃墟と化した街で、力強く生き抜きました。 今回の震災でも、多くの子供たちが過酷な状況に置かれています。 彼らを本当の意味で励ませるのは、美輪さんかもしれません。 そして、大人たちが懸命に働く時に、彼らは前を向いて行ける。 美輪さんが語っていました。 「立ち直れることを信じているのではなく、私は確信している。」 今度は、たくましく育った彼らが同じ言葉を語るのです。 2011年4月9日



今回の震災は、日本人にとっての転機となりうるでしょう。 しかし、それを転機とするか否かは、各人の手の中にあります。 甚大な犠牲者のためにも、危機を乗り越えただけで終えたくはありません。 聖路加国際病院の日野原重明(しげあき)先生は、信仰の大先輩です。 先生にも、転機があったそうです。 1970年3月31日、よど号事件に遭遇。搭乗していた飛行機がハイジャックされます。 目の前には、爆弾や日本刀を手にする犯人たち。 膠着状態が続き、飲料水も一日150ccに制限をされて死を覚悟します。 ところが、4月3日に至り、韓国の金浦空港で解放。 タラップを降りて、土を踏んだその瞬間だったそうです。 「これからが始まりだ!」と思いを新たにします。 終わったのではなく、始まった。 生きているのではなく、生かされている。 今までは、自分のためだったが、今度は人のために生きるのだと。 齢五十八の春。それから、今年百を迎える日野原先生の活躍は、言わずと知れています。 同様に、私たちの生き方を刷新する好機到来です。 2011年4月1日



この時期、首相をはじめ、国民一人一人の判断力が問われています。 NHKの「クローズアップ現代」で、津波の被害を受けた釜石市の子供たちに、 防災の在り方を教えてきた大学教授が紹介されていました。 小学校まで津波が来ることは、想定外のことだったそうです。 そのため、子供たちが状況想定を鵜呑みにしていたら、誰も助からなかった。 幸い子供たちは、学校から逃げ出した。 地震発生後からわずか30分後に巨大津波は押し寄せます。 子供たちと言いますか、引率の先生たちの判断は正しかった。 専門家の意見に依存するのではなく、最終的には各人の判断力が問われた典型的なケースです。 安全教育とは、安全なものを教える、知識のみに偏ってはなりません。 危険である事を察知して、迅速適切な対応ができる判断力をいかに養うかです。 いつしか、わが国は、依存的になって、自分で考えることをしなくなった。 自分の国は自分で守る。自分の体は自分で守るという強い意志が必要です。 誰かではなく自分なのです。 2011年3月26日



あの自衛隊員が、あの消防隊員が、あの原発関係者が。 今も最前線では、私たちのために、身命を賭して事に当たっている人たちがいます。 背後には、お子さんも、ご家族もいることでしょう。 戦後六十五年の平和を破って、今回の震災と言う国難が舞い降りて来ました。 いつしか、自分の国は自分で守るという事が希薄になってしまったようです。 守るとは、命をかけることに至ります。 二十代の頃に、尊敬していた宣教師は、「いつでも、どこでも死ねるのが宣教師」と言われていました。 そんな宣教師にあこがれました。 しかし、安逸を貪っていると、心は内向きになります。 情けないことですが、命をかけることよりも、自己保身に走ります。 この国難に、各自の使命を果たすことが求められています。 今、私はこの場所で何をすべきなのか。使命とは、命を使うと書きます。 そこに、生きている、いや生かされている意味も表出します。 今はただ、自分の日常の業務を淡々とこなし、背後で祈るのみです。 嗚呼、全能の主よ!我が日本を守りたまえ。 2011年3月18日



その日、国会中継を観ていました。 野党議員が、首相の個人献金を追及。 国権の最高機関で、はたまた、こんなレベルの論議かと落胆して散歩に出かけました。 しばらくして、激震が走ります。 悪い予感も・・・。すると、驚きの映像が、次々にテレビで放映。 激甚の被害が刻々と判明します。 その時、期せずして亡くなった方は、「犠牲者」なのだと思いました。 犠牲とは、誰かの身代わりになった。それは、誰か。 それは、生き残っている私たち日本人のためだったと思います。 政治は、ようやく与野党が一つになれる光景をみることができました。 失われていた人と人との結びつきが、ようやく復旧されようとしています。 贅沢放題に使われていたエネルギーにも、限りがあることに気がつきました。 尊い犠牲によって、多くのことが正されつつあります。 しかし、ここまで至らなければ分からない、鈍感な私たちを恥じます。 ですから、この国難に当たり、先人たちに恥じない奮闘ぶりでお返ししたい。 「日本人よ!目覚めよ!」と天からの声が響いています。 2011年3月14日



熊本で女児の命が失われる痛ましい事件がありました。 どうして、このような事件が起こってしまったのか。 新聞報道で、加害者の大学生から「児童ポルノの漫画を押収」とありました。 最近では、書店の漫画コーナーは見れたものではありません。 携帯電話に、インターネットに、猥雑な写真や画像は溢れます。 私が思うに、それをじっと見入っていると、悪い霊が入るように思えます。 男性の女性を見る目が変わってしまい、愛情ではなく欲情に変わってしまう。 そこには、相手に対する思いやりや親切という愛情のより本質的な要素が吹き飛ばされてしまう。 この時代、多くの前途有望な少年たちが、これらに飲まれてしまっています。 今回の大学生もその一人かもしれません。 そこには、人間の赤裸々な現実があります。しかし、人間には理性もある。 その理性が形成途上にある少年を守ることは大人の責任。 その大人が、週刊誌の巻頭を楽しんでいては、悲劇の再来が待っています。 もっと節度を、もっと自制を。そこに本来の愛があります。 2011年3月7日



高品質な商品とサービスを提供するのが、誇り高きメードインジャパンです。 アジア諸国の安価な商品に対して、まともに価格で競争すべきではありません。 もちろん、国内の小売業も然り。 このような時世こそ、単に価格だけの競争を戒めるべきです。 本来の商品とサービスの質で競争すべし。 それが、単に価格のみで競い合えば、その果ては、利益を食いつぶして共倒れです。 それは、マネーゲームと酷似。 ある商品に対して、本来の価値に見合わない法外な価格が付けられる。 その果ては、この上もなく高額になるのか。 ある時点で、需給のバランスが崩れて、今度は一挙に価格が下がる。 それを実態のない泡、バブルであったと呼ぶのでしょう。 健全な経済取引とは、その商品の価値に見合った適正な価格での取引です。 それには、売買する人間の節度が求められています。 自分だけではなく、全体のことにも思いをいたします。 節度なきところには、適正な価格はのぞめません。 日本の伝統とは、この節度だったはずです。 2011年2月28日



教会でお会いする老夫妻がいます。 素敵なご夫妻だなあと、いつも花を感じます。 八十を越えたご主人は絵心があり、木綿の絵を教会に寄贈されました。 白い綿が、木のまわりに優しく広がっています。 実は、数年前に大病を患われましたが、無事生還。 その病を通じて、さらに信仰は深められ、感謝に溢れています。 お二人で余生を楽しまれているご様子には、あこがれすら感じます。 夕暮れ時を黄昏(たそがれ)と表現しますが、 人生で一番美しい時は、黄昏時なのだと教えてくれているようです。 先日、ご夫妻を前にして、自分の学生時代から、 就職と結婚を含めたお話をしたことがありました。 すると、可憐な乙女たちが描かれた小磯良平『斉唱』の絵葉書が届きます。 「感動しました。」 若輩者の話にも謙虚に耳を傾けて、素直にご自分の気持ちを伝えてくれる。 私の中では、その言葉が、勇気や力に昇華しています。 それは、あの綿のように、何でも優しく受け止めて下さるゆえでしょう。 私も、年を重ねるごとに、綿のようになりたいです。 2011年2月19日



息子が小学校の図書館で、徳川家康の伝記を借りてきました。 その本の中で「三河武士のやかた家康館」が紹介されていました。 岡崎城の隣にあることを知り、早速出掛けてみました。 ちょうど雪の舞う日となり、岡崎城はうっすらと雪化粧。 親子でクイズラリーをしながら館内を見学しました。 そこでは、家康だけではなく、取り巻きの三河武士たちにスポットが当たっていました。 福沢諭吉も語っています。 「いかなる非運に際して辛苦をなめるも、かつて落胆することなく、 家のため主公のためとあれば、必敗必死を眼前に見てなほ勇進するの一事は、 三河武士全体の特色、徳川家の家風なるが如し。」 その一人、大久保彦左衛門(ひこざえもん)は、「三河物語」を著します。 そして、現代では、わが故郷出身の宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)さんが 「新三河物語」を上梓。しっかりと記録を残しているのも、わが故郷の伝統。 そこで、関白秀吉が家康に尋ねました。 「徳川の宝は何か?」 「わが宝は、わがため命を捧げし五百騎の三河武士也。」 2011年2月12日



春の地方選挙に出馬する同級生が、当店まで挨拶に来られました。 その選挙は激戦となる前評判があります。 実は、彼と議席を競うことになる別の方も、少し前に挨拶に来ていました。 ついつい私の口から出たのが 「お互いを批判するよりも、お互いの良い点を認めて口にすべし。」 二大政党制とは、互いを批判するだけの制度でしょうか。 国会でも、何のために議事をしているのか。 それは、党利党略のためではありません。 憲法前文によれば、日本国民とその子孫のためという共通の目的があるのです。 ならば、野党人が与党の力添えをすることもありでしょう。 互いに尊重し合ってこそ、熟議は実現します。 尊重がなければ、熟議はありえません。 もちろん、癒着や馴れ合いとは違います。 商売でも同じだと自戒したいです。 同業者を批判するのではなく、同業者を尊重して同業者から学ぶべきです。 日本の伝統は、聖徳太子も示した「和をもって貴しとなす」の精神。 お互いを尊重し、お互いの力を結集してこそ、明日への活路があります。 2011年2月5日



わが校区の農家で、鳥インフルエンザが検出されました。 子どもたちの通う学校の近くで、24時間体制で殺処分作業が行われています。 ヘリコプターが飛んだり、テレビ局の中継車が来たりと騒々しくなっています。 通学中の中学生にもマイクが向けられます。 知ることは必要ですが、今日の報道は行き過ぎてはいないでしょうか。 これが、いつしか風評を生みだす根となり、さらに問題を増幅させることがあります。 命にかかわる緊急なものは別として、事態を粛々と見守り、事実関係が出揃ってから検証もすべきでしょう。 特に、子どもたちを巻き込んではなりません。 浜名湖で中学生が亡くなった昨夏の事故では、いまだ学校現場につきまとう報道人たちがいるようです。 いつしか権利のみを掲げて、人を思いやる義務を忘れていないでしょうか。 報道人である前に、一人の人間であって欲しい。 心ない報道には、読者も視聴者もやがて離れて行きます。 何かを伝える為には、愛や思いやりは大前提です。 なぜなら、信じてもらえませんから。 2011年1月29日



初買いした本は、「道」というタイトルの天皇陛下御即位二十年記念記録集でした。 行事や大会でのお言葉や会見録では、その激務を知るとともに、無駄のない言葉遣いに敬服いたしました。 しかも、受け売りの言葉ではなく、陛下自身の生きた言葉が心に響きます。 すなわち、相当な下準備をされていると分かります。 出会う人たちの数は甚大ですが、一人一人への心配りは実に細やかです。 器量の大きな人間とは、陛下のことだと思えて来ます。 そして、象徴天皇とはいかにあるべきかを、今なお真摯に追求されている。 タイトルの「道」とは、陛下の生き様そのものです。 人としての陛下を率直に尊敬いたします。 先日ウクライナの大統領と会見された時には、 チェルノブイリ原発事故に触れ、「ずっと心を痛めていました。」 新聞報道で知った言葉でしたが、思わず目頭が熱くなりました。 やはり、ずっと心を痛めていたからこそ、ふと出てくる言葉なのだと思います。 他者の痛みを自分の痛みとする。ここにこそ、真実な平和への道があります。 2011年1月22日



今日は、愛知県知事候補者の討論会が豊橋で開かれています。 政治家と有権者の関係が、商売人と顧客の関係に重なることがあります。 牛丼のチェーン店では、一杯二百円代に突入したようです。 顧客は一時的に喜ぶかもしれませんが、利益がなければ商売は成り立ちません。 しかも、牛丼業界だけではなく、外食業界すべてに影響は及びます。 安売りの先駆者たるダイエーさんが思い出されます。 大企業であれば、会社が倒れても税金が投入される。 そうなれば、安売りとは、顧客にとってもメリットはありません。 商売を退廃させる安売りが減税とも重なります。 減税によって、一時的に恩恵があったとしても、 周りでも同じことをすれば、互いの首を絞め合うことになります。 商売人は顧客に迎合してはなりません。一歩先を読む。 政治家も有権者に迎合してなりません。 ケネディ大統領は、就任演説で有権者に要求しました。 「国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたが国のために何ができるかを問うてほしい。」 2011年1月14日



昨年末に、九十を迎えたおばあちゃんが、トイレで転倒して入院しました。 このまま寝たきりになってしまうのではと、不安がよぎります。 お見舞いに駆けつけると、おばあちゃんは「後のことは、よろしく頼むよ。」 幸いおばあちゃんの経過は良好で、家に戻ることができました。 今思えば、トイレで天使が支えてくれていたようです。 ちょうど、子供たちが「トイレの神様」という曲をドラマ化したテレビを観ていました。 賢いおばあちゃんは、孫がトイレ掃除に励むために、トイレをピカピカにするとべっぴんになれると教えます。 私のおばあちゃんは、四十を越える私にも、未だお年玉をくれます。 それは、「受けるよりも与える方が幸いです。」という聖書の言葉を地で行っています。 私のおばあちゃんは、決して諭しません。しかし、私は悟ります。 「お金とは、自分のために使うのではなく、人様の喜びのために使うのですよ。」 神様に代わって教えてくれるので、神様は、おばあちゃんを助けるのだと思います。 おばあちゃんの心こそ、ピカピカに輝いています。 2011年1月6日

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